信 長 の 子 供 達 




 織田信高 
  おだ のぶたか 
 生没年   15??〜1602   信長の七男 
幼名・別名・官職 幼名=小洞。藤十郎、左衛門佐。  生母 高畑源十郎の娘(おなべの方) 
 
 氏家行広に養育を受ける。
 天正十九年近江神崎で千石の所領を与えられる。
 兄信秀と同じく羽柴を称する。
 信秀以降の兄弟はみな、主従が入れ替わってしまった。
 関ヶ原の合戦では東軍。
 実際には参陣間にあわず凱旋中の家康に拝謁したという。
 安房朝夷の所領もあわせ二千石。
 その子孫は高家として幕府に仕えた。
 
  末裔   
 嫡男高重は旗本として幕府に仕え、その子孫が高家に任ぜられる(近江神崎、安房朝夷で二千石)
 



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