武将列伝番外編組列伝・蟹江の七本槍 




 蟹江の七本槍 
 かにえのひちほんやり 
 登場した時代・場所   室町時代末期・三河松平家 
 構 成   阿部忠政・大久保忠勝・大久保忠世・大久保忠佐・大久保忠員 ・杉浦吉貞・杉浦勝吉 
 由 来   弘治元年(1555)織田方の尾張蟹江城を三河松平(当時今川属領)が攻め落とした戦い。
 その戦いに於いて、功名をあげた松平方7人を讃えた。
 
 阿部忠政  (1531〜1607)  大久保忠次の子であるが阿部定次の養嗣子となる。  大久保忠員の甥、忠勝・忠世・忠佐とは従兄弟にあたる。  姉川の戦い、三方が原の戦いにも従軍。  大久保忠世と争って出奔、のち忠世の子・忠隣に仕えた。 

 大久保忠勝  (不詳)   大久保宗家。
大久保忠俊の嫡男で忠員の甥、忠勝・忠世とは従兄弟にあたる。 

 大久保忠世  (1532〜1594)  大久保忠員の子で忠佐の兄、忠勝とは従兄弟にあたる。  三方が原の戦い、長篠の戦いに参加、歴戦の将である。  遠江二俣城主を経て関東入国の際、小田原城主となり4万5千石を領す。 

 大久保忠佐  (1537〜1613)  大久保忠員の子で忠世の弟、忠勝とは従兄弟にあたる。  武田攻め、長久手の戦いなどに参加、兄におとらぬ戦功をたてている。  関東入国の際、上総茂原で5千石を与えられ、のち駿河沼津城主となり2万石を領す。 

 大久保忠員  (1511〜1582)  大久保忠世・忠佐の父、忠勝の叔父にあたる。   松平清康、広忠、元康(家康)と3代に渡って仕える。 広忠の岡崎帰参に尽力をつくす。  また、忠世・忠佐の他に「三河物語」を著した大久保彦左衛門として有名な忠教がいる。 

 杉浦吉貞  (不詳)   スミマセン。 よく知らないのです。 

 杉浦勝吉  (不詳)   スミマセン。 よく知らないのです。 

  補 足   



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