刑法総論 レポート
次の各場合について殺人未遂罪は成立するか 1.甲は、Aを殺害することを決意し、深夜、Aが就寝中の寝室に侵入し、ベッドに横になって   いるAの胸付近にナイフを突き立てた。鑑定結果によると、Aはすでに数時間前に心筋梗塞   で死亡していた。 2.乙は、巡査Bより逮捕されるに際し、Bが腰に着装していた拳銃を奪取し、Bの脇腹に銃口   を当て引き金を引いたが、たまたま実弾が装填されていなかったので、殺害の目的を達しな   かった。Bは、多忙のため、たまたま当夜にかぎり実弾の装填を忘れていたのであった。 3.将来を悲観した丙女は、C子とD子の二人の子どもを道づれに無理心中を企てた。二人の子   どもを寝かしつけた後、ガスの元栓が開放状態になっているガスコンロのゴムホースを引き   抜き、さらに、玄関ドアおよび出入口のガラス戸のすき間をガムテープで目張りするなどし   て締め切り、都市ガスを充満させ、自殺するとともにC子、D子の両名を殺害しようとした   が、たまたま訪問してきた友人に発見され目的を遂げなかった。なお、都市ガスは天然ガス   であってこれによる中毒死の可能性はなかった。 1.犯罪実現までの過程として、(1) 行為者(甲)が犯行を決意して計画を立てる。(2) 犯行に 用いる道具を用意したり、現場に赴く(下見等)、犯罪実行準備に移る。(3) 犯罪実行を開始。 (4) 犯罪実行行為を終了。(5) 犯罪を最終的に実現(結果発生)が考えられる。  本件の場合、甲はAの殺害を決意し、深夜、就寝中のAの寝室に侵入し、ベッドで横になって いるAの胸付近にナイフを突き立てたわけであり、前記犯罪過程の(1) から(4) までの過程は終 了していると考えられる。しかし、鑑定結果によると、Aは甲が胸付近にナイフを突き立てる数 時間前に、心筋梗塞で死亡していた。すなわち、Aの死亡結果発生の直接の原因(死因)は心筋 梗塞であり、甲がAの胸付近にナイフを突き立てた行為はAの死因ではない。  ならば、甲の行為をどのように考えるかが問題となる。法益(Aの生命)侵害という結果発生 を重視し、生じた結果が否定的評価を受けるという意味で、結果無価値が認められる事が本質的 に重要であるとする結果無価値論の立場では、客観的危険説(法益に対する物理的・客観的危険 が生じたかどうかで区別する説)がとられる。  本件の場合、甲が、生きていると信じていたAの胸付近にナイフを突き立てて殺害したと思っ ても、Aは既に数時間前に死亡していたわけである。従って、保護法益(Aの生命)が存在せず、 甲の行為によってAの生命が失われる物理的・客観的危険性は認められず、不能犯(行為が危険 でなく、未遂として処罰する理由が無い行為。)となる。  一方、甲の行為そのものの法違反性・反規範性を重視する行為無価値論の立場では、具体的危 険説(一般人・通常人を基準として、危険性を感じさせる行為かどうかを基準とする説。)がと られる。具体的危険説の立場から考えれば、一般人・通常人の判断基準からは、本件の甲の行為 は保護法益(Aの生命)の高度の危険性を感じさせるものであり、未遂犯(犯罪実行行為を開始 したが、犯罪が完成に至らなかった行為。)となる。  Aの健康状態、家族構成、居宅の立地条件等は不明であるが、甲はもちろんの事、一般人・通 常人(家族・近所の人等)がAは既に死亡していた事実を知る事は通常、難しい。甲自身、Aが 死亡する危険性を当然認識した上での行為であったはずである。甲の行為は、Aが死亡するとい う危険性を一般人・通常人に十分に感じさせるものである。  従って私は、本件の甲の行為については具体的危険説をとり、甲の殺人未遂罪が成立すると考 える。 2.本件の場合、巡査Bの拳銃に実弾が装填されていなかったので、乙はBの殺害を物理的に達 成し得なかったわけである。課題1で述べたように客観的危険説をとれば、乙の行為によって保 護法益(Bの生命)が失われる物理的・客観的危険性は認められず、不能犯となる。  一方、具体的危険説の立場から考えれば、一般人・通常人の判断基準からは、本件の乙の行為 は保護法益(Bの生命)の高度の危険性を感じさせるものであり、未遂犯となる。  Bが多忙の為、拳銃への実弾装填を忘れていたものの、巡査が勤務中に着装している拳銃には 実弾が装填されているべきものと、一般社会では認められている。本件の場合、乙、B、逮捕現 場に居合わせていたかもしれない誰もが、拳銃には実弾が装填されていたと考えるのが自然であ る。換言すれば、誰もが拳銃に実弾が装填されていなかった事実を知らなかったといえる。この 状況下での乙の行為は、Bが死亡するかもしれないという危険性(保護法益の高度の危険性)を 一般人・通常人に十分に感じさせるものである。  従って私は、本件の乙の行為についても、課題1の場合と同様に具体的危険説をとり、乙の殺 人未遂罪が成立すると考える。 3.本件の場合、課題1で述べた犯罪過程の(1) から(3) までの過程は終了していると考えられ る。すなわち、(1) 丙女が無理心中(自殺及びC子とD子の殺害)を決意して計画を立てた。(2) CとDを寝かしつけた後、ガスの元栓が開放状態になっているガスコンロのゴムホースを引き抜 き、玄関ドア及び出入口のガラス戸の隙間を目張りする等して締め切り、都市ガスを居室内に充 満させるべく犯罪実行準備に移った。(3) 都市ガスが居室内に段々と充満してくる事により、犯 罪実行を開始した。  本件で問題となるのは、たまたま訪問して来た友人に発見されて目的を遂げられなかった事と、 都市ガスが天然ガスであって、中毒死の可能性が無かった事である。すなわち、課題1で述べた 犯罪過程の(4) 犯罪実行行為を終了。(5) 犯罪を最終的に実現(結果発生)が成立していないの である。友人が訪問して来なかったとしても、ガスによる中毒死の可能性が無かった事により、 自殺及びCとDの殺害は不可能だったわけである。  客観的危険説をとれば、保護法益(CとDの生命)侵害の危険性が存在せず、丙の行為による CとDの生命が失われる物理的・客観的危険性は認められず、不能犯となる。  一方、具体的危険説の立場から考えれば、一般人・通常人の判断基準からは、本件の丙の行為 は保護法益(CとDの生命)の高度とは言えないまでも相当の危険性を感じさせるものであり、 未遂犯となる。  家庭内事情があったのかもしれないが、将来性のある罪の無い子供を道づれに無理心中を企て る事は、親権・監護義務の放棄である。本犯行の実行準備状況より、丙は都市ガスで中毒死でき ると信じていたと考えられる。ガスを居室内に充満させる事は、居室内にいる人間の中毒死はも とより、ガス爆発等で近隣住民の生命に害を与える事も一般的に十分に予想される。また、一般 人・通常人(近隣住民等)が都市ガスは天然ガスであって、中毒死の可能性が無かったという事 実を知る事も、通常の人には難しいと考えられる。  丙の行為は、丙とCとDはもちろんの事、第三者の生命にも危害を与えるかもしれないという 危険性を、一般人・通常人に十分に感じさせるものであると思う。  従って私は、本件の丙の行為についても、課題1の場合と同様に具体的危険説をとり、丙の殺 人未遂罪が成立すると考える。                                        以上 参考文献 井田良『基礎から学ぶ刑事法』(有斐閣、1995年)95頁〜106頁、150頁〜162頁 編集代表 星野英一・松尾浩也・塩野宏『判例六法』(有斐閣、平成8年版)1002頁〜1003頁