山中鹿之介 |
(1545?〜1578) 山中鹿之介幸盛(やまなか しかのすけ ゆきもり)。
一度亀井氏の養子となるが山中姓に戻り家督を継ぐ。
十勇士の筆頭。 最初は単独で蜂起したが敗退。 織田信長をたより再度蜂起。
最終的に悲願は達成できず、毛利の囚われの身となるが護送中殺害される。
月にむかい「我に七難八苦をあたえまえ。」と誓った苦労人である。 |
安宅庵介 |
(不詳) 安上庵介久家(あきあげ いおりのすけ ひさいえ)。
出雲森山城主。 彼も最終的に毛利の軍門に降ることになる。 |
横道兵庫介 |
(不詳〜1570) 横道兵庫介正光(よこじ ひょうごのすけ まさみつ)。
毛利氏に出雲布部山城を攻められた際、戦死。
彼を打ったのは姪婿の中井善左衛門であったという。 |
早川鮎介 |
(不詳) 早川鮎介(はやかわ あゆのすけ)。
すみません。 よく知らないのです。 |
尤道理之介 |
(1545?〜1578) 尤道理之介(もっとも どうりのすけ)。
すみません。 よく知らないのです。
しかし、私はこの名前が大好きなんです。 |
寺本生死介 |
(不詳) 寺本生死介(てらもと せいしのすけ)。
すみません。 よく知らないのです。 |
植田早苗介 |
(不詳) 植田早苗介(うえだ さなえのすけ)。
すみません。 よく知らないのです。 |
深田泥介 |
(不詳) 深田泥介(ふかだ どろすけ? でいすけ?)。
すみません。 全然知らないのです。 |
藪中荊介 |
(不詳) 藪中荊之介(やぶなか いばらのすけ)。
すみません。 よく知らないのです。 |
小倉鼠介 |
(不詳) 小倉鼠介(おぐら ねずみのすけ)。
すみません。 よく知らないのです。 |
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すみません。 本当はよく知らないのです。
ただ、彼らの名前が妙に目に焼き付いてしまって・・・
当時、山陰では奈佐日本介(なさ やまとのすけ)という海賊もいて、
実は彼も尼子再興に一役買ってるんです)意識的に、一見ふざけたような
名前を自称したとしか思えない。
人は名誉を重んじ、名をあげ、名を残すことに全力を注ぎます。
彼らはそれさえも(一見ふざけたような名で)捨て、主家再興の為だけに
全力を尽くしたのであろうか?
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