永初元年倭國王帥升等願請見
安帝永初元年倭国王帥升等献生口百六十人願請見。
後漢書東夷伝の一節である。
倭国王帥升。
彼が文献に登場する最古の王、最古の日本人である。
だが、彼についての記事はこの一節だけで、それ以外なにもわからない。
帥升は、なんと読むのか。
本当に帥升が正しい名前なのか。
いや、本当に倭国人(日本人)なのかさえ不確かなのである。
「帥升」−−−一般的には「すいしょう」である。
少なくとも、私は学校ではそう習った。
倭国王の「帥升(すいしょう)」等。
倭国王「帥升等(すいしょうとうetc)」と読む説もある。
また「帥升」ではなく「師升」の誤りであるとする説。
「帥升」が名前なのか。
「帥」が姓で「升」が名か。
(または「帥」姓の「升等」。「帥升」姓の「等」。)
一見して日本人らしくない名前である。
中国大陸か朝鮮半島から渡ってきた帰化人なのだろうか。
当時の中国では「帥」姓はめずらしい。
「師」姓なら文献にも多く見えるという。
倭国は朝鮮半島からの派生説、騎馬民族征服説なども、うなずけそうな姓であろう。
はたして「帥升」は本名か。
倭国語の名前に漢字をあてはたら、たまたま中国名らしくなっただけかもしれない。
献見を願うぐらいだから、わざわざ中国名を名乗ったのかもしれない。
もし、「帥升」または「帥升等」が純倭国名であり、「帥」が姓ならば、
既に、この時代から日本独自の姓(氏族制度)が存在していたことになる。
先に挙げた史料でも文献によっては「倭国王」が「倭面土國王」と記されたものがある。
これを巡って「倭面土」を「ヤマト」と呼び大和朝廷に結びつける人もいる。
(天皇には氏姓がない。 だとしたら「帥升」は姓を含まない名か?)
「倭面土」を「魏志倭人伝」に見える「伊都國」や「末廬國」にあてる説もある。
(つまり「倭の國王」ではなく「倭の伊都國の王、倭の末廬國の王」の帥升。)
いずれにせよ最古の倭国人とされる人物は国王である以外、なにもわからない。
「倭國王帥升等」
たった六文字にこれだけの謎が秘められている。
いまだに真実はわからない。