その2

1960年代後半から1970年代半ばまで。

イギリスのポピュラー音楽は、196年代の後半は、1960年代半ばのビートルズを頂点とする狂気的な熱狂も冷め、最先端の流行等を貪欲に取り入れながら個性的で独特な新しいサウンドを構築していきます。そこには、元々ジャンルの壁が無かった(もしくは低かった)ということから、アメリカのような国でははっきりとジャンル分けが出来てしまうような音楽でも、イギリスでは別れることが無く、特に若者の聴く音楽は、まるでジャンルの濃縮スープのような音楽が出来上がっていきました。

そのような世界に二つと無い希な音楽シーンに、沢山のヒーローが生まれ、それがイギリスの外の音楽に多大な影響を与えていきます。つまり、高度成長期の日本と同じで、原料を輸入してそれを加工して輸出していたのです。だからという訳ではないのですが、当時のイギリスは音楽的には高度成長時代だったといって良いと思います。

そのヒーローの中で一番分かりやすい形はビートルズですが、「原料を輸入してそれを加工して輸出して」というサイクルの中から生まれたヒーローの最たる人物はジミ・ヘンドリックスです。彼は国籍はアメリカ人ですが、イギリスに渡り成功したギタリストです。彼の革新的なサウンドは、彼がアメリカで属していたジャンルのブルース及びR&Bだけでなく、ジャズ、フォーク、ロック、カントリーなど、世界中の様々な音楽に彼の影響が波及したようです。アメリカのR&Bは、彼の影響云々以前に革新の時代で沢山のヒーローを生み出していました。よって彼もその中の一人と位置付けることは出来るのですが、彼が活動の拠点にしたのがイギリスということが、彼の個性を際だてたのでしょう。他のR&Bのミュージシャンと比べて影響が大きかったのはその辺が理由だと思います。

そのジミ・ヘンドリックスに注目したアメリカのジャズミュージシャンの中にマイルス・デイビスがいます。彼はジミ・ヘンドリックスをはじめとする新しいR&B(もうこの場合は「黒人音楽全体」と言い換えた方が良いですね)の流れに敏感に反応して、ポストフリーとも言える新しいジャズの創造に着手したそうです。結果それがマイルス・デイビスをジャズミュージシャンにとどまらない、イギリスのミュージシャンのようなジャンルレスのサウンドクリエーターに仕立て上げたようです。

その時にマイルス・デイビスの右腕になったミュージシャンたちが、実は、後のアメリカのジャズロック〜フュージョンシーンを支えていくのですが、その中に、ジョン・マクラフリンや、デイヴ・ホランドといったイギリス人が含まれていたことが見逃せません。つまり、これが輸出の一つの効果ということですし、マイルス・デイビスがイギリスの音楽の力を自己の音楽の創造に利用していた証拠だと思います。こうしてある程度道筋の見えたマイルスサウンドをイギリスは輸入し、60年代末期から70年代半ばにかけてのブリティッシュジャズロック黄金期の一つの糧としていきました。このあたりの貪欲さは大きな特徴といえるでしょう。

70年代の半ば少し前に設立されたヴァージンレコードあたりなどから数点のヒット作が出てブリティッシュジャズロックは、ちょうど世の中がオイルショックによって大荒れしている頃、名と実のバランスが頂点に達したようです。しかし、オイルショックの悪影響からレコード会社の体質が変化し、コストパフォーマンスの悪いブリティッシュジャズロックはどんどんレコード会社から契約を切られ、そのジャンル自体が存亡に危機に陥る事になります。ペイできない作品をレコード会社は制作しなくなったのです。

1970年代後半から

まず、なぜ不況のしわ寄せがブリティッシュジャズロックに寄ってきたかという事から話を始めますが、それは1970年代初め以降、ブリティッシュジャズロックは非常にコアミュージック化して行き、「売れる」「受ける」といったいわゆる大衆性を失ってきたということがしわ寄せの原因なのだと思います。例えば、同じようにしわ寄せの来たプログレッシヴロックやハードロックは新鮮味がなくなったという事だったようですが、それとはまたちょっと違う意味でのしわ寄せのようです。

パンク全盛の70年代後半、方向転換を余儀なくされたブリティッシュジャズロックですが、この時ブリティッシュジャズロックは拡散の方向に走ります。インディペンデントレーベルの非常に発達したイギリスならではの方向転換といえます。メジャーを捨て、個人レーベルでマイペースに活動したり、専門レーベルでアグレッシヴに活動したりしていました。

また、自己のサウンドのなかにパンク〜ニューウェイヴの要素をうまく取り入れ再びメジャーに浮上し成功を収める人も出てきます(ポリスや、再結成キング・クリムゾン、スチュワート&ガスキンなど・・・・・・)。このようなところは、ジャンルレスという柔軟な姿勢の賜だと思います。

マイペースな活動時にもブリティッシュジャズロックは発展を続け、80年代の後半にクラブシーンで再び息を吹き返します(いわば、振り出しに戻ったという事ですね)。多分、アメリカのジャズがヒップホップなどと呼応して新しいステージに突入していったのと同じ様なものだと思うのですが、過去の資産を再利用するジャズ、つまりアシッドジャズを生み出していきました。90年代以降は、テクノの要素も貪欲に取り入れ、最先端のデジタル化したジャズと、旧来のジャズをクロスオーヴァーさせていったのでしょう。そこからブリティッシュジャズロックは暗黒の70年代後半から80年代前半の乗り越え再び音楽業界の第一線に立つわけですが、何せ、マイペースに活動する人たちばかりのせいもあり、60年代後半から70年代前半の時のようなムーヴメントにまでは至らないようですが、間違いなく現在もイギリスの音楽の底辺に着実にうごめいています。

そういう意味では、これからが楽しみな未来ある音楽ジャンルという事になるでしょう。後は、若手ミュージシャンの台頭に期待です。


Created: 2002/06/19
Last update: 2003/12/02

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