早く小沢を切れ(2010年12月10日)
何でグズグスしているのだ、早く切って捨てろ。
この20年、彼の存在が邪魔だったのではないか、
そうであるなら、彼を切って捨て、ついでに左右のめんどくさい人たちも切って、保守中道が全部あつまればよい。
管はダメだった。腹がすわっていない。また社民党などをひっぱりこもうとしている。
朝日新聞にも困ったものだ。中国が善意の国であるかのごとく書きまくっている。

もっとも、二大政党は難しい。最低に絞って問題が二通り、立場がそれぞれ二通りあって、つまり組み合わせは四通りあるからである。
@ 親米・小型政府
A 親米・大型政府
B 非米・小型政府
C 非米・大型政府
ただ、断定的に言えば、小澤、鳩山、はCに属する。
管や仙石は、結局、立ち位置が定まらない。前原、岡田はどちらかと言えば@で、自民党に一番近い。
自民党の人は、本来@であるはずだが、政府にやたら仕事を作れと要求するから、Aもいるし、親中国派も多いからBもCもいる。

これまた断定的にものを言えば、国民の最大多数はAであろう。もっとも中・米との距離感、政府の大きさについてはその水準が「程度もの」である。
ようは、「アメリカとは今まで同様にべったりでよいが、中国とはより慎重に、表面的にはトラブルなしでいきたい。」と言うのが多数派の本音であろう。
また国内政策では、かなり大型政府を望んでいると思われる。
ただ、財界は小さな政府を望んでおり、そうでないなら、海外脱出すると言っており、現にそうしている。マーケットの大きさと人件費の問題で親中国派が多いのも財界の特徴である。それなのに、アメリカともめごとがあるとすぐに政府を責めるのである。財界もこまった存在である。

中国とは当分ひややかな関係でよい。日本は中国に対してきわめて紳士的にふるまい、すきを見せないことである。
尖閣諸島の周りには海上保安庁の大型巡視艇をびっしりと配置し、自衛隊は前にでなければよい。
領海侵犯があれば、粛々と拿捕すべきであり、抵抗があれば舟ごとしずめればよい。
ごぞんじと思うが、海上保安庁が自衛隊に属していないことは、これらのトラブルが、則、戦争につながらない装置である。先進国のそれは、そういうものである。日本の海上保安庁は、警察にも属さず、国土交通省に属している。えらく遠慮した存在である。各国、沿岸警備隊とか、国境警備隊とか言うのがそれに該当する。

日本の生命線としての基本的な立場は、沖縄の米軍基地をクソ握りに握って離さないことである。沖縄県民が唱えていることとは、全く相容れない性質のものである。
基地反対活動は、絶対反対を条件闘争に切り替えるべきである。
「ころがし方式」など、都市再開発の手法もってすれば、基地と居住地区の切り離しなど数年でできる。そうした中で絶対反対派をあぶり出し、沖縄に絶対反対派がおれない雰囲気をつくりだすことである。

小泉元首相がめずらしく巧いことを言っている。
「民主党が政権党になってよかったのである。なにがよかったと言えば、アメリカとうまくやらなければ何もできないと言うことが民主党にも判ったからである。」この筆法で共産党も変えることができないか?もっとも社民党は変わらなかった。ダメなものはダメらしい。


こんなことが、政権をとらないとわからないと言うことがおかしいのである。
鳩山とか小沢は、どこまで馬鹿なのか、こんな馬鹿を民主党が担いでいることが民主の子供じみたところである。はやく切って捨てることである。

小沢・鳩山を切って、たとえ半分になって、政権党でなくなってもいいではないか、まとまって自民党にころがりこんでもよいのである。
とにかく、危険な親中国派の面々を今は排除すべきである。
とにかく、中国が、武力を背景に、隣国を恐喝する国家であることがわかった。
戦争になり、通常戦力で劣色がはっきりしたら、躊躇なく核兵器を使うとの中国サイドからの報道もある。非常に恐い隣国である。
しかしながら、その恐さこそ、「国家」の所以である。戦前の日本しかり、現在のアメリカしかりである。これが普通なのである。
日本国憲法の前文は、夢でしかない。国家とは暴力装置を独占している存在なのである。世界とは、そういう暴力装置を独占している国家というものの集まりである。
だからこそ、中国とは、君子の交わりで行くべきである。
怒りに任せてドンパチすることを避けたければ、経済的な深入りも極力避けることである。へんな理想主義からくるおもいこみを捨て、冷徹にものを見ることである。
「不受布施」や「遠交近攻」とまでは言わないが、「淡交」ではあるべきだ。
(終わり)