HIDEの東京見聞録

1998年9月12日

日帰りで名張市までのツーリング。
劇場アニメ氏(ガンマ250)、KEN氏(バンディット400)、HIDE(MAJESTY SV)の3台構成だ。
名張市で数カ所回った後無事に名古屋まで帰還し、24時に東京へ向けて出発の予定だ。
体力温存の為に寝ておこうと思ったが、私の親がやたらと話しかけて来て眠ることが出来なかった。
そうこうするうちにKEN氏がボンゴフレンディのオートフリートップ(屋根の開くやつ)で迎えに来た。約束の24時だ。

1998年9月13日

早速KEN氏の車に乗り込んで、さぁ出発だ。
近所のコンビニで買い物をする・・・・・・と、何と!私は財布を忘れてきたことが発覚した。
まだまだ近所で良かった。出鼻をくじかれた感じだがまぁいい。充分にリカバリ可能な範囲のアクシデントだ。
東名阪の楠インターから乗り、名古屋インターを経て東名高速へ。もう忘れ物があっても後戻りは出来ない。

搭載したクーラーボックスの中には私の愛飲するアサヒスーパードライが充分な数ほど積んである。
交替しながら運転するのなら飲酒は不可能だが、途中のS.A.又はP.A.で眠ることを前提にしているので、取り敢えずKEN氏に運転を任せて私は飲む。

富士川S.A.で取り敢えずの仮眠を摂り、出発してまもなく私の体調が悪くなった。
トイレに行きたいのだが、次のP.A.まであと8Kmもある。通常なら「あと8Kmしかない」のだが、「あと8Kmもある」感覚だ。
車は約80〜90Km/hで走っていたので、まだ合法的に速度を上げる事が出来る。
KEN氏にスピードアップの依頼をし、ようやく待望のP.A.に到着した。
走るのももどかしくトイレに駆け込み、何とか事なきを得た。
ほっと一息という言葉は、まさにこの時のためにあるようなものだ。
トイレが空いていたからよかったようなものの、満杯だったらどうしよう。考えるだに恐ろしい。

車は上り3車線区間に入り、渋滞もなく快調に進む。午前7時頃、鮎沢P.A.の看板が見えた。
KEN氏も私も初めて立ち寄るP.A.だが、こんなに良いP.A.は珍しいと思った。
何せ駐車場が広い! しかも24H営業のレストランもある。P.A.ではなくS.A.を名乗ってもおかしくないくらいだ。

立ち寄っただけで停車せず、単に通過するつもりだったのだが、朝のこの時間帯は駐車場の大半が山の日陰になっており、仮眠する場所に最適だった。
さっそくそこで再び屋根を空けて仮眠したが、ふと暑さで目が覚めた。
周囲を見てみると、日が昇って駐車場全体が日向になっているではないか(笑)
考えてみれば、地球は自転しているのだから当たり前のことではある。

10時前に起き、レストランで食事。「本格インド風カレー」の垂れ幕が目を引いたので、早速それを注文した。
インド風カレーといっても普通の日本風のカレーであり、カレーをナンで食べる訳ではないし、米は国産米(と思う)だったのだが、味は中の上だった。
しかし、辛さと後味が非常に良く、また食べたいと思わせる内容だった。
それに、550円であのボリュームは結構満足のいくもので、食べきれるか一瞬不安に駆られるくらいだった。

鮎沢P.A.を出て横浜インター付近にさしかかったところ、乗用車とバイクの事故があった。
乗用車にバイクが追突した事故で、バイクは大破していた。
ラジオでは「負傷者」と言っていたので、何とか命は取り留めたようだ。
元気に復活してくれることを願わずにはいられない。

目的の冬馬氏宅に13時少し前に到着。13時から始まる断髪式に充分間に合った・・・のだが、13時になっても殆ど誰も集まっていない。
武蔵小金井駅にまたぞろ集まり始めているとの事だったので、KEN氏と共に車で迎えに行く。
一旦冬馬氏宅に集まったもののカメラがないことに気付き、私は独りで使い捨てカメラを買いに近所の写真屋へ行った。
また、ベルママ氏が桃の天然水(だっけ?)を大量に買い込んできてくれた。これは本当に有り難かった。
酒を飲みながらの歓談が始まり、はむすた嬢がフライング気味にD.D.氏の髪に鋏を入れる。

のぶかん氏の顔が早くも赤くなりはじめた頃、みんな結構ハイペースで酒が進んだので、買い込んだビールも底をつき始めた。
朴念仁氏がビールの買い出しついでにもう一つ使い捨てカメラを買ってきてくれた。
その写真屋さんで朴念仁氏が「さっき変な人が買ったのと同じのを下さい」と言ったら「ああ、あの人ね」とあっさり通じてしまったらしい。
私は中身はともかく外観はまともな筈なのだが・・・おかしいなぁ(笑)

この夜、私はちょっとした用事で小金井署に出かけたのだが、そこでアニメ機動戦艦ナデシコのキャラクターであるルリルリを使ったシートベルト着用を訴えるポスターを発見した。
警官に「このポスター余っていませんか?」と軽い気持ちで聞いたのだが、警官はわざわざ関連部署にまで電話で確認してくれた。
結果的には余っていなかったのだが、なにもそこまでして頂かなくても・・・。本当に軽い気持ちで聞いただけなのに、こっちが恐縮してしまう。

こうして名古屋メンバーと東京メンバーの何人かは冬馬氏宅で明日を迎えた。

1998年9月14日

13日も見かけたが、冬馬氏の家には60〜70歳くらいのおじいさんが突然家の中に入ってきて、どんどんゴミを片づけていくのだ。もちろん冬馬氏のご家族ではない。
有無を言わさぬ強引さというか、聞く耳持たない雰囲気で、冬馬氏の思惑とは無関係におじいさんはゴミを持ち帰っていく。
まさに不思議な光景だった。
冬馬氏曰く、彼は「キタキタおやじ」なのだそうだ。(漫画「魔法陣ぐるぐる」に登場する変なじじい)

横浜の中華街で食事をしようということになり、昨日一旦帰ったメンバーも加えて6人体制で一路中華街へ。
ちなみに昨晩KEN氏が手に怪我をした為、私が車を運転することになった。
武蔵小金井付近から中華街へ行くにはいろんな方法があるけど、やはり景色の良い湾岸線を通りたいものだ。
橋の上から見下ろすウォーターフロントはいつ見ても気持ちいい。

新山下で高速を降り、中華街へ。私はカメラを持ってきたつもりだったが、どうやら冬馬氏宅に忘れてきたようだ。
中華街を歩いていると、はむすた嬢がどうしても「ぶたまん」が気になるらしい。
ぶたまんを買おうとするはむすた嬢を半ば強引にその店から引き離し、さらに道を進む。
メンバーの一人が「小さい店で食事をしたい」とのことだったので、ちょうどそういったお勧めの店があったのでそこに入る。
出てきた飲茶セットは結構な量があり、残すわけにもいかず少し他の人にも手伝って貰った。

中華街で食事を済ませ、次の飲み会会場である新宿へ向かう前にお手洗いに立ち寄る。
メンバーの一人が個室に入って用を足していると、紙がないことに気が付いて助けを呼ぶ声が(笑)
用を足す前には紙の存在を確認しよう

新宿でTO−CHAN氏やアルザス氏、ゆんぺ氏他、何名かと合流し、飲み会は行われた。
二次会にカラオケでも行くのかなと思っていたが、みんなただひたすら居酒屋で飲み食いを続け、実に6時間くらいその店に居た。
さすがに今度は酒の入った私が運転するわけにはいかないので、右手の怪我をかばいつつもKEN氏が運転した。
KEN氏は、酒は一滴も飲まないのに居酒屋での集まりが好きというからこちらも助かる。

何人かは駅や自宅付近まで送っていき、再び冬馬氏宅に到着。
メンバーは冬馬氏、アルザス氏、のぶかん氏、KEN氏、HIDEの5人だ。
KEN氏とHIDEを除いた3人で麻雀をやり始める。
HIDEは麻雀のルールを全く知らない。知りたいとも思わない。恐らく、一生知らないままで過ごすことになるだろう。
そして翌日を迎える。

1998年9月15日

朝、冬馬氏が初代ガンダムの劇場版をLDで観せてくれた。
やはりガンダムは初代が一番良いと私は思う。
昼頃に帰り支度を始め、いよいよ名古屋へ。KEN氏の怪我がまだ回復していないのでHIDEが運転する。
ふと車を見ると、右前角のバンパーにこすった痕が2つあった。
昨晩停めておいた駐車場での当て逃げである。2つとも同一犯によるものか別々なのかは不明だ。
KEN氏に警察へ被害届を出すよう勧告したが本人が「そんなもん無駄」と言い、被害届は出さずじまいになった。残念だ。
のぶかん氏とアルザス氏を東小金井駅まで送りつつ、KEN氏と私を含めた4人で油そばを食べた。
知る人ぞ知る、東小金井駅至近の店である。油そばは久しぶりだったが、やはりおいしかった。また来よう。

2人と別れ、あとは名古屋に帰るだけ・・・・と思っていたら、今度はKEN氏が冬馬氏宅に忘れ物をしたという。
全く、この2人は出かけるときになったら忘れ物をするんだからぁ。
そういや忘れ物じゃないけど、往路の東名高速でKEN氏もHIDEも一回づつ携帯電話を車の中で見失い、お互いに電話を掛けて呼び出し音を頼りに探したこともあったな。(^^;

復路は用賀の東京インターから東名高速に乗った。
折しも台風5号が接近中で、静岡県に入ったあたりから雨が降ったりやんだりしてきた。
私が少し眠たくなってきたので、由比P.A.でKEN氏と交替。
高速道路なら動作も少なくKEN氏も運転は出来る。
上郷S.A.で再びHIDEと運転を交替し、私の自宅へ。
そこからKEN氏の自宅までは彼自身で運転して貰うしかない。お疲れさまでした。

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