昭和時代
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| 昭和初頭の大不況をのりきった波佐見窯業は、その後ただちに活発な動きを見せます。石炭窯が次々と築かれ、窯元は山間部から平野部へ進出していきます。また、昭和5年(1930)には、長崎県窯業指導所が開設され、新しい窯業技術の研究や指導が行われるようになりました。窯業界も昭和9年(1934)、波佐見陶磁器工業組合を設立し、その拠点を作り上げます。昭和のはじめ頃、波佐見では洋食器や酒樽などが盛んに作られていました。 |
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| 白抜き銅版転写福寿字唐草文傘立て 染付ギリ松文ポット |
酒樽 |
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| 染付刷毛目文急須と湯呑 |
| 昭和12年(1937)、日本は日中戦争を引き起こします。かつて、肥前へ様々なやきもの技術を発信した朝鮮半島や中国大陸は、日本軍の侵略によって戦場となり、多くの悲劇が産み出されることになります。国内も次第に戦時体制に組み込まれ、窯業界は様々な統制を受けます。昭和15年(1940)には、やきもの価格の制限、また、やきものに記されていた窯元の名前は消され、番号化されてしまいました。昭和16年(1945)、太平洋戦争が勃発し、日本はさらなる泥沼へ進んでいきます。多くの職人は戦場へとられ、また、燃料の制約や滅産令によって、波佐見窯業の苦難の時代は続きます。そして、戦局か悪化し、物資か乏しくなると、水筒や手瑠弾までもやきもので作られます。 |
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| 白磁硝酸槽 |
前列左から染付ゴム印錨文鉢 白磁手榴弾 |
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後列左から飴釉水筒 白磁星文鉢 |
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