波佐見焼について

波佐見の窯業は、江戸時代初期居間から400年前に始まり、以降一度も途絶えることなく続゙けられてきました。現在波佐見町の人口は、15.760人世帯数は4.377世帯を数えますが(1999年3月)町の就業人口8.500人のうち窯業関係者は4割を占め、110社程度の窯元がひび生産しています。和食器の出荷額は国内全体の15%にもおよび、長崎県下では最大全国でも3位の実績を誇ります。波佐見町は400年という長い歴史に培われた窯業の伝統を保持しつつ、現在もなお「やきものの町」としていきつづけているのです。ところが波佐見で生産されたやきもの「波佐見焼」は残念ながら全国的に知れ渡っているとはいえません。それは江戸時代に当時の積出港の名を取り「伊万里焼」と、そして明治時代以降は積出駅の有田の名を取り「有田焼」と称されてきたためです。波佐見焼をめぐり多くの人々が織り成してきた壮大なドラマをひもといて見ることにしましょう。