青磁の時代
|
 |
| 三股青磁窯跡窯体国指定史跡2000年9月6日 |
平成9年(1997)に調査が行われた際、窯の本体とともに大量の青磁が発掘されました。出土品の特徴から、畑ノ原窯跡の次の段階、1630年代から1650年代頃に使用された窯と考えられています。ここで生産された青磁の多くは、表面に草花などの模様が彫り出され、またやわらかい美しい色合いをもつ青磁釉g施されています。三股青磁窯跡では国内でも最高水準の優れた青磁が生産されていたのでした。
|
| 寛永14年(1637)、佐貫藩の有田・伊万里では、藩による窯場統合によって、陶器生産を主体とした窯が廃止され以降は磁器の生産が主流となります。大村藩の所領であった波佐見もほぽ同様の動きをみせ、1630年代頃には本格的な磁器生産を開始します。1630〜1650年代、有田の窯では、染付を多く生産し、また、也絵も焼き始めていますが、波佐見の場合、青磁を中心に生産しました。当年代を代表する窯として、三股地区に所在する2基の窯、三股古窯跡、三股青磁窯跡があげられます。三股地区は、磁器の原料である陶石を豊富に埋蔵している地区で畑ノ原窯跡などの陶工達が磁器の本格的な生産を始めるために、この地へ移動したと考えられています。磁器を作るためには、やはり、その原料が近くにあった方が使利でしょう。平成9年(1997)、三股青磁窯跡の発掘調査が行われ、大量の青磁が出土しています。青磁の釉薬は、水色に近い透き通った色合いを墓調とし、器の表面に、草花の模様を流れるように彫りだしたものが多く見られます。また、牡丹や梅樹の形を貼り付けたシックな製品も作られていました。技術的に、肥前でトップレベルの青磁であったことは間違いありまぜん。この窯で生産されたと考えられる青磁は、滋賀県彦根城家老屋敷跡、東京都汐留遺跡龍野藩脇坂家屋敷跡、新潟県高田城跡、宮城県仙台城跡など、主に富裕な人々の住居跡から出土しており、当時、かなりの高級品であったと思われます。磁器生産が始まりたかだか20数年の後、今から約350年も昔に、波佐見では非常に優れた青磁を生産していたのでした。 |
 |
| 青磁貼花梅樹文天目台(口径7cm) |
 |
| 三股青磁窯跡出土品 |
| 質問7 |
江戸時代の波佐見焼に見られる磁器の種類は |
|
素地をおおう釉薬や装飾方法から、以下のように分けられます。
白磁・白い素地に透明な釉薬をかけて焼いた磁器。白い色をしたもの
染付・藍色の顔料(呉須、成分はコバルト)で模様を描き、その上に透明 な釉薬をかけた磁器
青磁・透明な釉薬に鉄分を少し混ぜ、素地にかけて焼いた磁器。青や青 緑色
色絵・一度焼きあげた白磁や染付の上に赤や緑色などの顔料で模様を 描き、再び焼き上げたもの。赤絵とよばれ江戸時代波佐見ではほ とんど生産していない。 |
|