詩集 僕の友達  目次
きつね 
うらしま 
溢水
洲の街
お盆 
満月の夜
庚申の夜の触れ 
鳧(けり) 
昭和史異聞  
都市の記憶T
都市の記憶U
喫茶『茱萸の木』の客T
喫茶『茱萸の木』の客U
むじな  
仕込っ子 
後書き 

きつね 
  雨が降りだすと
下の娘はきまって眠っているのでした
ちいちゃかったころは私の腕の中で
まだ手元におった高校生のころは
遠出のドライブの帰り 後部座席で

寝息が聞こえてきたから きっと雨が降りだすと
助手席の 姉の方の娘がワイパーを わざとまわすと
五月の陽の下 葛城の山のあたりで稲光がして
水越の峠を越え 大阪方に下ろうとすれば 
一陣の風のあと 激しい雷雨になるのでした

山をおりきるすこし前
小雨がまだのこるなか 陽が差しだして
虹までかけてしまった嘘のように明るい坂を
花で飾った子供山車が通るのでした
お子の数はすくないのですが
それでもお供の母御や爺婆とおぼしきも多く
みんなお子がうれしいようにと
狐の面をつけているのでした

うちらのこどもや
せんしゅういちや
おおさかいちや
にっぽんいちや

と いつまでも いつまでも続くのでした
そしてたくさんの車も
それはそれは ゆっくりゆっくり 続くのでした

きがつけば助手席の姉も
後部座席の妻も
下の娘ともども
みんな尾をかかえて眠っているのでした

溢水
  降り立ったのは無人駅だった
まだ幼かった娘二人と 妻と私
季節は何れだったか思いだせない
暑くもなく寒くもなく 陽もなく人影もなかった
ただ 真新しく舗装された駅前広場の一角は
用水路の溢水で浮草が散り敷かれ
ハヤが跳ねていた

この豊かな水流を遡った先に水神さんがあるはず
そこでお弁当たべようね
私は家族から「水神さん博士」の称号を貰っていた
幾つかの落差工をへて水路の幅と水量がいよいよ豊かになり
平野が尽きてこれから先は山と言う地点で
水路は二基の連続した門扉を経て隧道の闇に消えた
小径がブナの極相林の斜面を登っていた
唐突に山の頂 と言うより大河を見下ろす巨岩の上に立たされた
ここでは河が大きく曲がり 露出した岩壁に本流が激突し渦をまく
その渦が消えるあたり 岩壁に刻まれた階段を下りた先
紺碧の淵に取水塔があった
硬質煉瓦で築かれたそれは 可動部分の無い構造ゆえに
機能維持に関する人の関与の形跡が確認できなかった
「博士」の知見ではこの樋門を抱える露出岩を包む森は
水神社の杜でなければならなかった

無い
水神さんが祀られていない
この淵に至るに鳥居を潜った記憶がない
そうだ、駅からここまで、
道の別れの道祖神も 
お寺もなく墓所もなく焼き場もなかった
  なんの神社も稲荷の紅い鳥居も忠魂碑もなかった
集落を見渡せる要害の地にあるべき愛宕社の麓の鳥居も無い
ただ駅から徒歩で小一時間、
水路が三面張りの間は薄暮色の人家が続いていただけだった
私は恐怖に襲われた
早く立ち去らないと取り込まれてしまう
私達が第一番目の死者になることが期待されているのだ
いそぎ下の娘を背負った
上の娘には理屈にならない訳を言って
お母さんの手を離さないように と厳命して駅への道を急いだ

駅が視野に入ると恐怖感が後退した
溢水は収束しかかっていた
浮き草が散り敷かれ、ハヤがよわよわしくはねていた
みんなで まだ助かりそうなものを水に戻した

列車は出たばかりである

洲の町
(白熱灯)
いっしょにかえりましょ
傘がかかり 駅を後にした
よっていくよね
と 土橋を渡り 低い軒をくぐった
大井町の おとんぼ つれてきたワ
私の存在を告げる闇の先の仏間に
その人の祖父母がいるはずだった

灯りがついた
(川の音)
濡れてしまったね
立ったままの私の上着を脱がせ
あの人のだったけど とツイード地のブレザーをかける
そのままにしてて と後にまわった
かすかな指の感触のあと尾骨あたりで
なにかがおりかえされた
腕、水平にのばして 
と背中心あたりで又なにかがあたった
雨、なかなかやまないね
背丈よし
ゆき よし
ちっちゃなメモ帳に眉墨の九九がはしった
わたし早縫いができるのよ
身八口はもういいよね

とうに雨は止んでいた
瀬音がかぎりなくやさしく繕うていた

(蛍をみにゆく)
できたわ
促して白絣を着せる
新しい下駄をおろして
鼻緒を指でしごき 履かせる
まって
と 鏡台の前でその指が紅をひく
みるみるその人は若くなっていく
鏡の端に私を見つける
そっくりなのよ
甥っ子だものね
灯かりを背にした瞬間 前方の闇よりなお深く
背中あたりで闇そのものがつややかに呼吸した
なにもかも
生きている時のままにふるまえ と

あっ
こんなに
満月の夜
吉野熊野国立公園内の某山々頂のオリエンテーションハウス
湯浴みする野生生物の展示パネルに目を凝らしていると
「まあ、だまされたと思ってついてきんしゃい」と云うから
老人の運転する四駆の後ろについて尾根筋の林道を縦走すること一時間強
脇道にそれ、谷底に向うこと更に一時間弱
彼の云う目的地、微かなイオウ臭、某秘湯についた
この年、中秋は、ようやく残暑が和らいだ新暦九月二十一日
深い谷底の午後五時は月待日の宵の如く虫の音色に暗かった

長い傾斜の渡り廊下を下った先の岩風呂の更に奥、野天の湯の傍
流れにそった岩の上に白い布が敷かれ
あっ月見団子 
男湯と女湯の仕切りの板塀は朽ちて
全面改装をするから十月から一年ほど閉めるとの予告看板が事実上の障壁
私と老人は少しぬるめのその湯に浸かった

「きょうは人多かったなあ/お日さんあるあいだ脱ぐ暇もなかったワ」
だれか仕切り越しに女湯側と話をしている
廻らしても離れたところにある誘蛾灯だけでは暗くてよくわからない
目を凝らしていると、何人かの顔がぼんやり見えだした
だけど、目を何度こすってもそれ以上詳しくならない
どの顔も、輪郭の不確かさ、曖昧な線を持っている
たとえはわるいが皮をはがされた兎
合点がいった
ここは禽獣や化生(けしょう)の者までが各々の皮を脱いでくつろぐと謂う
熊野の湯谷
さっするに彼等の類は昼日中、人が嬉しがってくれるようにと
毛の皮をかぶっているらしい
私たちホモサピエンスは幼態成熟的生物
大人になっても、羽毛とか毛の皮とか硬い皮をもたぬもの
今、ここでは向こうからも同類に見えているのだろう
考えてみたら、こんなこと、ちっとも不思議なことなんかじぁない
生まれも育ちも違う女類の細君と同衾していることと、さも似たり
気付いたことに気付かれて頭からバリバリと食われたところで
ははははは 

帰路は熊野川水系を離脱すべく分水嶺トンネルを目指す
くぐれば吉野川水系―あとは自由落下の法則
先を行く老人の四駆は病癒えた『小栗』の駒か
はたまた起請文(きしょうもん)の呪縛から逃げおおせた逆説の烏、
変じて先達の誉れを担う八咫烏 
なにより、ここは中央構造線、天が線的に抜けている
一旦、月を捉えれば道はどこまでも明るい
こんな夜は
お友達がわんさとでてくるから撥ねないようにねと妻の言。