小澤的なるものを排除せよ
   国策捜査の何処が悪い
            河井洋
 世間で国策捜査なるものがどのように受け取られているか、よくは知しらないが、日本国のためにならない、あるいは、「そんなの日本人じゃない」と言う輩を排除しようとする、あるいはそのようにもとれる捜査であろう。 かようにとれる人間の微罪を追及し、社会的に抹殺をはかるかのようにとれる捜査であろうと思う。決して現政府の意向に沿った捜査と言うわけでも、憲法違反を摘発しようと言うわけでもないのである。

 この「日本人ではないかのような人間の振る舞い」についてであるが、先年、「ホリエモン」なる人物の捜査の際に云々された。 今回は「小澤一郎」である。「東北一円の公共土木工事の談合組織」に「天の声」を出していた人物とされる。ほんとかどうかは知らない。
今から五年前、大手の「公共土木工事の談合組織」は壊滅したと思われるから、それ以前のことであろうか。それとも、小澤の影に怯えている建設業者の一方的な振る舞いだったかもしれないが、とにかく小澤側に、公共工事がらみで資金が流れていたのであろうと言うのだ。これは国費であり元を糺せば国民の血税であると。

(小澤的なるものの恐怖について)
「西松さん、岩手の方の人が挨拶が無いと怒っていましたよ。」
これはインターネットに流されている、「鹿島」幹部が、ナントカダム入手に関して、西松幹部に耳打ちしたと言う台詞で、「特捜」から流れたと言うものである。そして慌てて「西松」は億に近いものを持っていったのだと言うのだ。

建設業者側から言うと、小澤側は談合の仕切りもやってくれないし、天の声もだしてくれないが、お金を持っていかなければ、なにをされるかわからなくて恐いと言われている。
  それが恐くて、お金を持っていくことが、不文律になっていたと言うのである。 不文律に反した行動をとった場合、ほんとうはどのようになるのか? かもしれない小澤の意向に反した行動を、だれもとらないから、ほんとうのところは全くわからないのである。

恐怖の実態とは、かような実態を把握できないものである。どのような仕打ちが待っているのかわからないから恐いのである。ましてや、ひょっとして暴力団が絡んでいるかもしれないのである。

(かつての談合組織)
談合やぶりをしても、個人の命がねらわれるようなことはないとは思う。ほんとうのところはだれも知らないのである。所詮は恐怖は幻想であろう。しかしながら、幻想が実態を持つことが、たまにはないと恐怖は長続きはしないのではないか。いや、こんなに長続きをしているところを観ると、(会社の存亡だけでなく)本当に恐怖すべき実態があるのではないかと思われたのである。
注 和歌山では公共工事入札に絡んで、拳銃云々の事件が報道されたことがある。

談合組織のメンバーは業界では「業務ヤ」と呼ばれる。「業務」なる言葉は「仕事と同意義」である。即ち、公共土木工事は、談合だけが仕事で後は淡々と消化するだけである。もっとも、実際に工事をするものからみれば、談合など知らない世界のことである。
そこに、「政治ヤ」が食い込んできたのであった。

仕事が潤沢にあった時代、談合が政治ヤの「餌」になることはなかった。談合組織とは、かような時代、「うまみのない仕事を、どこにやらせるか」と言う組織でもあった。そうして、発注者側と折り合いをつけてきたのである。

談合の「仕切りヤ」は、美味しい仕事と美味しくない仕事を抱き合わせて、不平不満のないように配分してきたのである。その名声を左右したのは、いかに公平に仕事を分配したかであったと言う。
なにより、仕切りヤの出身社から必ず、「他社ばかり優遇して、自分ばかりよい子になって」と言う声がでるであろう、それを無視しうる人物でなければならなかった。

高度成長期のような、土木を主とするゼネコンの時代は、この日本では終ったのである。規模縮小、統廃合をすみやかに行い、業界全体を適正規模まで縮減しなければならないのであろう。そうすることだけが、業界をして「小澤的」なるものからの脱出を可能とするのであろう。

「小澤そのもの」は、早晩、検察によって排除されるであろう。
しかしながら、本来、「小澤」とは自民党の一番中心にいた人物である。小澤を潰したら、民主党がコケタがあってはならないのである。この程度のことが、国策捜査と呼ばれてはならないのである。

今回サブプライムローン破綻をきっかけとした世界大恐慌的な経済不況に際し、日本の銀行が「ババつかみ」をしなかったのは、日本のバブル崩壊時の金融業界に対する、国策捜査の余韻が残っていたからでもある。
もっとも、アメリカの今回のバブルがもう半年持ったら、辛坊しきれず、ババつかみに走ったかもしれないとも言われている。

(マジョリティの考える日本、日本人とは)
@ 日本人は実直であるべきだ。日本の国家はそのように運営すべきだ。
A 個人の経済格差は、共産主義と間違えられるくらい小さいほうがよい。
B 権威・権力・財力の三権分離。
C アメリカとは同盟関係。中国・ソ連・韓国とは極力かかわりをもたない。

このわずか四条だけでことすむ。@には勿論、虚業を嫌い、浮利を追うことを厭うこと含むものである。勿論ワイロをとるなどと言うこと言語道断である。

しかしながら政党を眺めるにどの政党も一項目は欠けるのである。

民主はCが明確でない。しかも内部に小澤のような@で問題を抱える人がおり、前川、岡田などはどうもAに問題があるようである。
自民は、小泉さんの時、@とAで失敗した。しかもBで天皇制にイチャモンをつけてしまった。
 共産党もCが問題であり、これだけで多数派になれない。しかも、Bにもかなり問題を抱えていて、歴史的に前衛を名乗り、権威主義的であった。

(国策捜査とは)
 多分、国策捜査とは、このような観点から行われてきたのであろう。もちろん、検察は実定法にのっとって行ったにすぎない。
ただ、どこかで、この四か条を取っ払うと「日本が持たない」と言う統治エリート層の意志が働いたかもしれない。そういう憶測がマスコミの側にも働くから「国策」と呼ぶのである。国策捜査よばわりするのは、それが「国是」だと言う共通の認識があるからである。
前述の四か条は成文になっていないが、成文憲法より強固である。

 ホリエモンは@とAでやられたのである。
真の保守は、@Aを求めるはずである。それでないと、オールオアナッシングで、戦争待望論、治安悪化を招くからである。
D は歴史からくる智慧である。大陸に手を出して大失敗したからで ある。特に朝鮮半島を併合して、長く恨みをかってしまったことに忸怩たる思いがあるからである。よかれと思ったことが裏目にでたから、もうコリゴリなのである。できたら貿易すらやりたくないのである。満州国の設立、中国への侵略は道徳的に完全な誤りであった。
ただその非を欧米人からだけは言われたくないのである
まさしく、「おまえがそれを言うのか!」なのである。
中国が日本と戦うにおいて、本来の敵の英米と同盟したのは、勝つための正攻法であった。孫子の兵法以前の全くの常道なのである。
この段階であの戦争は負けていたのである。

現在、日・米間がギクシャクしているのは、日本人の本音を飛び越えて、中・米が懇ろになっているからである。だから、しかたなしに大陸諸国とも日本はつきあうはめに陥ってしまったからである。
かつて、中・日の友好を図ろうとして活躍した人は、アメリカに逆らい、「国是」とも戦う「士」であったから、それなりに尊敬もされた。しかしながら、中国と敵対していたアメリカの方がそれを上回るようになれば、対抗上、「小澤訪中団」にならざるをえない。小澤も又「士」の側面を持つのである。

竹中平蔵先生の失敗は@とAを軽視したところにある。天皇家が存続できているのは、相対的意味において、この@からCまでの全てに合格しているからである。
日本の「セイント」の代表は、今も西郷さんと「宮澤賢治」、それも「雨ニモマケズ」における賢治なのである。もちろん賢治はCとは無関係の時代の人であるしBとは全く無関係の詩人であった。

こうしてみると、前述の四か条は、だれも書かないが、的を射ているように思う。
勿論、各条とも、三分の一程度の人は、反対であろう。特にCは、前半はよいとしても、後半に異議を唱える人がむしろ多数派と思われる。それはそれでよいのである。これは「鏡」だから、そういう人が多ければ変わり得る要素なのである。
従って、「国是」を厳密に考えれば@からBまでである。しかしながら、@とAはアメリカと、実際の政策で対立することが多いと思われる。従って、Cだけは掴んで離さないことが、肝心なのである。それがどうも小澤さんには分からないようである。沖縄基地問題をスキットさせてからなら、大訪中団も結構なことだったのである。