フラワーヒルを訪ねて
河井 洋
(始めに)
フラワーヒルと言う、既設の福祉施設を兼ねた養鶏所の経営を幼友達の「八木博」さんが、引き受けたと言う。
八木さんと私は、1643年生まれで、中学二年まで同じ同じ学校にいたという仲です。
私達の生まれた町は、「静岡県島田市」と言いい、歴史の教科書にでてくる、江戸時代の東海道の五十三宿の一つで、「越すに越されぬ大井川」の東岸にあります。
八木さんは、中学の二年の終りころ、勉学の志をたて、東京に出てしまい、その後、顔をあわせたのは、二十年後の三十四歳。
小学四年の時、大変お世話になった先生をかこんでの同級会の席です。なんと、八木さんは、大学の先生になっており、お嫁さんは、同窓生の「板津」さんの妹さんとのことでした。『学者仲間の妹もらい』、と言って笑っていました。
以来三十余年、賀状を除いて親交はなかったのです。それは、私が、島田在住の同窓生と、親交を持たなかったからです。
去年、私は、二冊の本を自費でだしました。一冊は、詩集ですが、もう一冊はエッセイ集です。それを八木さんに送ったところ、小・中学時代の友人に転送していただけ、彼等と、はからずも、再会できたのです。
この七月、島田市の「大井神社」結婚式場「みやびでん」内の喫茶店で、同窓生の何人かに会うことがかないました。ほんとうは、その席に、八木さんもいるはずでしたが、あいにく、よんどころない事情ということで、こられず、残念。それで、今回、〇九年十月四日の、フラワーヒル訪問となったのです。
(ワー わからない!)
まあ町名まで判っているから、現地に行けばなんとかなるだろうと、三日土曜の夜にスタート。大阪-堺から、高速道路を乗り継いで途中何回かサービスエリアで仮眠、明け方、甲府に到着。「上帯那(かみおびな)」と言うところまでは難なく到着。
結局、それから先はよくわからず、八木さんたちに、迎えにきてもらい、三十余年ぶりに再会。
大人しい甲斐犬が出迎えてくれました。
八木さん、ちっとも変わってなかった。私の方は、「禿げ上がった頭と、出っ張った腹」。
(何故に)
大学教授だから、再就職先だって、引く手あまただったろうに、と、思ったものです。
こんな「清水の舞台から飛び降りる」ようなことをよくやるなと、ビックリしたものです。
並大抵の決意ではできない。それを「ヒョイ」と飛び越える力の源泉は、なんなのか。
(青い卵のような)
養鶏については、山間によくある養鶏所の典型です。
ここでも、やはり特記すべきは『八木博』と言う人物のことです。
彼は、十人あまりの従業員の一人一人を私に「○○さんです」と紹介してくれました。
人の名前を覚えるのは八木さんの職歴からくる得意としても、その紹介する時の(従業員に対する)やわらかく慈愛のこもった口調と、彼等の屈託のない態度は、私が受け取った、なにものにも代えがたいお土産でした。
付け加えれば、このことさえ確認できれば、私の知りたかったことの大半は終っています。
アンデスが育んだ鶏の「アローカナ」と言う種が、青い殻の卵を産むのです。透明感のある、なにか、奇跡を生むのではないかと思うに十分な美しい卵です。ここ、フラワーヒルでも産出されます。
木陰で、ふと、八木さんの目が青く見えたのです。
また、覗きにいこうと思います。
静岡県の島田市と言う市もいい町です。
2009年10月末。
フラワーヒルのホームページです
http://homepage3.nifty.com/flowerhillfarm/