トラウマ?3

今までお話した2つの事例の他に、もう一つだけ小学生の頃の出来事をお話ししておきましょう。

友達と近所の広場を自転車で走り回っていると、近くの草むらが燃えているのを発見しました。
小火(ぼや)程度なら、近くの公園から水を汲んでくるなりして消火出来たかもしれませんが、子供の目にも、もうそういった規模の火災ではない事が明らかでした。

その草むらは人通りの多い国道に面しており、何人か(の大人)はその火災をただ単にボーッと見ているだけでした。
どうして誰も通報しないのだろう? 大人のくせに、通報することも出来んのか? もしかして通報のしかたを知らんのか?
火災を目の前にして何も出来ない大人を頼りにすることは出来ず、私は友人といっしょに公衆電話から119番通報しました。

やがて消防車が駆けつけ、消火作業を始めました。(結果的には、もとより草むらだった事もあり、人命・人家の被害は幸いにもゼロでした。)
隊長(?)らしき人が通報者の確認として我々の前にやってきて、開口一番「ここで火遊びしていたんじゃないだろうね?」
これは全く予想もしなかった発言でした。

もちろん、周囲の大人は通報すら出来ないような役立たずばかりでしたので、誰一人として我々の無実を証言してくれたりもしません。
第一発見者(通報者)は疑われる事がある・・・だから誰も通報しなかったのでしょう。

でも、大人だったら、通報する能力も、自分の無実を証明する能力も、子供よりは優れているはずです。
近くには団地があり、万が一飛び火でもしたら大きな被害が出ることは、小学生の子供にも簡単に予測できました。
それにもかかわらず、疑われるのはいやだから、無実を証明するのは面倒だから通報しない。
それが大人。
子供の私たちは、被害を食い止めるため、必死になって電話を探して通報し、その結果が放火の疑い。
別に、「良い事したね」とか言ってほめてもらおうと思って通報した訳じゃないし、ただ、当たり前の事をしただけなのに。

放火の証拠があるわけでもなく、結局は単なる通報者としてどうにか納得してくれたようではありますけれど、この事例でも大人は子供の心に大きな傷跡を残した事は確かです。

<このお話は、まだ続きます>