しかし、
切羽詰丸とはいわば世を忍ぶ仮の姿…。本名ではおじゃりません。
「だーれもしらないしられちゃいけーないーー 切羽詰丸はだーれーなのーかー
なにもーいえなーい しられちゃーいけなーい 切羽詰丸はだーれーなのーかー
ロックの世に愛がーあーるー ロックの世に夢がーあーるー そのうつくしいものを
まもりーたーいためーーー 今日もどこかで切羽詰まる、明日もどこかで切羽詰まるーー」
(このアニメ今の10代の人は知らんかも)
切羽詰丸の正体とは誰なのか?果たして… 乞うご期待ください。
Davidを知ったきっかけは、あまねく有り体な話ですが、当時関西で放映されていた
クッキーのポップベティーハウスという音楽TV番組で、多分サーペンスの
“HERE I GO AGAIN”が最初だったかと思います。タウニーとべたべたしてた時の
Davidです。でもその時のファーストインプレッションは流石に憶えていません。
もう15年位昔のことになるのかあ、感慨深いものがありますね。
それから“SLIP OF THE TONGUE”に陶酔していった後に過去に遡ってあの4枚組
ベストアルバムに出会ってこれはえらいこっちゃやと驚嘆し、当時たしか“唯一無二”
っていう楽曲の雰囲気と無駄がなく聞き手がいか様にでも自分の心を投影できる所
を楽しんで聞いていた記憶があります(この時点で数年経過してる)。
時を同じくしてパープルのボーカリストであったことを知り無論これも買いあさりま
した。よくパープルのライブでやった“GOING DWOUN”の駆け引きのうまさは大好き
でした、演奏者が互いに刺激しあう中で自分(内一人の演奏者)の居場所をいかに
見つけ出すか。この周りを生かすことによって自分を生かす、それで可能性が広がる
様ってパワフルで魅力的です。ドキドキします。これに比べ世の“争い”は不毛で
うんざりです。ほんとの勝負って負けて勝つことにあると思われます。
この哲学(芸術)は昔のガキんちょのころの僕から一切不変で維持してます。
細かくやパワフルに感じる仕組みなどは長く長くなるのでまたおいおい。
David周辺については通り一遍の知識はあります。その他ロックについても。
でもWSは決してDavid独りの力ではないと思ってます。Davidを礼賛するつもり
も有りません。礼賛したいのはこの文化です!。
[2002/06/04 20:18:19]