政治哲学 レポート
無党派層の出現防止  日本の政界において、いわゆる無党派層の出現を防止するには、いかなる方策が必要であるかを 論じる場合、まず無党派層の定義を明確にする必要がある。  投票にも行かず、政治に全く興味を持たない政治的無関心層と、無党派層は区別されるべきであ ると思う。政治的無関心層にも、いくつかの種類がある。政治を真剣に考えたことが無く、文字通 り、他人事のように全く関心を示さない層が存在する。また、政治を真剣に考えることもあるが、 現実の政治に退廃・失望を感じている層も存在する。現代社会が非常に複雑であり、個人が疎外さ れたり、一部マスコミのスキャンダラスで偏った報道のあり方等も、政治的無関心層を生む原因の 一つであると思う。  無党派層は次の二種類に分類できると思う。いずれも、政治的無関心層とは異なり、政治に理解・ 関心を持ち、政党ではなく、政治政策を支持する(政治争点に重点をおく)有権者層である。  第一は、長期あるいは生涯にわたり支持政党を持たない層である。第二は、支持政党を持ったり 持たなかったりを繰返す層である。  およそ、何の世界にも因果関係が存在する訳であるから、無党派層が出現するのにも原因がある はずである。その原因を究明し、これを取り除く方法・手段を考えて実践すれば、無党派層の出現 を防止できるはずである。  無党派層が出現する最大の原因は、少なくとも彼らが現在の政党に魅力を感じず、彼らにとって 支持に値する政党が存在しないことである。ここで、我が国の政治の現状を概観してみる。  少し前の話ではあるが、政権党になった時の旧社会党は、日米安全保障条約維持、自衛隊は日本 国憲法第九条合憲、日の丸は日本国旗、君が代は日本国歌、消費税は必要等、同党の長年の信念を 疑うような一大政策転換をした。重要政策の基本的合意も無く、長年の自民・社会両党の対立がど ういう意味であったかを忘れたような、社会党委員長を総理大臣とした野合内閣があった。  総理大臣を出したら大幅に変更するほど、政策に信念が無かったのかと疑いたくなるような、政 党の存在意義等を根底から覆すようなできごとであったように思う。旧社会党のこのような政策転 換こそ、善し悪しは別としても、長年の同党支持者を裏切るような行為であり、無党派層出現の最 たる原因の一つであるように感じる。  現在の政局は、国民の審判を経ずして衆議院の過半数の議席を回復し、無投票再選された橋本総 裁を有する自民党勢力が不当に強いというか、野党が情けないほどに弱いというべきか、健全とは 言い難い状況にある。各政党は党利党略に走り、議員は私利私欲に走り、節操の無い数合わせ・離 合集散を繰返している。特に、自民党においては旧派閥・権力闘争の横行、内紛、金権腐敗等、醜 聞には事欠かない。まさに、政治不信を助長するような状況である。  他の政党を見渡しても、個性・魅力ある政策を持った政党が見当らず、他の政党とどこがどのよ うに違うのかがよくわからない。いたずらに政党名をもてあそんでいるだけのような小政党が乱立 し、政局の先行きは不透明である。当選後に所属政党・主張を変える議員に至っては、まさしく言 語道断である。これは有権者に対する背信行為であり、このような場合は、有権者の再審判を仰ぐ べきである。以上のようなことも、政治離れ、政党離れの原因となる。  最近の政治を見ても、医療費の国民負担増加、公共事業費・血税の無駄遣い、国民不在の日米防 衛協力のための指針見直し等々、まだまだ大多数の国民の意志が反映されているとは言い難い状況 である。  さて、無党派層の出現を防止する方策(手段・方法)を考える場合、政党及び議員側の問題と、 有権者側の問題の双方が検討されるべきであると思う。  まず、政党と議員側の問題であるが、何よりもまず、政党及び議員は有権者の支持に値するもの になるべきである。私達国民は、結局は幸せを求め、幸せになるために生きている。日本国憲法に 規定されているように、国民の幸福追求権は立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。  およそ政党とは、共通原理・政治政策等を持ち、政治理念実現のため、政治権力への参画・政権 獲得を目的に結成された、公共性の高い団体のはずである。また、国民は幸福を目指し、代表者で ある議員を通して間接に自ら治めている。その政党、議員が先に述べたような状態では、とても国 民の支持は得られないし、支持する気持ちにもなれない。  議員になり、政党を結成しようとする人には、相当の諸条件が要求されるべきである。少なくと も、次に述べるような条件を満たせないような人は、議員に立候補すべきではないと思う。換言す れば、議員になる資格は無いのである。  政治的資質に優れていること。道徳・倫理をわきまえており、行いが正しくきちんとしているこ と。国家全体のための事業に心血を注げること。独立の見識があり、権力に屈せず、自らの信念を 貫き通す勇気があること。自らの名誉や利益ばかりを求めないこと。詭弁を弄せず、正々堂々と正 論で議論ができる能力があること。実直温厚であり、約束は守ること。  このような人物こそが議員となり、国民の代表であることを常に謙虚に自覚し、国民の支持を得 るに足る政治・政党活動をするべきであると思う。現在、議員になるための試験は無いが、人格と 政治的専門性等を多方面から客観的に評価できるような、資格試験制度を導入してもよいのではな いかと思う。  地盤・看板・鞄があれば誰でも議員になれるような、現在の選挙のあり方は問題がある。また、 地元利益に偏りやすい現在の選挙制度では、真に日本全体、世界のために働く議員の出現は望めな い。これらの問題を解決すれば、自ずと政治への関心が高まり、政党への国民の支持も集まり、無 党派層は減少するはずである。  次に、有権者側の問題であるが、議員選出に際しては、地元の利益誘導ばかりを考えてはならな い。また、地元利益に偏った要求をすることは慎むべきである。議員にそのような負担をかけたの では、国家全体のための政治ができにくくなる。政党は議員の集合体であり、一人一人の議員が地 元の束縛を受けたのでは、政党全体としての鮮明な国家政策が打ち出せなくなり、政党が有権者か ら支持されなくなる原因となる。自らのみの目先の利益誘導等を慎まなければならないのは、企業 等においても同様である。  また、民主主義国家においては国民が主役であるから、有権者である国民は常に政治に関心を持 ち、政治を監視することが必要である。政治批判も勿論重要であるが、欠点を責めるばかりでなく、 政党・議員の長所・功績を認めて育てる寛大な心も、ある程度は必要であると思う。  昔も今も、相変わらず政官財の癒着構造による不祥事が目につく。特に、国政を預かる議員等の 公務員には、罰則規定を強化した公務員倫理法、政治腐敗・不法行為防止法、政治資金浄化法等を 早急に制定し、不正には厳罰をもって対処すべきであると思う。汚職・政治腐敗は、国民の政治・ 政党離れの原因となる。議員の政治倫理は常に厳しく求められるべきであり、司法の手が回っても 辞職しない議員などは言語道断である。  また、有権者は、そのような議員は二度と国会に送らないよう、厳しく対処すべきである。以上 述べたようなことが少しでも実現すれば、無党派層の出現防止に役立つのではないかと私は思う。                                         以上 参考文献 山口二郎著『政治改革』(岩波書店、1995年) 山口二郎著『日本政治の課題 −新・政治改革論−』(岩波書店、1997年) 中村菊男『政治学』(慶應義塾大学出版会、平成5年) 補記 勉強の記憶に基づいてリポートを作成。直接引用文は特に無し。                               以上