めんじょう いえてる |
生没年 | ?〜1583 | 主君・所属 | 柴田勝家(織田信長麾下) |
主な活躍の場 | 賤ヶ岳の戦い |
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補足 |
★ 毛受の読み名についてお問い合わせがありました。 正直申しますとよくわからない(知らない。)のです。 「めんじゅ」と書きましたが「めんじょ」あるいは「めんじょう」かもしれません。 尾張西部に「毛受」という地があります。 その地名と毛受家照との間にゆかりがあるのかもしれません。 この地名は「めんじょ」と読まれます。 ですが地名とそこから出た苗字とが後世に異なった音で読まれることも少なくありません。 資料に「めんじゅ」とカナがうたれたものが多いので「めんじゅ」としましたが。 こんないい加減な事で申し訳けないです はっきりと知っている方おられましたらどうかお教え下さい。 ★ その後、皆様から幾つか情報を得ることができました。 尾張旭市の公民館に毛受勝照(家照)の銅像が建てられています。 この解説板には「めんじょう」とカナが振ってありました。 ★ 先日、毛受(めんじょう)さんにお会いしました。 その方はの仰るには、やはり読みは「めんじゅ・めんじょ・めんじょう」と幾つかの読み方の姓があるそうです。 数えてはいませんが「めんじょう」と読む方のほうが多いのでは?とのこと。 ★ さらに御子孫とおっしゃる方からメールを頂きました。 「めんじょう」と読むのが正しいそうです。 表題もそのように訂正させて頂きました。 ★ またまた情報です。 毛受の子孫が賎ケ岳の戦いの後、前田家に仕えたという事。 一端、三井姓を名乗り、江戸末期に再び毛受姓に戻ったと聞いています。 現在、金沢市の野田山の前田利家の墓の隣に毛受姓の墓が5基ほどあるそうです。 毛受姓の墓石には、毛受兼庵先生とか毛受大学と書いた墓があるようです。 毛受兼庵先生、毛受大学について詳しくはありませんが子孫の方なのでしょう。 情報を頂いた方の母方が毛受(めんじゆ)姓だそうです。 また、この一角には水野姓や藤田姓など全部で16基の墓があり、向かって左隣が前田利家の墓。 前に豪姫の墓。右隣が加賀八家の一人奥村家の墓が数基。 |