信 長 の 子 供 達 




 永 
 なが 
 生没年   1574〜1623   信長の四女? 
幼名・別名・官職  玉泉院   生母  不明 
 
 前田利長に嫁ぐ。
 
 前田利長は前田利家の嫡男で利家の後を嗣ぎ加賀百万石といわれた金沢藩主である。
 利家自身、初陣前より信長の小姓として付き従い、その主従関係は強固なものであったと言える。
 五徳や冬姫、秀子などは同盟関係、外様大名の子に嫁ぎ、その婚姻は政略的な意味合いが強いと思われ るが、永のそれは利家に対する信長の信頼と期待の現れとも言えよう。
 
 利長に嫁いだのは天正九年(1581)。
 利長は越前国府中城主となっていた。
 本能寺の変の折り、永は近江にいたが利家は尾張の前田家(前田利家の出身地である)へ匿わせたという。
 その後、父利家とともに羽柴秀吉に仕え、加賀国松任4万石を領した。
 利家の死後は加賀金沢の遺領を継ぎ、同じく大老職にも加えられた。
 そして関ヶ原の戦いでは東軍に与し加増を受ける。
 嗣子をもうけることが出来ず、弟利常を養子として慶長十年(1605)家督を譲った。
 利長と永は越中国高岡城で隠居生活を送る。
 その利長も慶長十九年(1614)、息を引き取る。
 永は夫を見送ると金沢に移り、剃髪して玉泉院と号した。
 元和九年(1623)に、この世を去った。
 
 
  末裔      




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