その1

1962年まで。

20世紀初頭にアメリカで生まれたジャズは商業化して以降瞬く間に世界中に広まりました。また、同じ頃生まれ、少し遅れて商業化していったブルースもジャズ程ではないにしろ世界中で聴かれるようになっていきました。これは多くの人が知るところですが、イギリスも例外ではありませんでした。ヨーロッパの中でも地理的にも歴史的にもアメリカとの結びつきの強いイギリス。この国は、アメリカのそうした刺激的な大衆音楽を実に巧く取り入れていったのです。

時代は1950年代、場所はアメリカ。ブルースは新しいステージへ突入し始めていました。よりビートを強調した後にR&B(リズム・アンド・ブルースと読む)と呼ばれるようになる音楽に注目が集まるようになっていきました。その中からよりエンターテインメント性の強いロックンロールが生まれたのです。同じ頃ジャズも革新の時代に突入していました。

その波はイギリスにも影響を及ぼしました。1950年代の半ばには、ジャズとロックンロールが高度な融合を果たし(+カントリーも・・・・・・)よりエンターテインメント性の高いイギリス版スキッフルを生み出しました。このムーヴメントからイギリスの大都市のアンダーグランドの音楽シーンは目指すモノがはっきりしてきたようです。

イギリスでは、元からジャンル別に音楽家が完全に別れるということは余りなかったようで、アンダーグランドでも、ジャズ系、ブルース系、フォーク系などのミュージシャンが一堂に会して腕に磨きを掛けていっていたようです。

その混沌とした様々な音楽の濃縮スープののようなシーンからまず最初に躍り出てきたのがビートルズでした。それは1962年の事でした。このバンドの登場と存在が、それまでアンダーグランドで、一部の熱狂的な若者のための音楽であったモノをオーヴァーグランドに一気に押し上げてきたのです。つまり、賽は投げられたという訳です。

1962年から1960年代末期まで。

ビートルズはリヴァプールから出てきたバンドで、首都のロンドンはその当時どんな状態であったかというと、まだシーンが成熟しきってはいませんでした。しかし、スキッフルの仕掛け人たちの仲間内でもあったアレクシス・コーナーあたりを中心にジャンルを超えたいつ果てるともない修行は続いていました。だから、最初の数年はビートルズ人気に支えられたリヴァプールを中心とするマージービート勢の勢いが強かったのです。ロンドンでは、マンフレッド・マンなど比較的早くからジャズとロックを融合させた、このサイトの定義するところのジャズロックをガンガンと聴かせるバンドも登場していて人気を博していましたが、表面のポップさばかりが取り上げられ、本質はなかなか理解されていなかったようです。

しかし、マージービート勢にしてもシーンが熟し切っていた訳ではなく、狂気沙汰のビートルズ人気が落ち着くと、実力の「ある」「無し」でふるいに掛けられ始めました。彼らは、成熟しきらずに世界へ飛び出したものだから成長が巧くできなかったようです。替わりに登場してきたのがマイペースに修行を重ねてきていたロンドン勢でした。実はこの頃イギリスだけでなく世界中でイギリスのポピュラーミュージックは人気を博していたのですが、ビートルズの人気が落ち着くとともに、シーン全体の人気も落ち着いていきました。つまりロンドン勢はマージービート勢の替わりにはならなかったということです。実はこれがイギリスの音楽の独自性を持っている証拠でもありました。

そうした成熟した音楽はイギリス国内(もしくはヨーロッパ圏内)でより熱狂的な人気を博すことになります。そこには、ジャンルを超越した一つの音楽、現在の言葉で言う「ロック」が完成期に入っていました。それと同時に、ロックの細分化も始まっていました。フォーク色の強いモノをフォークロック(これはアメリカから輸入した言葉のはず・・・・・・)と呼び、ブルース色の強いモノをブルースロックと呼ぶなどが有りました。

ちょうどその頃、アメリカ発のサブカルチャーであるサイケデリック文化が世界中を席巻していました。イギリスも強烈な洗礼を受けました。音楽畑ではビートルズをはじめとして、自己の音楽の中にそういった要素も融合させていきました。これが、ロックの中にある前衛性、芸術性をよりクローズアップさせる要因になりました。そして1960年代末期以降から1970年代半ばまでのプログレッシヴロック、ハードロックの隆盛につながっていきました。

これらの環境の中で、イギリスのジャズロックは一つの形をなしていきました。これまで見てきたようにロックはイギリスのジャズシーンから生まれたものでロックとジャズはむしろ不可分な存在だったのですが、ストレートアヘッドなジャズと、ロックの間には音楽性でかなりの開きがあったことは事実です。その間を埋める形ではなく、両者の美味しいところを取って、それぞれのミュージシャンによって違うでしょうが、前衛性、芸術性、大衆性などのバランスの上で自己のジャズロックを演奏していったように思います。

ビートルから始まったイギリスの音楽革命はビートルズの途中退場という形で迷走期に入るまで天井の見えない成長を遂げていくことになります。その中でイギリスのジャズロックはアメリカのジャズの革新に寄与したりもし、特異なモノとして成長していきます。この話は次の記事へ続くことになります・・・・・・。


Created: 2002/06/09
Last update: 2003/12/02

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