行政法 レポート
阪神・淡路大震災の行政法上の課題  私の実弟は、兵庫県川西市に住んでいる。阪神・淡路大震災(以下、大震災という。) 発生数日後、電話で安否を確認したが、生命に別状は無く、家屋への被害も軽微だったと のことで一安心した。しかし、多数の犠牲者、建造物の火災・壊滅等、あの惨状は記憶に 新しい。  ごく少数の専門家(地震研究者等)を除いては、地震は来ないだろうと言われていた関 西の大都市に、あのような巨大地震が発生するとは誰も予想していなかったのではないか と思われる。私が当該地区に住んでいたとしても、おそらく何の備えもしていなかったで あろう。  天災は忘れた頃にやって来るというが、大震災後のテレビを始めとする報道を視聴して いると、行政も住民も災害に対する各種の備えを著しく欠いていたのではないかと感じた。 加えて、地震発生が早朝であったことと、老朽化した住宅が密集していたこと等が、あの ような大惨事につながったのだと思う。  そこで、大震災の行政法上の課題について、最大限に尊重されるべき人命と財産の安全 を預かる国家及び地方自治体の危機管理体制と、その他の諸問題の二つに分けて考える。  まず問題としたいのは、多数の犠牲者を出した国家及び地方自治体の危機管理体制であ る。国家は国民全体の生命と財産を守る責務を負っており、わが国のような地震頻発国に おいては、国家が地震に対して油断していたとは考え難い。しかし、いつどこで、どのよ うな規模で発生するかの予測は非常に難しく、地方自治体においては東京、東海地方等の 常に話題に上る地方を除き、自分の地方に地震が発生する可能性と、その対策を常に真剣 に考えている所は、まだ十分な数ではないのではないかと思う。  今回の大震災においても、市民の生命と財産を守るべき神戸市政(及び周辺市政)が、 地震発生を予測して対策を真剣に継続して検討していたとは考え難い。地震発生は防ぎよ うが無いが、事前に最悪の事態を想定した対策を立てていたならば、今回の大震災の被害 はかなり小さく押さえることができたのではないかと思う。  「宮崎辰雄前市長『地震でやられるなんて考えたことがなかった。学者もいまでは何だ かんだと言うが、われわれに一度も忠告してくれなかった(1) 』」と言う行政側と、「誰 も忠告してくれなかった、予測できない大地震だった、などというのは真赤な嘘である。 『六甲周辺の地震活動が低い。……、防災・地震予知の問題と合わせて、さらにくわしい 研究が望まれる(2) 』」等の学者側との言い分には大きな食い違いがある。  相手がいつ発生するか分からない地震であり、経済的な問題等、市政の対応にも非常に 難しい面はある。しかし、今回の大震災被害は、学者・専門家達の報告(警告)への耳の 傾け方が足りなかった神戸市政の欠陥の影響が大きいと思う。市の行政組織のあり方、行 政作用(大震災前後の行政手続・方法等)が不十分であったことを考えると、行政災害と も言える一面を持っていると思う。  国家の危機管理体制を考える場合、避けて通れないのが自衛隊派遣問題である。災害救 助は都道府県もしくは市町村の責務であり、個人の生命、身体、財産保護はそれら自治体 の組織である警察・消防の責務でもある。今回の大震災において、警察・消防はよく頑張 ったと評価できる。しかし、災害の規模があまりにも大き過ぎた為、一地方自治体レヴェ ルではどうにもならず、自衛隊に頼らざるを得なかった。  ところが、自衛隊の初動体制は良いものではなかった。災害現場までの交通事情の悪さ、 災害救助専門でない為の装備不足等を考慮しても、問題が残るものであった。兵庫県知事 の自衛隊への派遣要請の遅れ、連絡網(手段)の不備等、県側にも問題はあった。しかし、 今回のような大地震の場合、知事一人に責任を押し付けるのは些か酷であると思う。  自衛隊は災害派遣も任務の一つであり、俊敏な人命救助の観点から、今回のような大災 害の場合は自衛隊法第八三条第二項後段の条文を適用すべきであったと思う。すなわち、 事態に照らし特に緊急を要し、知事の要請を待ついとまが無いと認められる今回のような 場合は、知事の要請を待たないで速やかに部隊等を派遣するべきであったと思う。内閣総 理大臣は自衛隊の最高の指揮監督権を有するので、防衛庁長官が決断しかねていたのなら ば速やかに部隊派遣指示をすべきであった。ところが、総理が事態の重大さを認識するの が遅く、官邸の危機管理能力も十分ではなかった。指示不徹底、連絡網(手段)の不備等 の点においては、兵庫県以上に国家行政の方に落ち度があったと思う。  大震災後の95年 2月、政府が閣議決定した危機管理緊急整備計画では、決定していて当 然と思われていた事項が未決定であったことが明らかになった。本計画は航空機等を活用 した情報収集活動、民間会社から被害状況の情報提供を受ける等の、オンライン化による 24時間体制での総理官邸への情報集中が主内容となっていた。今まで何をしていたのかと、 情けなくなるような危機管理意識・体制であったと言わざるを得ない。  また、95年12月、大震災への対応のまずさを教訓として災害対策基本法が改正された。 大規模災害時には災害緊急事態の布告が無くても政府の緊急災害対策本部が設置可能、自 衛隊の派遣要請権限を市町村長にも実質的に認可することが定められた。これも、なぜも っと早く改正しておかなかったのかと悔やまれる。  次に、その他の諸問題であるが、国家及び地方自治体の危機管理体制問題に劣らず重要 な問題がある。95年 2月、復興行政に関する首相の諮問機関として設置された阪神・淡路 復興委員会では当面の行政緊急課題として、県・市の復興計画等が検討され、中期的・長 期的な各種施策も審議された。被災者への住宅供給、経済復興・雇用、災害に強い都市作 り等、難問が山積していた。  1 月という寒い時期に、暖房の無い、狭くて窮屈な避難所生活を長期間強いられた人々 の中には、死亡する人もいた。特に、体力の無い老人、病人にとっては過酷な生活であっ た。これは、市行政の災害に対する事前の備えの欠如、災害後の対応のまずさそのもので あり、行政の責任は極めて重いと思う。  経済復興、雇用面でも大きな問題を抱えた。今回の大震災による被災企業数、被災企業 に関係していた死者・負傷者数は戦後最大であったとみられている。被害額も極めて巨額 となった。多数の中小企業・大企業が深刻な被害を受けており、それらの下請け企業にも 被害が及んだ。通産省、政府系金融機関等を中心に各種の支援対策がなされたが、大震災 の爪痕は今なお残る。復興に向けての都市作りにおいても、行政と住民間のコンセンサス が不十分なようである。  その他、今回の大震災は通信システムのあり方、高齢者・障害者等の社会的弱者対応、 災害時の医療のあり方・公衆衛生、災害に強い都市作り等、全自治体及び国家に実に多く の課題を残した。  日本人は、とかく忘れやすい国民性があると言われる。しかし、今回のような大震災が あったこと、それが残した数々の問題点、教訓等は決して忘れてはならない。  行政全般に言えることであるが、組織が複雑になると小回りが効かなくなり、縦割組織 の弊害(責任転嫁、連絡(情報)不徹底・遅延等)が生じやすくなる。今回の大震災にお いても、行政の手が回らない状態の中で、いち早く機動性をもって対処したのはヴォラン ティアであった。大震災後に、ヴォランティアが雨後の竹の子の如く出て来たというよう な報道が一部にあったが、ヴォランティアは昔から存在していたのである。  大震災以前においては、相手が予測不可能な天災とはいえ、万が一の事態に対する国政 及び地方自治体次元の防災計画、及びそれに関連した諸政策に著しい欠陥があったと思う。 大震災以降においては、救援行政政策欠陥による多数の死者発生を始めとして、被災者へ の住宅供給、経済復興・雇用、災害に強い都市作り等の事前政策欠陥が露呈した。  問題が発生してから慌てるのは、およそ行政の真のあるべき姿とは思えない。あらゆる ケースを予め想定し、どのような問題(大震災)にも対応できるように法令の整備をして おくことが行政法上の課題であり、今回の大震災はまさにその盲点を突かれた形となった。 法令の整備と共に、緊急事態に際しては速やかに被害を最小限度に抑えるのが、行政の本 来の責務の一つであると私は思う。                                     以上 参考文献 (1)(2) 『ジュリスト 阪神・淡路大震災 法と対策 1070号』(有斐閣、1995年)23頁 吉井博明『都市防災』(講談社、1996年) 阪神淡路大震災兵庫県下児童作文集『ドッカン ぐらぐら』(甲南出版社、平成八年) 補記 勉強の記憶に基づいてリポートを作成。付記番号引用文以外に直接引用文は特に無し。                                     以上