堆積層 目次
その中に私は入っていますか(事件) 小田悦子
米軍さん、いらっしゃい
リ・トンギ 日原素人
父よ母よ 永井ますみ
潮の岬 小田悦子
「共有」 滝 悦子
ワタの花 清水一郎
帰宅 佐藤暁美
命日 丸山全友
私は有罪です 小田悦子
修羅がおわらない 小田悦子
問題だ 加納由将
ロッキーは終わっちゃいました 小田悦子
くるまえらび 河井洋
一人でいるときに 小田悦子
その中に私は入っていますか(事件) 16,08,29
 
小田悦子

誰の命も尊いのにって
生まれたことを喜んだ親もいるのにって
その中に私は入っていますか

みんなのものだから 触っちゃだめ
みんなの場所だから 騒いじゃだめ
いえ ここは みんなの 楽しい広場
笑って 笑って 歌って 歌って
その みんなには 私は入っていますか

辛いことは誰にでもあるって
耐え難いことは誰にでもあるって
その中に私は入っていますか

みんながそうだとしても
誰もがそうだとしても
私一人ではないにしても

それが なにか?

みんながに 誰もがに からめられて
みんなのなかには居場所がなくて
私のなかには魔王が育つ 
いつか魔王は私を食べる
一般論が身を責める

誰の命も尊いのにって
本気でそんなこと 思ってますか
その中に私は入っていますか
米軍さん、いらっしゃい09,12,3
 
小田悦子

沖縄の人たちが そんなにいやがるんやったら
大阪へ いらっしゃい
関空 使こたら よろしいやん
府庁も 使こたら よろしいやん
大阪城も よろしいで

私ら 関空 欲しいなかった
伊丹の人らが 空港はかなん 言うよって
夜は 寝えたいて 言うよって
ほんで 関空ができたんや
けど 飛行機が飛ばんかったら
伊丹の街も 淋しいなって
それも かなんて言わはった
なってみな 分からんかったんや
振り回されるのんはおんなじや
押し付けられるのはおんなじや
国際線も 国内線も みな持って帰り

沖縄の人たちが
基地のない島で きれいな海で
三糸で踊って暮らせたら
私ら 嬉しいで
平和学習で 修学旅行 行かんでええしな

かめへんで おいなはれ 米軍さん
たこ焼きはメリケン粉で焼きまんねん

皆が いやがっても 大事なことなら
誰かが 引き受けなならんことなら
引き受けましょやおまへんか
損して得とるのが大阪やで

沖縄の海は きれいやないと あかんのやろ
大阪の海は 悲しい色やねん
それでも大阪は 笑えるねん
心配せんとき

リ・トンギ2013,01.07
 
縁あって、神戸市にお住まいの「日原素人」さんというご高齢の方から、詩作品を頂戴した。
お手紙によれば、氏は1927年生まれ、敗戦の年18才とあります。
いろいろな人生経験を踏んだ方で、長く詩を離れていたとのことです。
しかしながら、その空白を少しも感じさせぬ佳品であり、ここに紹介いたします。
(改行等、一部原作と異なる部分があります。)
リ・トンギ
日原素人

リ・トンギ 日本名 タカヤマテツオ
私は小学生で テツオさんと
呼んでいた。
テツオさんは学校に行かない。
だから年はいくつかわからない。
内職を手伝ったり、子守をしていた。
内職で仕上げた製品を
リヤカーに積んで一里程はなれた工場迄はこんだ。
そのリヤカーで死んだ児をリンゴ箱につめて、
焼場迄運んだ事もあるという。
私は一緒に引いたり押したりしてずっとついて行った。
その時 おれの本当の名は
リ・トンギだと教えてくれた。
トンギの家は崖下の
一間(ひとま)だけの家。
“あがれ”といった。
“これが本当のキムチよ”と言った。
ザブザブの中に白菜が浮いていた
“キムチは汁をたべるんだ”と言った。
“汁には魚の栄養がいっぱい
入っているからな”と言った。
トンギのおふくろさんは一言も
しゃべらなかった。
片膝たててじっと坐っていた。
トンギのお爺さんは長いキセルでタバコを飲んでいた。
お爺さんも一言もしゃべらなかった。
私はだまってキムチをたべた。
トンギだけがしゃべっていた。
ある時トンギはけんかをしてきたと言った。
けんかの仕方を教えてやると言った。
下を向いてだまって立て。
つばをためて待つんだ。
相手が近づいてきたら
顔につばを吐け。
ひるんだ隙に鼻をめがけて
頭突きするんだ。それで一発よ。
私の知らないトンギの世界。
その世界でトンギは私に手を貸せとは決して言わなかった。
私の一家は長屋から一戸建ての借家に引越した。
隣の町にすぎなかったが
トンギは急に遠くなった。
そんなに遠くはないのに遠くなった。
それでもトンギはさかいを越えて遊びに来た。
だがそれは数回で終わった。
河原で東京音頭があったとき一緒に踊った。
それが最后だった。
あの時トンギは笑っていた。
本当に笑っていたよな。
それが最后で
トンギはいなくなった。
一家は消えた。
行先はわからなかった。
誰に聞いてもわからなかった。
トンギよ、 あの時本当に笑っていたよな
なあ、トンギ

父よ母よ2011,12,6
 
永井ますみ
ラバ

ラバ(騾馬)は、ロバの父と馬の母をもち、
自らの子孫を作ることができない。体が丈夫で、荷役には適している。時々歩みをとめて潤んだ目を空に向け「お父さん」と呟くことがある。

道は白く何処までも続いていた

傍らを子どもたちが行きすぎ、トラックが走っても、私をふり返ることはなかった。首を振り、足音を立てて、真っ直ぐ進むしか、私には道がなかった。そうやって何年の月日を歩いただろう。父も母もすでになく、私自身の道もすでに閉ざされようとしている。

波打ち際で

浪が囁いている。マザー マザー マザー。覚えたての英語のように繰り返す。たまにはお父さんも呼んでおくれ。子蟹が泡を吹く。ファーサーーー。とびっきりの優しい風が子蟹の泡をさらっていく。ファーサーーー。

子蟹が隠れる小石の陰

縁側の、月夜に濡れる水槽の中から、微かな呼び声が聞こえる。「ファーサー」蟹が鳴くもんか。突っ込んだ指先から水槽に吸い込まれて、私はひとつの小石になってしまった。それからは水の中で、私が鳴いている。「ファーサー」私がいくら鳴いても振り向く者はいなくて、水は夜毎に濁っていく。


潮の岬 2005,10,8
 
小田悦子

東京都練馬区光が丘公園のやまももの実が
至酔飲料を甘く色づけて
潮の岬、風舎(かぜのいえ)のひとときのにぎわいに参加している
種子は遠く運ばれるものだ
ログハウスの梁と、鯨とりの銛の先と、
蜘蛛は身じろぎもせず聞き耳を立て
今日は肉体を持って来れなかったメンバーが
誰よりもはしゃいで場を占めている

歌えよ
語れよ
命の またけん ひとよ

私の貧相な肉体は、
私が霊魂を信じないからからっぽで
「ちょっと貸してよ」がことわれない
変に浮かれているのは
久しぶりが 累乗だから?

種子は遠く運ばれ
詩は遠く
唇からかたつむり

窓の外は 猫の会議
生きながらに赤いカニが歩き
黄色のヘビも這い出した


「共有」 2007,5,14
 
滝 悦子

坂を上がりつめると
運河があった

面会謝絶
高い所にあるのに くっきり読めて
ポプラが成長するのはこういうことだと
Aの手紙を思い出す
(だれ?)
彼らの視線にさらされながら
眠っているAの
固く握り締められた指を
こじ開けるが
どうしても薬指が開かない

彼らのテーブルで
皿が配られる音
指を揃える音
箸置きがずれる、と
いっせいに立ち上がる
高い天井の蛍光灯が切れていて
梯子を上がりかけると
Aの喉元から赤い傷跡が見える
泣くやつがあるか
髪を撫でられるたびに
Aの指が確実に磨り減ってゆくのがわかる

きょうも、優しい言葉をかけられなかったが
とうに汽車は着いて
行先は裏返された
運河に沿って
旗が並んでいるよ
もうじき選挙がはじまるね
雲の名前を思い出せなくて
はじめから知らなかったかもしれないと
Aに打ち明ける
(なぜ?)
声もなく問うのは決まって彼らだ

テーブルを囲んで
彼らはそれぞれの線を引く
乗り継いだ駅はどこかと近づくと
いっせいに手袋を投げ捨てる
窓にちらつくポプラの葉影
運河の水を掻き分けて
一台の車がやってくる
あんなに浅いのに
汽車が向こうにいるのはどういうことだろう

Aは眠っている
Aが眠っている
「夜凍河」7.より 
2006年5月 発行


ワタの花 2006,5,17
 
清水一郎

クリーム色に咲いて
あくる日には薄紅色
昼なかば もうしおれている
一日咲きの
芙蓉に似るが
花のあとに桃をそだてる
秋には桃がはじけて
白いワタがあふれでる

ふくよかで
根気づよく
つつましい
色白の母のおもかげ

母の名はイトコ
祖母は ツギ
曾祖母はコユキ

何のえにしぞ
わが家の庭に
つぎつぎひらく
ワタのはな
詩集 「ワタの花」より 
2006年3月1日 発行


帰宅 2006,3,15
佐藤暁美

橋を渡ると
青い雪の中
村は
ひっそりと 沈んでいた


黒い手袋のきつねが
ほのかなあかりをめがけ
一目散に
駆けていったのだった


命日 2006,3,15
 
丸山全友

祖母ちゃんの命日墓に参る
小高い山にある墓場からは
祖母ちゃんの命とも言えた
田のある谷間が一望できるが
今は
雑草や雑木が生い茂り山同様になっている
「かまどの灰までお前のもんや。お前が田んぼしないで誰がする」
父ちゃんや母ちゃんと山を越えて一緒に田植えや稲刈りに来たときの祖母ちゃんの口癖だったが
祖母ちゃんが死んで間もなくきた台風で
山が崩れて田を押し流してしまった
工事費は払えない額ではなかったが身体に自身がなく
山の田んぼは手間ばかりで収穫がないという父ちゃんに反対することができなかった
祖母ちゃんの死んだのは時間まで覚えているのに
台風のきた日はすぐに思い出せない


丸山全友 個人文芸誌 
「一軒家」 NO7 より


私は有罪です2005,10,11
小田悦子

そうです 私は嘘をつきました
ずっと 嘘をついていました
人心を惑わせました
誤った道に さそいました

この 偶然 静かであるだけの 夜を
まだ なにか できたかもしれない夜を
無駄に眠り
嘘の中に 眠らせました

そして 真実は通り過ぎ
本当の目覚めは失われ

ただ 大丈夫だよと
安心して おやすみと
この一夜を 安らかに おやすみと
そうです なんの根拠もなしに

だれも 責めてくれない
身の小ささ

いいえ 真実を隠していたのではありません
真実は 私に属してはいませんでしたから
私には 何も属してはいませんでしたから

本当に そうか
いいえ それも


修羅がおわらない2005,6,24
小田悦子

冬枯れていた木々の
硬い冬芽の内側から
またむずむずと蠢くもの

アトピーが痒い
背中が痒い
膝関節の裏側が痒い

一冬の硬い鱗がはがれていく

顔が 痒い
頬から 鼻の頭から
粉が吹き出る
皮膚が はげ落ちていく

春の陽射し
春のぬくもり
また はじまってしまう

また 新しい 一皮になって
また 一枝 指を長くして


問題だ2005,4,4
加納由将

自分の体が
知りたい
誰よりもわかっているはずなのに
誰よりもわかっていない自分が
ここにいる
口から入っていって見てみたい
自分の体が
どうなっているか

そしてとりかえる
独走する大腿筋
縮み上がる腹直筋
海に溺れる三角筋
口のしまらない噴門筋
マウスを失くした脳

すべてを換えて
生まれ変わる
新しく
全く違う風景
それで
いいのか悪いのか
それが問題だ

詩集 『体内の森』 2004年5月1日発行
発行所 兜メ集工房ノア
プロフィール 所属詩誌 「からほり」「PO」「スキップ現詩人」「寄港」同人
 既刊詩集 『夢想窓』


ロッキーは終わっちゃいました2005,4,2
小田悦子
25万キロを走って
走りぬいて
ロッキーは終わっちゃいました
ヘッドライトのスイッチの部分から煙が出て
もう そのまま
ディーラーに運んでいくしかありませんでした
最期はしっかり 洗ってやりたかったのに
座席の間のお菓子の粉とか
ガソリンスタンドのサービス券とか
古座川の河原の砂とか
何もかも そのままでした
エンジンは まだまだ 元気なのに
タイヤも換えたばかりなのに
ブレーキパッドも換えたのに
もっと もっと みせてやりたい風景があったのに
馬鹿なロッキー
終わっちゃった
2004年10月17日


くるまえらび2005,4,2
                    河井 洋
くるまを買い替えようと思った。
十万キロをゆうに越えたミラパルコではふっとためらった先にあるものを。
知りたいという欲望のあるうちに満たしてやる必要があった。
ほんとうはただこの歳になって遊ぶことの楽しさを
知ってしまったという滑稽な動機に過ぎないのだが、
欲しいくるまは通称「クロカン」。それも軽のサイズに
エンジンだけ大きなものを積んだものだ。
その車幅は、古代国道一号線と呼ぶべき竹之内街道の
一間にみたぬ集落を地元の住民のごとく無造作に
通過できる「軽」のそれであり、回転半径に連動する
車軸間距離は、川に直角にかかった小橋を渡るためのものだ

ほんとうに「軽」の二駆でいけぬ道などどこにもなかった
税金で作られた道に、登れぬ坂道など 法治国家のこの国で
法律上存在するはずもなかった
いけぬところは、即、オフロードであった。
おまけにスピードだって、アクセルをいっぱいに踏み込めば百キロは出せたから
高速道でもかつかつ走れた。

ほんとうはもう一つ買い替えなければならない理由があった。
そしてそれが一番の理由ですべてだった。
「軽」は車格上一車線の一本道でも道を譲らなければならないという規則があるのだ。
(ベンツを追いかけ回して路肩に追い上げるダンプトラックなど見たことがない)
車格は単に価格で決まるから購入できる限度においてくるまは高いほどよい。
そして、高いということが衆知である必要がある。
そのようにして人格の一部をヤクザにしたて
くるまえらびのコンセプトを洗いだし、
この年末までに、買い替えて
透明に落日を包んだ柿の実の
つづら折の坂のどこまでも続く父鬼から
鍋谷峠を越えて
「紀伊半島三桁国道を行く」という
雑文でもものにするか、と。

一人でいるときに2005,3,30
小田悦子

何もしないでいいときに
何もしないでいられるのも
ある種の才能ではないかな
寝るのでもなく
起きるのでもなく
音楽も聴かず
本も読まず
皿も洗わず
詩も書かず
幾何も代数も
解かず
死にもせず
何もしないでいるのは
どんな感じかな
こんなふうに
からだを硬くして
じっとしているのや
大人しくしているのは
おなかが減るもんな
きっと ちがうんだろうな
私は へただな