前期堆積層 目次
カニ 野島洋光
父の里 福中都生子
おなかがいたい 小田悦子
だれにも 言わないけれど  小田悦子
***見えない景色***  okatsushi
数学がいいのは  小田悦子
飛鳥で彼岸花を  小田悦子
一人のためのコンサート 水田 佳
一枚の絵 岩城 万里子
百済川というのは  小田悦子
記憶  小田悦子
ミクシング・ワールド 加納 由将
渚にて  小田悦子
ある日常 石村 勇二
パソコンがこわれた  小田悦子
指 小野田 潮
私がいえないのは 小田悦子
浅草の歌が聞こえる 河井 洋
雨が降らない 小田悦子
椿一輪 藤森 里美
柵 直鳥 順子
ミーちゃん 小田 悦子
木陰 河井 洋
たとえば 小田悦子
日常の中に 黒田 康嗣
爪の星 小田悦子
マザーテレサにうんざり 河井 洋
大叔母むう様 山田茂里夫
さるかに 永井ますみ
もみじ 小田悦子
私は貰うのが嫌いだ 小田悦子
はなさか 永井ますみ
洪水の前に(渚にて)河井 洋


カニ2004,5,16
野島洋光
北の小さな漁港だった
ユリカモメはチイチイと啼いては海に落下(おち)
漁船(ふね)はどれも赤茶けてゆれていた
魚と油と海草と汗のにおいが
霧笛のように町を包んでいた

夜はいつも海鳴りが聞こえ
赤灯の灯は水路をしめしていた
星はまるでスプレイをかけられたように
空にはりつき煌いては廻っていた

暗い町すじの中で
丸い提灯をつけた家並だけが艶っぽく
のれんごしに地酒の香と三線の音(ね)と
手廻しレコードの針の音がこぼれていた
カニをニカと言う娼婦は微笑(わら)っていた
まゆ毛の細い女だったが手が少し青かった
女は時々かるい咳をした
女はニカというカニが好きだった
小さい指でニカの足を千切ると
紅い口でカニのようにニカを食べた

その夜 俺は女を抱いた
ニカを抱いた カニの匂いがした

俺もカニが大好きだ ニカが好きだ
肉はやわらかく甘いニカの香りがする
ショウガが匂う三杯酢が匂う想い出が匂う

カモメ港匂い星海鳴り提灯カニ娼婦死語ニカ


父の里2004,2,23
福中都生子

父の里には誰もいない
母もいない祖父母もいない
妹たちはみんな翼をそよがせて
恋人たちと巣造りに翔びたった
たったひとりの弟も
東京の大学を出て
ばけものみたいな大都会で所帯を持った
ちいさな会社の社長業でも
還暦には停年の自幕をひいて
父の里で悠々自適
自然を相手に鶏営でもしたら?と言うと
「あんな因習の根深いところは厭だよ」と
ハキハキした東京弁がかえってきた
父の里には墓石だけ鎮守の森のすぐ下の墓地
おもやとせどのまんなかで
大理石のあじちの墓石も威張っている
数年に一度父母の年忌にあつまる寺は
父の父のそのまた父が分家した妙成寺
五十四歳でみまかった父の骨を母が納めて
八十六歳で同じ寺にねむっている
五人のこどもが巣立った家は
戸口にも窓にも台風よけの板戸が打たれ
建てかえようか?とわたしが言うと
「誰が住むのや 姉さんか?」と
ひとりだちしたはらからたちはカラカラと笑う
無人の家は無人のままで
買い手がついても売ろうという肉親はいない
"子孫のために美田はかわず"と
粋がっていた祖父は子弟の教育に田畑を売った
百姓に学問はいらん
学問させると帰ってきよらんと
つぶやいた村の古老たちに笑われながら
父の里にはだれもいない
母もいない 猫もいない
学費もらったこどもたちも帰ってこない
北陸の金沢市の北どなり
津幡という町
まぶしい新緑のフリルをつけて
柿の葉がゆれる
枇杷の実がひかる
福中都生子詩集「わたしのみなもと」より


定型破り
福中都生子

父が病床にたおれたのは
私が十歳の夏
三十一歳の母は雌鳥のように
五人のこどもたちをだきしめた
羽の下でぬくぬくと
甘い乳房の匂いの中でわたしたちは育った
後家の頑張りではなかったが
――おとうさんには生きててもらうだけでもいいのよ
口癖のようにつぶやきながら
好きだった読書もやめて母は小さな呉服店をはじめた
父親とはこんなにも頼りないものかと
千手観音さながらの姿をチラチラ見ながら
わたしは男に頼らずに生きる道を模索した
――こんなくだらない戦争 日本は負けるよ
女学校の修身の時間と母の言葉の不協和音に私は悩んだ
愛する母は非国民ではないか?
母国が戦争に負けた日 わたしは十七歳
――やっぱり 戦争する男たちは信じられない
男性不信患者は 母を避け家庭を避けた 
母はどこまでも追いかけてきた
羽の下から巣立つこどもたちを一人も逃がすまいと
家出したわたしの匂いをかぎつけては目前に現れた
逃げ切るためには自分を他人の者にするしかない
戦争が嫌いで医学を選んだという男にめぐりあい
――結婚してもおたがいに心の自由を尊重しよう
相手の言葉に少し甘えて結婚による独立を私は選んだ
結婚前夜 共に枕を並べながら母はいった
――どんな人間にも思い違いはあるものよ
  こんな男 見損なったと思ったときは
  いつでも帰っておいで
その夜 わたしは四六歳の母の寝顔をみつめた
檻の中でも母は自由だったのか
檻の外でも母は不自由だったのか


福中都生子詩集
「記憶再生の文学館
知加書房


おなかがいたい2004,1,24
小田 悦子
おなかがいたい
ぐりぐりしてて
かたいものがさわれる
つっかえてるのがわかる
なでて さすって もみだして
なんとか さわらないばしょに うつさなければ

わたしに ちからが あれば
これらは わたしの ちにくとなり
わたしと よばれるはずだったもの

これは しばし わたしの たいじゅうとなり
とうとう わたしになれなかった
いぶつ
うらみがましく さいごのていこうをしている

わたしは いたみを いとおしむ
おなかが いたい

だれにも 言わないけれど2003,5,12
小田 悦子
だれにも 言わないから
きっと 信じてもらえないだろうけれど
ずっと ずっと
感じていることがある

べつに
大きな病気だとか 事件だとか
なにも ないんだけれど
ずっと ずっと
感じている
すぐそこに

ときには取り出して
手のひらで転がしたり
暖めたり
光にかざして じっと見詰めたり

あらがい難く甘美に
誘いかけるもの

深く 息をはいて また 深く
しまいこむもの
***見えない景色***2002,9,11
okatsushi
   逃げても逃げても追いかけてくる時間に疲れ
  僕は、時間を追いかけることにした
  追いかけても追いかけても逃げていく時間に
  追いつけず、もうどうでもよくなって
  一瞬佇んではみたけど
  遠くからとても懐かしい波の音がして
  妙に血が騒ぐので、何時しかまた歩き始めていた
  足を進めるたびに生臭い風が身も心も撫でている
  辺りに目をやると、荒涼とした砂漠が延々と続き
  何体もの、けものの骨が無数に散らばっている
  どれもこれもばらばらに混じってしまい
  生きていた時の姿が、どれがどれだか解らない

  小さな橋、大きな橋、中くらいの橋
  飛ぶように移り変わる風景を
  ひたすら眺めながら、幾つも幾つもの橋を渡り
  やっと辿り着いた小さな駅には
  行き先のはっきりしない宙に浮いた列車が
  あくびをころし、乗客待ちをしていた
  自動販売機にハ−ト形のコインを入れると
  真っ白な切符が出てきて、自動改札口を通過する
  すると列車は待ちかねたように発車する

  車窓から見える海の渚には
  得体の知れない生き物達が
  必死に此岸に辿り着こうともがいている
  そんな景色を、しばらく眺めていると
  何時の間にか何も見えなくなって
  もう自分の姿さへ見えなくなっている


南紀熊野の詩人

okatsushiさんのHP



数学がいいのは2002,6,13
小田 悦子

あのね
数学でいいのはね
割り切れないものを
割り切らないで いいことね
3分の1も 7分の5も
そう書いておけばゆるされるのね
いいつくせない πだとか eだとか
とりあえず かいておいて
魔法みたいに 約分して 消えていくんだね

割り切れない 有理数
  開ききれない ルート
  本当は 無いのかもしれない 虚数の i

心が正しくなくても
素直でなくても
こどもらしくなくても

数学でいいのはね
答が出れば 〇は 〇


飛鳥で彼岸花を2002,3,19
小田 悦子

一面の彼岸花の季節の中を
喪服の女たちをのせて電車が行く
「物静かなひとだったね」
声はひそめがちに
まだ稲穂のや 刈り取った田の畦
祠の後ろ
あそこにも
あそこにも
「飛鳥を愛したひとだったね」
それぞれの思い出を
ほつ ほつと咲かせる
溜池の土手が あんなに

私達は彼岸花を見に行こうと
約束していたのに
忙しさにかまけて
ダメにしていたのだが

いちばん美しい飛鳥の季節
いちばん見たかったひとの心が
あそこにも
あんなところにも
「やさしいひとだったね」
たくさんの
美しいものを見せてもらった

花は思い出をくわえていく

一人のためのコンサート2001,11,18
水田 佳

やさしい日射しが降っていた
人気のない 駅前広場に
カリヨン時計の下に立った
ニット帽の二人の少年が
袋からギターを出したとき

二人は誰に聴かせたいのだろう
大きな声で 歌って 歌って
一生懸命誰かを呼んでいる
私の知らない歌 聞いたこともない歌なのに
奇妙に懐しい言葉が耳元で響く
それはもしかしたら
何かに夢中になって恥じなかった
若い日の私が 胸の中で返す 谺だろうか

バスから降りてきたのは
忙しげなおじさん二人 おばさんひとり 
学校帰りの少女が一人
バスが去って 大人が行って
少女がまぶしげに立ち止まった


        詩集「春ばかり」ふたば工房 2001年9月15日発行より


       
一枚の絵2001,10,5
岩城 万里子
初夏の夕暮れ
島を結ぶ大橋がうす桃色の陽を浴びて
虹のように 窓に架かっている

管につながれて
ほとんど動かない母は
長かった人生の
仕上げに臨んでいるのだ

その傍らで父は
少し居眠りをしたり
窓の外に眼をやったり
それが最後の仕事のように
ただ座っている

きしんだことも もつれたことも
ふりほどいたことも 背をむけあったことも
みんな 炎が消えるように燃え尽きて

時折 枕元をのぞき込む
父の痩せた肩のあたりは
やはりひとつの意思のかたちをしている

岩城 万里子さんの
猫がいっぱいのホームページ

MOTA'S PAGE



百済川というのは2001,10,5
小田 悦子

工場や家庭の雑排水を集めながら
石津川と合流し
やがて 大阪の海に流れ着く 百済川は
やはり 悲しい色をしているのです
近年 整備されたので 三面張りになったことを
川が きれいになったと いうのでしょうか
それでも また 泥はたまり
泥には 植物が繁茂して
イネ科雑草の種子を求めて スズメが遊びます

5月になって 雨が降れば
何匹もの 大きな 鯉が
背びれをみせ 腹をこすりながら あがってきます
もつれあいながら 絡み合いながら
かなぐり捨てて あがってきます

でも 私は 知っているのです

三日ほども 晴天が続けば 水は 汚れて
みんな 死んでしまうのです
おおきな鯉が 白い腹をみせて 流れてきます
亀や 鴉が 集まります

おととしも そうで、 去年も そうで、
ここに来ては だめだよといいたいのに
鯉のことばが わからないのです

毎年来ては死ぬ鯉を食べて
百済川でいきる 亀や 鴉
百済川に雑排水を流して
悲しさを加えている 私
私が 今日も 水面をみています


記憶2001,5,12
小田 悦子
カリンは マルメロとも呼ばれるのです
そう聞いて
ことりと 腑に落ちるものがある
マルメロといわれても
思い出すものなど あるはずもないのに

遠い日に たしかに 出会ったような気がする

生活暦の どこにも 痕跡はないのに
いま 手の中にある 硬い 果実

いつのまにか 失われた 私の 嗅覚は
記憶を手繰り寄せる手立てを持たないから

硬い果実として
カリンは 手の中にある


ミクシング・ワールド2001,2,20
加納 由将

眠り
それは「無」の世界
ベットの上でカラッポにして
目に見えるものが
すべて 霧の中
耳に聞こえるものが
すべて 水の中
夢か うつつか

やがて
魂さえも
体から抜け出る瞬間
魂は無限の世界へ
現実の世界を抜け出して

眠るということ
すべてがまざりあう世界へ
不安定に揺れる世界
雲の上を歩いている

すべてが無になる瞬間
一時的な 死

詩集 「夢想窓 Musoumado」より
1999年1月20日 発行
加納 由将 プロフィール
1974年 大阪府河南町に生まれる
1993年 藤井寺養護学校高等部卒業。大阪芸術大学在学中
e-maile l95047@gold.ocn.ne.jp


渚にて2000,11,12
小田 悦子

私の安全な渚には
今日も悲しみが打ち寄せる
終わってしまった殺戮が
貝殻となって夏の陽光に曝される
聞こえるのは波の音
失われてしまった喉から 搾り出された
断末魔は分離できるか
崩れ落ちる波頭のうらに
瞬間 あらわれる 水底の街の
繰り返される いまはない 日常
なぜ こうなる前に 知らせてくれなかった
切れ目ない 海続きの平面は 手繰り寄せて
これは こう それは そうと
みんな みんな 消えてしまえと
激しく 足を洗わせる 泡立ち
私をさらえないで 引いていく 潮
私の安全な渚には
今日も悲しみが打ち寄せる
なにもしてあげられない
私がいる


ある日常2000,11,12
石村 勇二
とうとう会社を休んでしまいました あの花が咲き終わらないう
ちに向こう岸まで行ってみようと思ったのです あの花は田んぼ
のあぜ道や土手や寺社の境内に咲いています 通勤する電車の窓
からわたしはいつもあの花を見ていたのです 遠くから見るあの
花は闇夜に咲く火事のように燃えています 怨みや呪いのように
も見えますが本当は願いなのです 一枚の葉っぱさえ身につけな
い裸身のままいちずな願いを燃やしています あの花が群生を好
むのは願いがいくつもあるからでしょうか 多くの願いが寄り重
なってなにがなんだかわからない途方もなく大きな願いを燃やし
ています わたしはあの花を自分の庭に植えようと思ったのです
ヒガンバナが正式名称らしいですが地方ではドクバナ・シビトバ
ナ・ユウレイバナ・マンジュシヤゲなどと呼ばれています わた
しはステゴバナという呼び方が気にいっているのです それはわ
たしが捨子だからというだけではなくわたし自身が日々わたしの
子を捨てているからです わたしはあの花の葉っぱを見たことが
ありません いいえそれは嘘でわたしはあの花の葉っぱを知らな
いのです あの花の葉っぱは花が咲き終わってからでないと姿形
を見せません 冬だけを耐えて春の終わりには枯れてしまうので
す はとんどの人があの花を知っていてもあの花の葉っぱを知り
ません だからわたしはあの花が咲き終わるまでにあの花と出会
わなければならないのです 近づきすぎた罰でしょうか いちず
に遠く燃えているあの花にも終わりがあったのです やっと願い
を燃やしはじめた若い花たちにまじってオヤジの死体のように紫
色に煙っていく花があったのです だけどわたしはその 《死》を
見届けたかったのです ひとつの死によって生まれた《生》を見
届けたかったのです わたしが子供のころオヤジはタマゴをあま
り産まなくなった雌鳥の腹を割きました まだタマゴになりきら
ないタマゴがタマゴになろうとしてうごめいていました あの花
の土の下にもタマゴのような球根が無数にあったのです ステゴ
バナは庭に埋めてはならないことになっているのでしょうか 墓
の近くに咲いているから不吉なのでしょうか《友がみな我より
偉く見ゆる吊よ花を買いきて妻としたしむ》 啄木は野にあるス
テゴバナを持ち帰り妻に内緒で庭に埋めました 日々子供を殺し
ているわたしのせめてもの償いでしょうか いえいえそうではあ
りません それは赤トンボが傘の柄に止まっただけの気まぐれに
すぎないのです 花が燃えています オヤジが殺したタマゴの孵
化する日までわたしは死なないで生きていようと思っています

リヴィエール 50 記年号より
石村 勇二 プロフィール
1944年 愛媛県に生まれる
詩集「都市」
日本詩人叢書(112) 近文社


パソコンがこわれた2000,7,18
小田 悦子
パソコンがこわれた
こわれちまった
ハードディスクが悲鳴をあげた
もう 立ち上がれない
声も出せない
スキャンディスクも 再セットアップも 役に立たない
あんなに激しく愛し合ったのに
夜も昼も無く 分かり合えたのに
挨拶なしで いっちまった
2000,5,29
小野田 潮

たとえば
タカハシのおばさんの指がすきだ
もう三十年も電動ミシンをつかって
マットを縫ってきた指だ
電動ミシンは時計まわりに動かすので
ぬいしろをあわせる
ひだり人差し指にはとくに力が入るのか
指先が異常なほど肥大している
それに
ちいさな水槽で
おなじ方向に廻っておよぐ鯉のからだが
湾曲するように
やや内側に曲がっている

摩擦によって
石や鉄ならくぼんでしまうところ
肉体はますますかたく太っていくんだ
大きな発見でもしたように
すこし感動して
ぼくは気付かないふりをしては
タカハシのおばさんのひだり手を
そっと見る

詩集「源流へ」より
1999年8月20日 アルル書店 発行
小野田 潮 プロフィール
1944年 岡山県に生まれる
早稲田大学文学部仏文科大学院修士修了
日本詩人クラブ、日本ペンクラブ会員
詩集「魚の孤独」 「鞄のなかの闇」 「夏日」 
「プロバンスの小さな村ーサン・カナ」


私がいえないのは 2000,4,23

小田 悦子

教えてあげるのが親切だと
私も 思うけれど
声にはだせなないまま 通り過ぎてしまう
そんなことをしていたら よくないよ
いってあげるのも 給料のうちだと 思うけれど
今は そうしか 生きられないのだし
行く末を見届けるには 私はただの
通りすがりに過ぎないのだし
関係ないんだし
自分で気付くまで
忍耐強く見守るのですと
もう 何の味もないガムを噛み直す
私がいえないのは
愛していないからだと
本当のことは
まして

浅草の歌が聞こえる 2000,1,30
河井 洋

怒りに身を任せなかった安堵の
動悸が収まれば「浅草の歌」を歌おう。
大阪天王寺駅のプラットホームの鉄傘扇の下で
今日一日ふがいない自身の働きぶりの恥じの上塗りに
駅そばの安割箸を割るなり折れた端が目の下にはじけた
腹いせに大きな声が出そうになって、飲み込んだ生唾の
胃の上のあたりの不快さが和らいだ
そのあとには。

二番目が歌えない。
流しのおっちゃんと二人して唱っても
/カタイヤクソク/フタリデカワシ/から「リンゴの歌」になって
しまう
ならばやけくそに「リンゴの歌」を大合唱。
ピアノの先生は楽譜がないとひいてくれないから
二番目が歌えず今にいたる。

父は不甲斐ない人だった。
(母はただやさしいだけの人だった。)
祖母が生きているあいだ、その人の子供だった父よ。
だから
早く大人にならねばと強い決意の子供のいることをを親はしらない。
そして、強い決意があったにせよ、なかったにせよ強くいきなけれ
ばいきていけない父性不在の家にすこしばかり利発にうまれついた
子のたどる決意のその後を支えた原理が皮肉にも「浅草の歌」だな
んて
そのころ「マルロー」なんて知るよしもなかった。

「浅草の歌」は私が選び取った歌なのだ。
忘れていた父に出会うために忘れていた母に出会うために。
「やさしい朝」は私が切り取った「浅草の歌」。
だから私はけっして怒りに身をまかせたりしない。
怒りに身を任せたい宵があれば「浅草の歌」を歌おう。
(たかが割り箸が如きで怒ってたまるかと怒気を込めて)
/ツヨイバカリガオトコジャナイト/イツカオシエテ……。

雨が降らない 2000,1,1
小田 悦子

熱帯低気圧がきているので
大雨になるおそれがあると
今朝も予報士は繰り返す
確かに 雲はあつい
風もある
夏の日差しに曝したいものがあるのに
決心がつかないで一日が過ぎる

大雨が降るのなら
そのときに 洗い流したいものがある
もう ずっと前から ひっかかっている
ガレージの屋根の上の 人形の死体とか

今日も各地の被害状況が伝えられる
水難 土砂崩れ 交通寸断
いつ 始まっても不思議のない 雲の下で
私には 雨がふらない
水を撒く

椿一輪 1999,10,31
藤森 里美

室町時代にはじまったとか
茶席を飾る一枝の椿の蕾
庭園は打ち水に潔められ
自ら背筋が伸びるのか

五枚の奇数の葉っぱは青く香り
凛としてはりつめ
無駄のない空間に
慎ましやかに開こうとするのか

お茶を極めたいとあこがれた時期に
幾度かの茶席を重ねながら
静寂と心配りの進行を
見守り続けた椿と私

何百年を経てか
七百種とも言われている椿の中の一輪
大自然のしなやかさに近づこうと学ぶ道の
椿を心にくいまでに
大胆に生活に解けこませた
江戸時代画巻「百椿図」の風流を

透明人間が多すぎる現代で
愛に飢えているひとたちに
切れる前に手渡せないものか

雅の日本の文化は
侘びと寂の心かも

詩集「徒花の証し」より
1999年7月22日 ゆすりか社 発行

藤森 里美 プロフィール
1941年 長野県諏訪郡に生まれる
1998年 「阿呆花」 ゆすりか社
1996年 「故郷への旅」 ゆすりか社
他 詩集 歌集
1999,9,02
直鳥 順子

野に出ると私のまわりに
すばやく柵がおりてくる
羊を飼うように
羊を逃がさないように

けれど夏に向かってゆくために
後ろの夕焼け色の橋を断ち切った
靴底に砕ける春の骨 虫の骨
死んでまもない父のまだ未熟な骨

父の唯一の遺産は野の思い出
畦道に咲くたんぽぽ 蝶の羽の震え
とんぼの敏捷
水温む小川の小魚や小亀
私の指に触れて 驚き弾むもの

果樹園で熟してゆく果実
雑木林の流れを 指で小石や砂をかくと
澄んだ水が湧き上がる
かたわらの一群れの白すみれ
岩肌の貝の化石 海から生まれた名残の
無限が目をあけて覗き込む
黄金の宮殿の庭
その懐かしい歌声で惑わせないで
父の声に似せて迷わせないで

今朝 詩神の呼びかけに
私は応える
大気が激しく煌めいて 私の虹彩を
濃いルリ色に染め
鋭敏な生物が飛び立った
創造する羊に
もう牧夫の声は聞こえない

詩集「漂う時計」より
1998年7月21日 詩学社 発行
直鳥 順子 プロフィール
1940年 香川県に生まれる
1991年 詩集「剥製の鳥」で銀河詩手帳賞
1996年まで詩誌「地球」同人
日本詩人クラブ会員 関西詩人協会会員


ミーちゃん 1999,8,18
小田 悦子

ミーちゃんは
ひとりでは どこへも行かない
トイレへも行かないし、おうちにも帰らない
いつまでも そこに立っている
ミーちゃんは
いやだとも ちがうよともいわない
今、出てきたトイレに、また連れて行かれても
また、だまってしゃがんでいる

けれど ミーちゃん
すこしも 特別じゃないよ
私も 自分できめて ここにいるわけじゃないもの
ミーちゃんが 意味もなく そこにいるなら
私が ここにいることにも 意味なんかないんだ
ミーちゃんが そこで
体温をもって立っているなら
私がここにいることも
許されているように思えるよ


木陰 1999,5,30
河井 洋

あなたの寝顔を フォーカスしました
思い切り暑い夏は 写真に文を添えて

男子はいくつになっても少年ですよ
のぞめば ひょいと枝に懸けて
忘れてしまったふりなどして
泣けば 杜のなかに充ちているいのちが
いっせいに みかたして やさしく背をなで
あなたは枝の上ですっかりと眠ってしまう
風の通る径は蝶の先達
ふと消えたあたり
あなたの二の腕のように
木の花が咲いているではありませんか

妻や娘がいるのに他見した男は
罰として残暑見舞いを書かされているのに
性懲りもなく文中に意を込め
また叱られて命をちぢめている

たとえば 1999,2,26
小田悦子
たとえば郵便の手紙なら
思い詰めて書いても
封筒がないし、切手もないし、
郵便局へいくにも時間がないし、
バッグのなかで よれよれになって
季節は変わって行くから
詰めた思いは
届かないで すんでくれる。

届かなかった手紙は 書かなかったのと同じ
届かなかった思いは 思わなかったのと同じ
届けたかった思いは たしかにあるのに
封筒がないし、切手もないし、

ひとりで 思い詰めて
よれよれになっていく


日常の中に 1998,10,9
黒田 康嗣
プラスチック
プラスチックは重くない
プラスチックは危険がない

プラスチックは熱くもなく 冷たくもなく
かといって あたたかくもない

プラスチックは輝かない
プラスチックは味がない
プラスチックに囲まれて
ぼくはときどき息苦しい

詩集「不思議な流れ」より
1998年4月10日 レアリテの会 発行

黒田 康嗣 プロフィール
1951年 滋賀県に生まれる
1980年 詩集「不毛と豊饒」
1990年 詩集「途上にて」
1991年 詩集「時の色」
1992年 「舟」(レアリテの会)同人参加

爪の星 1998,8,9
小田 悦子

爪に星がでた
風邪を引いたからか 栄養が偏ったか
考えて思い出した
ユカちゃんと鬼ごっこをして
扉で指を挟んだ
爪の根本から少し血が出た

知恵遅れのユカちゃんは
授業中じっとしていられない
私は見張る係りで 鬼ごっこ

1週間後に また 当番がきて
私は忘れていて
ユカちゃんは
私の指から血が出たことを 憶えていた

知恵遅れのユカちゃん
もうばれてるよ
本当は もっと なんでも 分かってるんだね
なんでも 憶えているんだね
私のことを 心配してくれたね

爪に星がでて
ユカちゃんを思いだした
星は 三月もすれば 爪の先に来るだろう
私は 爪を切るだろう

マザーテレサにうんざり 1998.5.18
河井 洋

はっきり言って マザーテレサが嫌いだ。嫌いと言うより
彼女の言動に激しい怒りを憶えたことすらある。
それは、日本における妊娠中絶の問題に
彼女が信仰上から強く非難していることにある。
もちろんカソリックの教義からいって、それはあたりまえのことである。
しかし、我々の大部分はクリスチャンでもなければ
ましてカソリックではない。
異教徒にあれこれ言われるスジは、これっぽっちもないのである。
そして彼女は、育てることに何の成算もない親たちが
無制限に産み続けるその子らに中途半端に関与し続けてきたのである。
日本人なら少しは見識のあるものなら、
猫の子一匹だって、気安く拾ってきたりはしない。
なにより、堕胎という罪深い行為に
一番深く傷つき、(マザーテレサの神とは違うにせよ)
神仏に救いを求めて、のたうちまわっているのは当人たちである。
テレサは本当の“癒し”を必要とする者を鞭打つ、収税吏みたいなものだ。
だれ一人 堕胎が良いことだなんて思ってはいないのだ。
当人達も、日本人すべてがそうだと言ってよい。
そしてその思いと、数値として現れる実体との乖離にこそ
神が必要とされることの証明なのに、
信仰あつき彼女にはわからないというパラドックスこそ
宗教のかかえる古代からの問題の一つなのである。

大叔母むう様  1998.5.18
山田茂里夫
正月どん
  正月どん正月どん
  どぉこまでごぉざった
  あたごの山までごぉざった
  なぁんにのってごぉざった
  はたごにのってごぉざった
大晦日 お供えの鏡餅や野菜をおば車に乗せ
  半里 一時間近くをかけて押してきた 坂
部の大叔母むう様は 仏壇の前にお供えを並
べ終えると いつものようにリンを鳴らし
手をあわせ背を伸ばし ぶつぶつとひとしき
りつぶやくのだった
 おとっつあん おっかさん あにさん おか
 げさんで ことしもなんごとものう 正月
 がむかえられます 碩もひょくしょうにみい
 いれ まごよったりじょおぶにそだっとり
 ますで どおかあんどしておくれやす こ
 れからもよろしゅうにまもってやっておく
 れやす なまんだぶつなまんだぶつ
お勤めを終え こたつでくつろいだ大叔母さ
んが つぶやくように唄ってくれる正月どん
 あしたは雑煮を食べて また一つおおきゅ
うになるんだぞな 頭を撫でられ 織機に乗っ
た正月どんが坂部を通り越し 松並木のあた
ご道まで来ている様を思い浮かべていると
いつのまにか正月どんは坂部の家の縁側の東
隅 とんからとんからとんとん 機を織る大
叔母さんになっている
暗うならんうちにかえらんと 碩が気いもむ
で あたご道で正月どんに会ったら ちゃぁ
んとたのんどくで あしたの朝は早う起き
んさいよ 門で正月どんが待っとられるで
大叔母さんは綿入れデンチの背を丸め 襟巻
を頭からすっぽり被ると 門松の立ち並んだ
往還 おば車コトコト押して行く

散文詩集「忘れないよ」より
散文詩集「忘れないよ」 1997年12月15日
詩人会議出版より発行
詩人紹介
山田茂里夫 詩人会議 中日詩人会 愛知詩人会議 会員
既刊詩集「ゆきふりつもるよるのうた」「橋はゆれているか」
「山田茂里夫詩集」
さるかに 1998.1.18
永井 ますみ
嘘だ嘘だ嘘だ
俺が面白おかしく
臼だの畳針だの牛のくそなんぞにやられたなんて
臼は水を溜めて手水鉢にしたし
牛のくそは柿の根元にしっかり埋めてやった
畳針は今でも重宝している

柿の種を真っ二つに割ると
その中に住んでいる
ローランサンの絵に似た
ほっそり優美な白い女

青い実にそのひとはいなくて
熟れ過ぎた実はつるつると滑って
種を割ることができなかった
ようやく見つけたひとも半日で皺ばんで
次々手にかけた柿の実
そうしてすべてがなくなった

気がつくと 柿の木の下には親蟹子蟹うずうずと
みんな目がとび出して
腹打ち潰して死んでいる
チッ素リン酸カリ
みんな仲よく手をとって
来年の為の肥やしになるんだぞ
手厚く根元に葬ってやった

柿より赤く
夕陽に燃えながら
すっかり淋しくなった柿の木に腰掛けて
あのひとのことを想っている
いつまでも想っている
肩から背中
力が脱け落ちていくような

「おとぎ創詩・はなさか」は北町じゅんく堂書店、 喫茶店アリスの丘ASAたにがみに置かせて頂いて います。お求め下さい1500円です。

永井ますみさんのHP

もみじ 1998.1.6
小田 悦子

秋の山をドライブしましょう
山は いろとりどり
みように明るくて
影もできないから
こんな日は 出歩いても 平気

あなたは しっかりと前を見ているのよ
山道は 細いのよ
私が うっとりと 山をみてるから
もっと 深く 深く どこまでも
私を つれてって

しっかりと 前をみて
私は 山をみてるから

私は貰うのが嫌いだ 1997.11.22
小田 悦子

私は貰うのが嫌いだから
私にものをやろうなど
思わないでくれる?

お中元も お歳暮も
引き出物も お返しも
バースディも クリスマスも
形見分けも おみやげも
あなたの いらなくなったものも

世間の儀礼や 思いつきの好意
あなたの とうに忘れてしまったものが
ずっと ずっと
私の中で キリキリしていることを
あなたには 思いもよらないでしょう?

使う場面がなくて ずっと待たされているものや
置き場もきまらなくて じゃまにされているものの声が
聞こえてしまうから
キリキリする

あなたが嫌いなわけじゃないから
私にものをくれようなんて
おもわないでくれる?

はなさか 1997.11.10

永井 ますみ
ちいさなちいさな
じいさまが
枝に腰掛けて
そのふしぎな 手で
灰をまく
ふんわり舞い立った灰かぐらのおさまる頃
かれ枝は
こぼれんばかりのはなざかり

じいさまは 南から北へ
風に追われ
こよみに せかされ
老いの坂を
のぼりつめる

春ごとに
ずずん ずずん と
大きくなっていく木に出会う

何故わしが と
問わぬでもないが
腕のだるさも
腰の痛みも
ほこらかに咲きそろった
花々の声に
消される

ぽち
ちいさく
いってみる

「おとぎ創詩 はなさか」 より

洪水の前に(渚にて)1997.9.14
河井 洋
あなたはもう 夏の人だ
サンダルは潮に濡れ 脱ぎ捨てられた
子等は拙い文明の壮大な防衛にいそしんてでいる
かつて これほど絶望的な戦いにのぞんだ市民たちが
他にあったろうか
第一の土塁は突破された
第二の土塁は流木によって補強されたが陥落した
ああ
とうとうあなたも従軍するのですね
私たちのびしょぬれの戦線
そしていつか私たちは家族であることすら忘れ
世界連邦を組織した
ついえ去ろうとしている私たちの文明をまえにして