トラウマ?5

今までの事例と違い、ここからは私の救いとなったお話です。

子供の頃のある日、道ばたに50円玉が落ちているのを発見しました。
普通ならネコババしても不思議は無い(?)のですが、私は近所の交番をわざわざ探しだし、50円玉を届けました。
すると、警察官は「君の届けてくれた50円玉は確かに預かった。」と言って50円玉を所定の手続きで保管し、自分の財布から「これは、届けてくれたご褒美の50円だよ」と、別の50円玉をくれたのです。

「トラウマ?2」のように、子供を失望させる事しか出来ない警察官に比べて、この50円玉の警察官は何とも機転の利く、子供の心を大切にする警察官ではありませんか。
こういう対処方法は、おそらくは警察の規則には存在しない事でしょう。

この警察官も、「トラウマ?2」の現場に居合わせたなら、私に無実の罪を着せようとしたかもしれません。
逆に、「トラウマ?2」の警察官がこの50円玉の現場に居合わせたなら、同じように別の50円玉をくれたかもしれません。
でも、起こったことの歴史に対して、「かも」は無いのです。

また、私を犯人呼ばわりした野次馬に対して、塾の先生は「おまえは(お金を盗むところを)見たのか! 決めつける証拠があるのか!」と一喝し、私の傷ついた名誉を真剣にかばってくれ、そしてパトカーにもかけつけ、そこでも真剣に私の無実を警察官に説き伏せてくれました。
確かに私は無実の罪に陥れられようとしていましたが、塾の先生からすればとっさの遭遇的な出来事であり、私の無実の確証があるわけでも無い状態でした。
それにも関わらず自分の教え子の無実をひたすら信じ、周囲の大人たちを一喝し、警察官に対しても(確証など何一つ無い状態で)臆することなく対峙出来る、今時、ここまで出来る大人がどのくらいいるでしょう?

小学校の時、テストの採点で私に対して的外れな非難をした先生と比べてみて下さい。
もしあなたが学校や塾の生徒なら、自分の先生を思い浮かべてみて下さい。
そしてあなたが既に大人なら、仮に自分の生徒がこういう目に遭わされているとして、どこまで真剣になれますか?
もちろん、今の私だってここまでできるかどうかの自信はありません。

警察官の中にも信頼できる人とそうでない人がいるのと同様、大人の中にも、ここまで子供の私に対して真剣になってくれる人もいるのです。

<このお話はまだ続きます>