DIARYofA MADMAN(2011.8-12の分)
Dec.31,2011
12月19日(月)、長野県白樺湖畔にある「池の平ホテル」に父、妻と泊まった。
今年4月に母が泊まろうとしたが、症状が思わしくなくなり断念したホテルである。
父は2年前まで長年山梨で働いており、よく通院していた山梨の病院で内臓の手術を予約するため、妻と同行して白樺まで足を延ばした。
私は白樺湖近くは以前スキーなどで何度も来たことがあり、とても懐かしかった。
今回母の魂も付いて来てくれたと思うが、肉体に宿っている時に連れてきてあげられなかったのは残念だった。
母が症状悪化で入院した時、また亡くなった時沖縄にいて、母には本当に申し訳ないことをしたと思う。
亡くなっても母が必ず見守ってくれていると分かっていながら、生身の母がいないのはとても寂しい。
今年は妻と沖縄で暮らし、母が亡くなりと大きな変化があった。
来年は心機一転と考えているので、また大きな変化がありそうだ。
今年もたくさんの方々にお世話になりました。
喪中のため新年のご挨拶は控えさせていただきます。
Nov.29,2011
昨日28日、母の百か日の法要を埼玉の墓前で行った。
一通りの儀式が滞りなく行えてほっとした。
10月8日(土)には、四十九日の法要を埼玉で行った。
お寺でお坊様のお経が唱えられている間、母の遺影を見ていると、だんだん笑顔になっていくのが分かった。
死んだことが分かって、楽になったんだと思う。
そして、10月11日(火)に父・私・妻とで長崎県大村市のお寺に行き、分骨を行った。
母は実家の墓に入ることを希望していたので、一安心しただろう。
昨日、墓前でお坊様がお経をあげている時、お墓の周りが白い霧で包まれたように見えた。
法要の後、夢に出てきて食べたいと言っていた店のかんぴょう巻とおにぎりを買い、仏壇にお供えした。
母は必ず見守ってくれていると確信している。
Sep.20,2011
私が沖縄に戻っていた8月22日(日)15:22に母が埼玉県川越の入院先で亡くなった。
乳がんからのがんの全身転移による衰弱だ。
父から電話で知らされた。
急変して臨終には誰も立ち会えなかったそうだ。
8月7日から15日まで病院で会った様子からすると、まだ数週間は大丈夫だと思っていた。
8月26日が那覇市のマンスリーマンションの退去期限で半年分の荷物片づけをする必要があり、また沖縄の病院で胆のう摘出後の検査があったから直ぐに帰ることはできなかった。
よって通夜や23日(月)の告別式に出られず、母には申し訳ないことをした。
約3年間きつい闘病生活をし、肉体から離れてやっと痛みが取れた母にはゆっくり休んで欲しい。
それから、母は必ず見守ってくれていると信じている。
8月27日に東京に戻ってから、時々妻と埼玉の実家へ行き父の手伝いをしている。
人が亡くなるといろいろな手続きがあるし、荷物の整理がある。
母が育った長崎県大村市に母の姉たち親類が住んでいて、先祖代々の墓がある。
10月8日(土)の四十九日後、11日から13日に、父・私・妻の3人で分骨をしに行く。
Aug.16,2011
8月7日(日)から昨日15日(月)まで、東京へ戻っていた。
東京(調布市)、埼玉(実家のふじみ野市、母の入院先の川越)は異様な暑さだった。
モアッとした暑さの空気が停滞しているような感じだ。
それに比べ、沖縄はたいてい風が吹いているので、体感温度が低く涼しく感じる。
日ざしは強烈だけど。。。
今日は、那覇市はとても暑かったそうだが、東京と比べれば全く問題に感じなかった。
今日は先月の採血の結果を聞きに、7月の入院直前に診察してもらったクリニックへ行った。
入院先の沖縄協同病院とは別の胃腸科で腹痛の調査のため採血をしており、ヘリコパクターの検査もしていたのである。
問題なしとの結果で、これで胃については一安心。
あとは腸の検査もしっかりしなくては。
緊急入院で腹痛の原因は胆のうだと分かったことを報告すると、ドクターは謝っておられた。
胃カメラとエコー検査だけでは、胆のうの炎症は見つけにくいようだ。
もう少し腹痛を訴えれば、CT検査でこのドクターに胆のうが原因だと見つけてもらっていたと思う。
どうも私は痛みを我慢してしまう性格のようなので、入院してからは我慢しないようにしている。
まだ腹痛が時々あるため、18日に沖縄協同病院でCTの予定である。
Aug.5,2011
昨日4日から沖縄は大型台風9号に襲われ、今日は外出できない。
外からは関東では聞いたことがない暴風雨の音がし、ドアや窓が怖くて開けられない。。。
3月の震災後、東京でも毎日余震があったので妻が体調を崩してしまい、3月20日に沖縄にやって来た。
それから今まで那覇市のマンスリーマンションに滞在している。
沖縄では環境が改善したため妻の体調は良くなった。
私は5月から時々腹痛がしていたが、何箇所かの病院で原因がはっきり見つけられなかった。
7月2日(誕生日)の胃カメラ検査の結果、機能性胃腸症と診断された。
しかし翌3日の深夜、激痛がして救急車で搬送された沖縄協同病院で、胆のうが原因と診断された。
そのまま入院し、胆のう切除と総胆管内の胆石を砕く3回の手術をした。
炎症が強くて肝臓に胆のうが貼りついており、胆のう切除の手術は時間がかかった。
7月19日に退院したがまだ時々腹痛があり、経過観察のため通院している。
2週間以上と入院期間が長かったため、すっかり筋力も体力も落ちてしまった。
そう言えば昨年初めから時々腹痛があり、年末も痛みが強く、機能性胃腸障害と診断されていたが、胆のうが炎症していたのかもしれない。
那覇市のマンスリーマンションの契約は今月26日までで、東京へ戻る飛行機チケットも予約済みである。
そんな中、母の様態が急変したため、あさって7日に一旦東京へ戻ることにした。
しかし、マンスリーマンションの片付けをするために、また沖縄に戻る必要がある。。。
できれば環境が良い沖縄に永住したい。
聴いたもの
「The Year Of The French」/The Chieftains
「Derek Bell's Musical Ireland」/Derek Bell
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