私たちの古い詩友、福森慶之助が、詩を離れ、劇団に入ったことを聞いたのは随分以前の話だ。
彼はずっと、身体による自己表現を続け、昨年は、一世一代という公演も見られた。そして、逝ってしまった。 良い人生だったと思う。彼を支えてくれた劇団の存在を、友としてありがたく思う。
劇団態変のページ
最後に登場して来た私たち
福森慶之助

もう幾度めぐって来た季節なのか。小春日和 のなかを母の背で聞いた言葉。「桜が咲いた ら、学校へ行けるよ」。桜が咲くまでには年 を越し長い寒い日々を潜り抜けねばならない。 校門の内に入ったことのないランドセルを抱 きしめ、吹雪く夜を過さればならない。トモ ちゃんやケンちゃん達と一緒に学校へ行ける と思っていた少年。自分だけが置いてけぼり を喰っていくなかで、他人との違いを思い知 らされていった。その違いゆえに校門を潜っ てはいけないとは、どうしても呑み込めない まま、父や母に名状し難いうっぷんを時には ぶつけ、楽しい夕食は父の怒号を背に浴びな がら、ぶちまけたカス汁の大根の身が散らば る畳の上につっ伏していた。
−−学校はみんな仲良く勉強したり遊んだり する所−−。少年の画いた学校は〈競争社会 により良く適応出来る労働力を選り分ける場 所〉であることに気づくには、それから二十 年以上も歳月が必要だった。
 ビルの谷間に車イス、自い杖、松葉杖と隊 列が進む。シュプレヒJ1ルがこだまする。 胸と背にあるゼッケンには、幼い日のあの夕 食時の涙を乗り越えた逞しさや校門を潜れな かったランドセルを抱かされつづけた怒りが ある。養護学校の高い塀のすき間から脱走す ることばかり考えて過した幼い日を語った仲 間が、道行く人たちにビラを配っている。み んな幼い日に教育の「保安処分」を受けた身 だ。養護学校という「アパルトヘイト」を義 務化しようとする行政への怒りの行進は進む。 私は仲間とともにシュプレヒコールを叫ぶ。 立ち止って松葉杖をふりかざし、ビルの窓々 から見おろす人々に叫ぶ。
 都心の冬空は凍てつき雪が時折ちらつく。 シビンをぶら下げた車イスもいる。労働者、 女性、黒人、不可触賎民、被差別部落の大衆、 そして第三世界の人々が次々と立ち上ってき たそのしんがりに障害者が登場した。長い人 類史の一番奥深い暗部を切開してみせるため に登場してきた。
 私たちの隊列は官庁の人口でねばる。夜行 バスで上京した疲れか空腹と寒さのためか、 時々意識がうすれそうになる。官庁人口の五 ・六段の階段、官僚たちがスクラムを組んで 立ちはだかる。私たちはじりじりと迫る。屈 強の男たち数人が両者の聞に割って入った。 隊列が押し戻される。いっせいに湧く喚声、 私服がシャッターを切る、シビンが空を切っ て飛ぶ、ダブルの背広が濡れた。
−−−当省始まって以来の侮辱だ−−− 一段と昂まる喚声。寒空の下、幾十年と何時 もワリを喰い待たされつづけた私たちに、そ の男は血相を変えてどなりつづけた。
 養護学校義務制がはじまり三年がすぎ「国 際障害者年」が訪れ、お祭りさわぎに上すべ りするマスコミに逆ってより一層のだたかい が組まれた。たたかいの隊列が組まれる度に 屈強の男たちの広い肩幅におし戻される。そ の男たちのうしろにいつもジュラルミンの盾 をかまえたロボットの一隊がいる。ついに仲 間の一人が捕まる。罪状、「凶器準備集合罪、 三十センチの鉄パイプ四本を所持する罪」四 本の鉄パイプとは、彼の眼とも足とも云うべ き折たたみ式の白い杖だった。
                (82年8月) 福森慶之助第二詩集『かびたランドセル』          1987年刊に所収