トラウマ?7

時が経ち、私が大人になって整理してみると、私が不信感を持つ人には、次の共通点があるようです。

一つは、自分の考えを持たないこと。
一つは、言い訳をすること。
一つは、他人に対してのみならず、自分に対しても平気で嘘をつくこと。
一つは、客観的視野に欠けること。
一つは、聞く耳を持たないこと。

他にも細かい点はあると思いますが、まずはこの5点に絞っても良いと思います。
(この5点に対して掘り下げていこうと思いましたが、構成上の理由でカット致しました。機会があればいずれ採り上げてみたいと思います)

この5点を共通点とする私が不信感を持つ人に対し、一つ前のトラウマ?6では

子供の目から見てさえも、簡単にマイナス面の本質を見透かされる程度の、底の浅い人間にはなりたくないと思いました。
だから、私は絶対に不良になんかなるものか、意地でも真面目に生きてやる!と考え、それを実行してきました。

と書いています。

底の浅い人間は、自分に余裕がないからその分他者を傷つけたり貶(おとし)めたりするんだと思うんですよ。
もちろん、その他にもいろんな要素はあるんでしょうけれどね。

じゃ、余裕を持つには? 子供の頃は、それは「何か人より優れたものを持つこと」でした。
勉強でも、それ以外の事でも何でもいい、何か一つでもそう思えるものが自分にあれば、それ以外の事が人から劣っていようともあまり気にならなくなります。
つまり、自分を良く見せるために、人から馬鹿にされないために、相対的に他人をひきずりおろす〜つまり、「他者を傷つけたり貶(おとし)めたりする」〜必要がなくなるのです。

そして「何か人より優れたものを持つこと」は私が成長するに連れ、「自信と誇り」に繋がっていきます。

また、真面目に生きるとは? 子供の頃は、「正直に生きること」でした。
もちろん、子供の頃に一つも嘘をつかなかった訳ではありませんが、他人を攻撃する嘘だけはつきませんでした。
よく言われる事ではありますが、他人に嘘をつくということは、即ち自分に嘘をつくということでもあるのです。
仮に他人は嘘でごまかせたとしても、自分の心には「嘘をついた」という事実が刻み込まれるのです。

そして成長するに連れ、「正直に生きること」は「誠実」という事に変化していきました。(言葉にすると、あまり違いは無いように思うかもしれませんけど)

<このお話は次で最終回を迎えます。>