正論じゃろん?(C) 01
掲示板掲載基準考察 私は某団体の電子掲示板に、次のような記事を掲載している。題名は「Canvas掲載基準に 関する一考察」である。 一、公の秩序又は善良の風俗(公序良俗)に反しないこと。 二、特定の政治(団体)・宗教色等に染まっていないこと。公共性があること。 三、会社業務に関係の無い個人的な売買等、私利を図る記事でないこと。 四、特定の個人・体制等を誹謗、中傷する記事でないこと。 五、主観的で押し付けがましい記事(価値観の押し付け)でないこと。 以上を遵守すれば、後は個人の倫理観の範囲内で自由に意見を述べても良いのではないか、とい う旨の記事である。 私が勤務している団体の幹部が述べた経営方針の一つに、次のようなものがある。「オープンな 企業文化、組織のフラット化により、団体全体に自由闊達な雰囲気をみなぎらせ、腹蔵無く意見を 出せる明るい団体にしていきたい。」 さすがは福澤先生の伝統を受け継いでいる、慶應義塾出身の幹部の言葉だと感銘した。しかし、 現実には様々な困難が待ち受けている。その内の一つとして、日本人が冷静な大人のディベイトが できるかどうかという問題がある。欧米に比べれば、日本人はまだディベイトに慣れていない。感 情に走ってユーモアを忘れたり、詭弁を弄して、その場だけ勝てば良いという風潮が残っていない であろうか。 民間企業においては(民間に限らず)、腹蔵の無い意見(言論)を出した後の、一種の「身の安 全」が保障されなければ、真の意見は出て来ないと思う。 私は法学部なので、話題を憲法に変える。例えば、憲法改正と言うと、一般の人は憲法九条しか 思い浮かべず、しかも危ない方向に改正(改憲、改悪)するのでは……といったイメージしか持っ ていないのではないだろうか。 憲法の条文は、一〇三もある。少しまじめに読んでいると、疑問に思う箇所が見つかる。仮名遣 いが古い、直訳調で意味がはっきりしない、主語・述語・目的語の関係が曖昧である、とか……。 私は改憲派でも護憲派でもない。ただ、「ここはおかしい」「こうしたほうが良いのでは」等、個 々人が素朴に感じる疑問を、腹蔵無く、冷静且つ真剣に討論する場・機会が少ないのではないかと 感じるのである。 タブーを作らず、当たり前のことを当たり前に話し合える世の中になってほしいと願い、今回よ り、ペンを執ることにした。これこそが、慶應義塾のシンボルである「ペン」に通じる道であると 考える。 以上