織田勝長 | おだ かつなが |
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生没年 | 15??〜1582 | 信長の五男 |
幼名・別名・官職 | 幼名=坊丸。源三郎。津田姓を称す。 | 生母 |
東濃岩村の遠山内匠助景任の未亡人おつやの養子となる。 景任の未亡人おつやは信長の叔母であり、景任は嗣子なくしてこの世を去ったため、 岩村城遠山家を嗣がせるために送り込まれたのである。 だが、まだ坊丸(勝長)は幼く城の采配はこの叔母が握っていた。 俗に言う女城主である。 元亀三年(1572)武田信玄の武将秋山信友の手によって岩村城は武田方となる。 おつやが秋山信友を夫として迎え入れることで武田と和議を結んでしまったのである。 当然、岩村城主は信友となり、坊丸は甲斐に送られ信玄の養子となった。 (養子といってもこの場合は人質である。) 天正九年(1581)武田を継いだ勝頼は坊丸を送還してきた。 この後、元服して尾張犬山城主となる。 兄信忠の与力として武田攻めに参陣。 本能寺の変に於いても信忠と共にあり、二条御所にて奮戦し討ち死にした。 |