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尚恒。
坂井政尚の長男。
坂井政尚は京近辺の政務を主に担当していた武将である。
もちろん政務ばかりでもなく、いくつかの功績もあるがここでは割愛。
久蔵は観音寺・箕作・和田山攻めにも従軍、戦功あげた。
美童と言われ信長の寵愛をも受けていたようだ。
小姓でもあった。
元亀元年(1570)六月、姉川の戦い。
久蔵は父政尚とともにあった。
政尚の隊は第一陣。兵力約三千。
この政尚の陣に浅井先鋒磯野員昌が襲いかかる。
政尚は防ぎきれず後退する。
この時、久蔵は退かず奮戦。
(誰の手によるものか記録は見あたらず)戦死してしまう。
久蔵は十六歳であった。
若年ながらも屈強の勇士であり、美形でもあったから皆、彼の死を惜しんだ。
戦が終わった後、彼の戦死した場所の土を持って帰るものが現れ、皆それに続いたという。
その為、そこに大きな穴が開けられてしまった程である。
姉川の戦い自体は織田・徳川連合軍の勝利に終わったことは周知の通り。
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