正論じゃろん?(C) 22
環境保全(国際法)  地球環境の保護・保全に関する国際法の発達について述べる前に、新聞に掲載された私の投稿を 紹介させて頂く。汚染され続けている地球が、本当にこんな悲鳴をあげているのではないかと真剣 に感じ、擬人法で表現した。  私は地球です。もっともっと長生きしたいのですが、重い病気にかかっています。人間たちの経 済活動によって熱は上がり続け、下がる気配はありません。  昔はみずみずしかった肌も森林破壊や砂漠化で荒れ果て、オゾン層の希薄化で紫外線の影響も深 刻になってきました。私の涙は酸性雨となって肌に落ちます。私の体液である海や川もひどく汚染 され、もはや自浄能力をも超えようとしています。  人間のみなさん、つまらない国と国との戦争や過度の経済競争をやめ、不便を覚悟の質素な社会 に早く戻って下さい。私は不治の病に倒れてしまいます。人間や動植物の皆さんを養えなくなり、 共倒れになります。  今ならまだ間に合います。世界の優秀な指導者の環境行政に対する大英断を、待っています。一 人ひとりの環境を守る心掛けが私を救い、あなた方が生き延びる唯一の道なのです。愛する万物の 霊長である人間の皆さん、私を助けて下さい。これ以上いじめないで下さい。  本論に入る前に、保護と保全の用語の定義を明確にしておく。保護とは、気をつけて守ったり、 かばったりすることである。保全とは、保護して安全にすることである。保護に比べて保全のほう が、地球環境を安全にするという、結果の明白性を感じる。  国際法は諸国家を構成員として成立し、地球という掛け替えの無い惑星を存立基盤とする国際社 会の規範であり、条約国際法と慣習国際法に区別される。地球環境の保護・保全に関する国際法の 発達の歴史は、地球に生かされている運命共同体である人類の、地球環境に対する保護・保全の知 識、認識向上の歴史でもある。  国際的な環境汚染問題については、カナダのトレイル溶鉱炉の亜硫酸排出ガスが、すぐ南下のア メリカとの国境を超えたワシントン州の農作物等に被害を与えた空気汚染事件が先駆とされている。 しかし、1941年の仲裁裁判の最終判決では、領域使用に関する国家の使用責任を明らかにしただけ であり、環境汚染問題としては捉えられていなかった。国際裁判の仲裁裁判官ですら、当時は環境 問題に対する認識がまだ十分ではなかったのではないかと、判決から感じる。  カナダに限らず、当時の世界はどこの国の人も、経済活動等に伴う自国領域の環境汚染について の知識、認識が乏しかったのではないかと思う。まして、他国にまで損害を与える危険性について は想像外であったのかもしれない。環境汚染が将来、自分たちの生存を脅かす現実的な問題に発展 するとは思ってもいなかったであろう。現代ほど地球環境汚染が深刻ではなく、情報網等も乏しか った当時の人々に、地球の環境を故意に汚染しようという悪意があったとは考え難い。  国際的に環境問題が取り上げられるようになったのは、第二次世界大戦後である。エネルギー源 である石炭や石油の燃焼が大気汚染をもたらした。船舶からの油の排出、廃棄物投棄、船舶事故等 は海洋汚染をもたらした。化学物質に関連した事故(公害)等も世界中で発生した。局所汚染から 地域汚染、地域汚染から地球規模汚染へと、環境破壊規模が連鎖的に増幅していったのである。  地球環境汚染の問題点は、汚染の影響が一国・一地域に留まらず、国境を超えて他国、ひいては 地球全体に及ぶことである。地球上には多数の国家があり、国家間の利害は絶えず対立している。 環境汚染問題に関する国家間の調整や交渉には、困難がつきまとう。  しかし、他の生命体も勿論のこと、人類は宇宙船地球号に乗った運命共同体である。国家間の利 害も、地球環境が健全であってこその話である。国境を超えた他国、地球上の全ての国家に影響を 及ぼすような環境問題(地球温暖化、オゾン層破壊、海洋汚染、熱帯雨林減少、酸性雨、砂漠化等) は、将来世代のためにも、全人類をあげて解決しなければならない。問題が不可逆的であり、影響 が明確になるのに時間を要するからである。  各国が、罰則規定を含んだ国内法で厳しく規制し、環境への影響が自国内で止まる限りは、環境 問題は国際問題には発展しない(地球が汚染されること自体の本質は変わらないが)。しかし、地 球上の国家は、国境で隔離・遮断されているわけではない。国境は人為的なものであり、国家は物 理的に繋がっているのである。これらの国家間の利害問題の解決、全人類の生存問題に関わる問題 解決のためには、国際的な取り決め(規制)をせざるをえないのである。現代社会の生活は、地球 規模の環境問題にますます影響を受けるようになって来た。これは、人類の宿命であると私は思う。  こうして地球環境問題は、1972年の「国連人間環境会議」開催、1985年の「オゾン層の保護のた めのウィーン条約」採択、1989年の「有害廃棄物の越境移動及びその処分の管理に関するバーゼル 条約」採択、1992年の「国連環境開発会議(地球サミット)」での「環境と開発に関するリオ宣言」 採択等と、世界的な動きに発展していった。また、国際法とは直接関係は無いが、各国企業等にお いては、ISO(International Organization for Standardization;国際標準化機構)環境 規格の認証取得を推進しているところが増えてきた。これも、地球環境保護・保全等を目的とした ものである。  国境を超える地球環境汚染問題は、もはや一国家の手には負えない問題となっている。即ち、国 際的な解決を必要としているのである。人類の生存と繁栄確保のためには、相互協力、地球環境問 題に即応できる国際社会組織の拡充、それを支える国際法秩序・規制の確立が要請されている。  地球環境汚染問題に関しては、大なり小なり、人類は加害者であると同時に被害者でもある。原 因が複合している場合は、因果関係の特定が困難な場合もある。これからの時代は、気をつけて守 ったりかばったりする環境保護は勿論のこと、保護して安全にする環境保全が、より大事である。 そして最も基本的なことは、いかにしてこれ以上問題を発生させないかという、予防策を考えるこ とであると思う。何事も、起きてしまってからでは遅い場合が多いのである。  地球環境予防に関する国際法は、まだ十分とはいえない。これらの国際法整備が今後の極めて重 要な課題であり、人類存続のための英知をかけた国際法整備が、後の世代に語り継がれる新たな国 際法の発達の歴史になると私は思う。                                         以上 参考文献 峯村光郎 田中実補訂『法学(憲法を含む)』(慶應義塾大学出版会、平成五年) 鈴木敏央『JACO BOOKS 1、JACO BOOKS 2  ISO 14000入門シリーズ やさしい環境監査 ISO   規格への対応と導入ノウハウ』(ダイヤモンド社、1995年) 『情報・知識 imidas イミダス 1993』(集英社、1992年)