句碑
風に誘われ歴史散歩。

〜ほどよい香りは、歴史と文化から〜

 水と緑にはぐくまれた文化、それが富士見の特徴です。
 珊瑚寺に、石碑の詩歌に通う緑のあたたかさ。昔日の思い。都会にはない文化に、知性が惹きつけられるんですね。
 さて、知性を磨く旅へと好奇心を向けてみましょう。


句碑めぐり散歩道赤城神社珊瑚寺沼田街道・米野宿大鳥居


珊瑚寺

<名刹> 珊瑚寺

 春・・・。薄紅色の花びらが心字池に映える珊瑚寺は1200年の伝統をもつ名刹。境内には赤城塔とよばれる室町初期造立の宝塔や板碑、地蔵堂、千財仏堂、滝不動などの文化財が多数あります。また、この寺には古くから伝わる七不思議伝説があり、現在も語り継がれています。

乳房の銀杏

いにしえからの物語−珊瑚寺不思議

乳房の銀杏
地蔵堂参道の右側、水屋の先に銀杏の大木がある。この木が乳房の銀杏と呼ばれるもので、乳の不足する産後の婦人が、この木の枝で作った箸で食事をすると、乳の出がよくなると伝えられている。

赤面観音
 鏡池の中央に祀られている観音様。一心に願をかけながらそのお顔に池の水をかけ、顔が赤く変化するとその願いがかなうという言い伝えから、こう呼ばれる。

鏡池
 地蔵堂東にある丸いこの池は、作物が枯死するような日照り続きの時も、長雨で大水が出るような時にも、水量は増減することなく常に澄んだ清水をたたえている。

不動の滝 不動の滝
 本堂裏手にある小川が流れ落ちる滝をこう呼ぶ。
 昔、石井村の三代吉という者が、ある夜珊瑚寺境内に滝を造るべしという不動様のお告げの夢を見た。信仰の厚い彼は早速工事に取りかかったが、難航し思案にくれてしまった。するとどこからともなく不動様が現れて、瞬く間に滝を完成させてしまったということである。

珊瑚寺 穴薬師
 地蔵堂左手、杉の根本にあるこの薬師は弘法大師の作といわれ、以前は石穴の中に祀られていた。この薬師像は他所に移されても、その夜のうちに必ずこの穴の中へ戻ってしまったということである。

涙の梅
 正治年間になって景時の妾であった女が、勝道上人開山の寺で頼朝・景時父子の霊を供養せよという言い伝えに従い、当寺にたどり着き2人のまつった。その時杖として携えていた梅の枝をここに挿したものが根付いたもので、当時月の澄んだある晩、和尚が根元にある座禅石の上で一心に禅定に入っている姿に感服した梅の木から、しきりに露がしたたり落ちたという。以後涙の梅と呼ばれ、念仏を唱えながら三廻りすると露がしたたると伝えられている。

臥牛石
 珊瑚寺石門の左側にある石のことで、人々がこの石に願いごとをすると、不思議にも石が牛に姿をかえ、その人にかわり信州善光寺にお参りをしたという。

Mapfan 珊瑚寺


沼田街道・米野宿

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  沼田街道は、赤城山の西麓・利根川の左岸に古来より開けていた道で、前橋と沼田を結んでいます。主に沼田藩の参勤交代用の道路だった沼田街道の宿駅は、前橋を出発し、米野・溝呂木・南雲・森下・沼田であった。
  米野宿は、東は吾妻川、西は千年川の谷がある台地の稜線上にあり、約八町にわたって町並みを形成し、宿の南北には松並木があった。明治14年の大火により宿の大部分が焼失したため、古い形態を残す家は残っていない。米野宿では、三国街道方面から東上州への横道もあり、沼田街道の宿場では一番の要路であった。


赤城 大鳥居

赤城大鳥居 県道・前橋赤城線と県道・渋川大胡線との交差点にある「赤城神社一之鳥居」として建てられている赤城大鳥居。前橋方面から来ると、朱の色鮮やかに大きくそびえ立つ姿が遠くからも見えます。高さ21.3m、幅28m、柱の太さ1.7mと、スケールも全国屈指で、夜のライトアップはとてもきれいです。しかし、まわりに電柱、電線があるので、見栄えは半減してしまいます。

MapFan「赤城大鳥居」


句碑めぐり散歩道

赤城山新坂平から湖畔へ向かい、白樺ラインが曲がる地点に「句碑めぐり散歩道」入り口がある。ここには水原秋桜子をはじめ、赤城を好んだ人々が残した5つの詩があちらこちらにあります。散歩道として最適です。このほか赤城神社脇には万葉歌碑・志賀直哉文学碑。大鳥居下には、芭蕉句碑などを見ることができます。

大友華亭句碑 大友華亭句碑
山咲う 牧場の柵を 繕える 華亭
 赤城山の「句碑めぐり遊歩道」の5基のうちの1つで、昭和58年10月、大友華亭翁敬慕会によって建てられた。荒井元男(徳峰)さんの書である。
 華亭は本名を常見といい明治31年(1898)横室に生まれる。修学後蚕種製造業を営み、昭和24年9月、村長に就任する。
 山咲う(やまわらう)は春の季語、「咲」は「笑」の古字である。日ざしも増して山の面が緑に変わると、牛馬を迎え入れる準備に忙しい牧場である。

matsuno.jpg 松野自得句碑
かぜ吹けば 風から生まれ 赤とんぼ 自得
 赤城山の「句碑めぐり遊歩道」の中の1つで大きな自然石に筆太に書かれている。昭和49年、自得を敬慕する人たちにより自得がこよなく愛した赤城山に建てたものである。
 自得は、明治23年(1890)生まれ前橋市東大室の最善寺の住職となる。僧侶であり俳人であり日本画家である自得は虚子に師事し俳誌「さいかち」を創刊、主催して活躍する。
 赤とんぼが風から生まれるという発想は俳人ならではで面白い。

tomita.jpg 富田うしほ句碑
迅雷や 黒桧の肩の うるし雲 八十六 うしほ
 赤城山の「句碑めぐり遊歩道」の中の一基で、昭和49年7月、前橋若竹支部の人たちによって建てられたものである。
 富田うしほは明治22年(1889)名古屋市に生まれる。村上鬼城に師事し昭和3年「若竹」の創刊に伴い選者として活躍。鬼城没後は鬼城門の長老として遺脈を伝えた。
 句は昭和49年の作。季語は迅雷である。黒桧もうるし雲も色彩感は黒、神秘的な黒は雷鳴にふさわしい。

aiba.jpg 相葉有流句碑
生きて芽吹きて 風倒の楢 霧まみれ 有流
 赤城山新坂平に出て湖畔への白樺ラインが曲がる地点に「句碑めぐり遊歩道」入り口がある。しばらく行くと通称四本楢にこの碑が建てられている。
 昭和35年頃の作である。有流は明治40年(1907)千葉市に生まれ本名神という。群大名誉教授、上武大学名誉学長、また、俳誌「石人」を主催、宗教史研究家、県俳句作家協会長でもあった。
 昭和49年(1974)群大教育学部教官有志によって建碑された。

mizuhara.jpg 水原秋桜子句碑
啄木鳥や 落葉をいそぐ 牧の木々 秋桜子
 水原秋桜子は、明治25年東京都神田に生まれる。東大医学部を卒業後、大正15年医学博士となる。『渋柿』、『ホトトギス』を経て、『馬酔木』を主宰する。赤城への登山は十数回にも及ぶ。「啄木鳥や」の句は、句集『葛飾』の中、「赤城の秋」に所収。句碑は、自然石にブロンズをはめ込んだもので、昭和35年赤城山四本楢「句碑めぐり遊歩道」に建立された。安中市の堀口星眼医師らの発起によるものである。


赤城神社

赤城神社と啄木橋

 赤城大沼に突き出した小鳥ヶ島、そこに鎮座する赤城神社。岸から境内へは、美しい朱塗りの啄木橋がのび、沼の景観を見事に際だたせています。
  赤城神社は、近県の社を加えると、100社以上あります。そのすべてが1つの神社から分かれたわけではありませんが、赤城神社の中心的といえば二の宮(前橋市)・三夜沢(宮城村)・大洞の三社です。かつてこの三社は同一の神社で山神様が行き来するという信仰がありました。
  卯月8日(4月8日)に神様が山へ帰られ「山開き」となり、神無月8日(10月8日)は里に下られ「山閉まい」というように、山開きには山宮(大洞)へ、山閉まいには里宮(三夜沢・二の宮)へと行き来がありました。やがて、長い歴史の中でまったく別の宮のようになってきました。
  また、この三社は、大洞赤城神社(旧神社)が大沼を背に真南を向き、その延長線上に三夜沢・二の宮がならんで鎮座しているといいます。
  赤城神社は、開運・家内安全・商売繁盛に加え、縁結・安産・美人祈願と女性の願い事がよくかない、美人の娘が授かるといわれています。

Mapfan 赤城神社

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