趙恵文王時得楚和氏璧 秦昭王聞之使人遣趙王書



 藺相如(りんしょうじょ)は中国は戦国時代の趙の将軍である。

 西に秦、東に斉と二大国に挟まれていた趙は今まさに秦の脅威にさらされていた。

「和氏の璧」と呼ばれる宝物があり、趙の恵文王が所持していた。

 秦の昭王がそれに目を付け、十五の城と交換に譲渡を迫ってきたのである。

 十五の城と交換と言えば聞こえはいいが、それは戦乱の世の口約束。

 もとより秦の昭王が約束を守るとは到底思えない。

 かといって、断れば秦の昭王は力づくでも奪いにかかるであろう。

 趙も決して小国ではないが先年、斉の大軍を破ったばかりで兵も疲弊している。

 まして秦のは斉以上の軍事強大国である。

 群臣があつまり、どうした者かと知恵を出し合っていた。



 今一度ここで「和氏の璧」がいかなる宝物かを紹介する。 

 璧とは早い話、翡翠などの宝玉を磨いて環状にしたもので、環の幅と孔の直径が等しいものをさす。

 和氏は「かし」と読む。   和氏はこの璧を見つけた楚の人のことである。

 和氏はこの璧の原石を手に入れ楚の脂、に献上した。

 脂、がその原石を鑑定にだすとただの石だという。

 怒った脂、は和氏の左足を切断してしまう。

 さて、脂、が崩御して武王が即位すると再び和氏はその原石を武王に献上した。

 武王が鑑定させると、やはりただの石だといわれ、今度は和氏の右足を切断してしまった。

 やがて武王もなくなり文王が即位。

 和氏は歩くこともできず、(献上することもかなわず)ただ一人泣いていたという。

 文王はこれを聞きつけ、この原石を玉細工師に磨かせたところ、みごとな璧に仕上がった。

 ゆえにこれを「和氏の璧」と言う。

 また、この「和氏の璧」は単にまばゆいだけでなく、暗いところの置くと自然に光を放ち 冬には暖気を夏には冷気を発したという。



 さて、話を元に戻す。

 恵文王の宦官繆賢がこの時、彼の舎人であった藺相如を推挙した。

 繆賢は、以前自分が犯した罪が藺相如の才覚によりその罰を免れたと話す。

 藺相如なら何とか切り抜けてくれるはずだ。


 恵文王は早速、藺相如を召しよせたずねた。

 秦の昭王が恵文王の「和氏の璧」に目を付け、十五の城と交換に譲渡を迫ってきた。

 どう対応すべきか。

 藺相如が答えるには秦は強大であり、従わざるをえないと。

 秦が十五の城を譲ってくれるのに趙が璧を渡すのを拒むのは趙の罪である。

 趙が璧を渡したのに秦が十五の城を明け渡してくれぬのは秦の罪である。

 どうせならば秦に責任を負わせましょう。

    藺相如は「和氏の璧」と城との交換の使者となり秦へ赴いた。



  相如因持璧卻倚柱怒髪上衝冠



 藺相如から「和氏の璧」を受け取った秦の秦の昭王は喜び群臣や后らにそれを見せびらかした。

 だが、その口からは代わりに譲る十五の城の話はいっこうにでてこない。

 藺相如は一計を案ずる。

 昭王殿、実は「和氏の璧」には一点だけ傷があります。

 昭王が「その傷」の箇所を教わるために璧を藺相如に手渡すと、藺相如は壁際まで走りより 怒りをあらわに璧を振り上げた。

 趙王が礼を尽くしているのに秦王は非礼なり。

 また交換の城を譲る考えも無いと見た。

 ならば「和氏の璧」は取り返すのみ。

 さらに非礼を重ね、藺相如を捕らえるならばこの璧をたたき壊し自らも命をたたんと。


 昭王は驚き、そして藺相如をなだめた。

 約束の十五の城を地図をもって示し、さらに藺相如から持ち出された5日間の斎戒の条件ものんだ。

 だが5日間の斎戒はともかく城の件は、まだ疑ってかかっている。

 藺相如は従者を呼んで密かに「和氏の璧」を趙へ持ち帰らせた。


             昭王の5日間の斎戒が終わる。

 あらためて昭王が藺相如を引見すると、藺相如はこう言い放った。

 秦自繆公以来二十餘君 未嘗有堅明約束者也

 秦は繆公以来の二十余代たつが、かつて約束を守られたためしがない。

「和氏の璧」は既に趙に持ち帰らせた。

 秦は強大な国であるから力ずくでも趙から璧を奪うことさえ出来る。

 まず始めに秦の方から先に城を渡せば、趙王はためらわず「和氏の璧」を差し出すでしょうよう。


   だが結局、昭王のは無理強いをしなかった。

 ごり押しすれば国交を拗らすだけである。

 そもそも「和氏の璧」は欲しいが、城を渡すつもりは毛頭ない。

 まして璧一つの為に戦をするわけにもいかない。

 これ以上、難題をふっかければ、同盟すら成り立たなくなる。

 先の戦いで斉が大敗したにしろ、まだまだ侮れず自国の同盟国には無碍にもできない。

 昭王は藺相如に対しても何ら罪を問わず(秦王への暴言や勝手に璧を持ち帰らせた事に対し)帰国させた。




 こうして見事、秦の厄災から趙を救った藺相如は抜擢され、やがて趙臣の最高位まで上り詰めることとなる。

 ここからもまた面白いのだが長くなる。

 今回はここまでとして次回、あらためて紹介させていただこうと思う。




続 編

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