DD51重連貨物  5675レ〜5582レ(山口線〜山陰本線)

 【その1往路 炭酸カルシウム輸送

2004年3月15〜17日

  【機関車番号】 3月15日 DD51 852+855 : 16日 DD51 851+882 : 17日 DD51 855+852

   

  山口線  石見横田→益田 : 山陰本線 益田→石見津田→鎌手→岡見→三隅発電所


山口線を走行する5675レ

  山口線の石見横田〜本俣賀間のまだ明けきれぬ山間部から姿を見せた5675レ。

  昨年12月に初めて撮影した山陰本線のDD重連貨物が忘れられず、また3月末で廃止?になる九州の三井セメント貨物の撮影も兼ねて車で遠征した。


山口線を快走

  山口線の山間部の峠越えを終え、本俣賀を過ぎ快走する5675レ。DD51 855+852 3月17日撮影。


益田はもうすぐ

  踏切の向こうのトンネルを出て高津川沿いを走ればまもなく益田。今年は北海道の鷲別、東新潟と寒冷地仕様のDD51を見て来たので旋回窓の無い一般仕様のDDを見るのは久しぶりである。


益田駅構内

  益田に朝6:53着、出発の8:10まで駅構内で憩う5582レ、ホテルの部屋から撮影。


益田駅構内

  朝日を浴びて駅構内で憩う DD51 851+882 3月16日撮影。

  この重連貨物はこの3月末まで運転以降三ヶ月間運休、その後の動向は不明であるが船での輸送の話もあり存続は不透明である。


日本海沿いを走る

  山口線の山間部を走って来た重連貨物は、山陰本線に入り朝日が当たり始めた美しい日本海沿いを走る。DD51 851+882。


益田〜石見津田間

  昨年12月もここで撮影したが、その時はアラレ混じりの大雨(通り雨)で大変だった、これでリベンジを果たせた。


益田〜石見津田間

   上の写真の近くの跨線橋から撮影。この踏切は漁港へ降りる行き止まりの道。


益田〜石見津田間

  ここを越えれば石見津田駅に到着。 DD51 855+852。


石見津田駅を発車

   煙を吐いて出発する。益田の次ぎの駅の石見津田に8;20着、列車交換があり8:34発車。DD51 851+882。


トンネルへ

    石見津田を出るとすぐにトンネルに入る、勾配があるのでフルスロットル。後追いのDDも迫力があり素晴らしい。


鎌手を出発

   鎌手8:41着ここでも列車交換があり8:56発。昨年はR9の跨線橋から撮影したが、これはその先の跨線橋。DD51 851+882。


青浦の鉄橋

  鎌手を出ると国道から離れ再び日本海沿いを走る、ここはRM誌に写真が載っていたポイントで探したが見つけられず地元の人に場所を聞いた。地元ではかなり有名な撮影地のようである。DD51 855+852

  撮影者が残したと思われるゴミがあった、いくら綺麗な写真を撮っても自然を汚すその心が汚れていては……・!


専用線のトンネルを通過

   岡見から専用線に入り、ここは連続してトンネルを越える。一つ目のトンネルを抜ける。DD51 851+882


発電所構内に入る

  二つ目のトンネルを抜けると発電所構内に入る。構内には見学者施設、公園がある。DD51 851+882。

  【その2:単回送5361レ〜5362レ】に続く。


 DD51重連牽引のタキ貨物フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用列車

 【往路】炭酸カルシウム輸送

   5686レ 美祢17:18発→厚狭17:54 : 5776レ 厚狭4:23発→新山口4:55着 : 5675レ 新山口4:57発→益田駅6:53着

   5582レ 益田8:10発→石見津田8:20着8:34発→鎌手8:41着8:56発→岡見9:04着→(三隅発電所9:10着)

 【回送】

   単5361レ 岡見10:56発→益田11:26着

   単5362レ 益田16:04発→石見津田16:12着16:36発→鎌手16:40→岡見16:46着

 【復路】フライアッシュ(石炭灰)輸送

   5583レ 岡見17:38発→鎌手(停止有り)17:53発→石見津田(停止有り)18:11発→益田18:19着

   5676レ 益田18:35発→新山口21:10着 : 5777レ 新山口21:13発→厚狭21:46着 : 5687レ 厚狭7:56発→美祢8:36着

  ※岡見〜厚狭間は土・休日運休、厚狭〜美祢間は日曜・休翌日運休(金曜日・休前日も運休:JR貨物時刻表)

 ※フライアッシュとは石炭火力発電所から排出される石炭灰(フライアッシュ)で、有効利用を図るためコンクリート分野への適用を検討されている。

 ※山口線の急勾配を牽引するためDD51重連で運転されている。

 ※2004年春3月末まで運転、三ヶ月間運休それ以降の動向は不明であるが船での輸送の話もあり存続は不透明である。

 

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