正論じゃろん?(C) 24
沖縄返還、北方領土未返還  領土画定問題は、国際問題において最も難しい問題の一つである。軍事的、経済的に優位に立ち たい等の理由により、国家は領土を拡げたがる。領土の画定には、平和的な話し合いによる方法と、 実力行使(武力行使、戦争)による方法がある。  まず、沖縄返還の成功について考察する。1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を受 諾して、連合国側に無条件降伏をした。ここに第二次世界大戦は終了し、沖縄は米国の直接統治下 におかれるようになった。第二次世界大戦終了後、東西冷戦が始まり、中国・朝鮮半島における共 産勢力が伸長した。米国の極東戦略上、沖縄は最重要拠点として位置付けられるようになった。米 国は、アジアでの共産主義勢力の拡大を恐れ、ベトナムに介入してベトナム戦争が始まったが、戦 局は米国に有利に進まず、結局は和平交渉をせざるをえなくなった。このことは、米国の国力低下 を印象づけ、ドル・ショックと共に、米国の政治・経済力の衰退を明確にした。これらのことによ り、米国は対中国・ソ連関係改善に着手せざるをえなくなった。  このような国際政治の激動期に、沖縄返還を実現したのが佐藤栄作首相である。佐藤は首相就任 後の1965年 8月に沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後は終わ っていない」と述べた。1967年には、日米安保、極東戦略上の重要拠点である沖縄基地の機能が維 持できれば、米国が沖縄返還に応ずる用意があるとみて、同年11月、ジョンソン大統領と会談した。 同会談にて、沖縄施政権の日本への返還の方針のもと、沖縄の地位に関して検討する旨の米国の同 意を得た。1969年11月のニクソン大統領との会談では、ついに、1972年に沖縄施政権返還を内容と する共同声明が発表された。そして、1972年 5月に、沖縄施政権は日本へ返還された。返還に至る まで、米軍駐留による戦争恐怖、戦闘機の騒音、犯罪による治安悪化等、沖縄は苦渋を強いられ、 現在も問題は残っている。  沖縄返還は、日米当局者の絶えざる努力により実現した。米国は、日本を西側陣営に引き入れて おくことが主要目的であり、沖縄という領土よりも、沖縄の基地機能維持を欲していたのではない かと思う。日本と米国は、考え方や体制がほぼ共通していたことが、沖縄返還に成功した最大の要 因であると考えられる。  次に、北方領土返還問題の未解決について考察する。北方領土問題については、地理的にも、歴 史的にも背景が複雑である。また、相手国が、日本と考え方や体制を異にする旧ソ連・ロシアであ ることも、問題解決を遅らせる原因となっている。  地理的には、千島列島は根室海峡とカムチャツカ半島との間に位置する。千島列島は根室海峡を 起点としているようにも見えるし、カムチャツカ半島を起点としているようにも見える。これは、 日本とロシアの見方によって異なるものである。  歴史的には、千島列島が誰によって発見され、どの民族が定住し始め、いつ、どこの国家に帰属 するようになったのか、素朴な疑問ではある。「ロシアと日本との間の国境は、長い年月をかけて 少しずつ形成されてきたのであり、その期間中、現代的な意味における国境という概念は存在しな かった。十九世紀まで、ロシアも日本も、自己の主権がクリール列島のどこまで及ぶのかについて 明確な考え方をもたなかった。」日本、ロシアの両国民の間に、千島列島に関する国境意識が芽生 えてから、まだ百年余りしか経っていないのである。しかし、両国間で、北方領土問題が政治的・ 経済的問題となったため、最初から国境問題で争っているという風潮ができた。  国際法的にも特に問題となるのは、第二次世界大戦末期における、旧ソ連の日本に対する侵攻で ある。ソ連は、1941年 4月に締結した「日ソ中立条約」の有効期限内に、条約違反をして日本へ侵 攻し、暴力で北方領土を奪取した。連合国を相手に、疲弊した日本を襲い、大西洋憲章及びカイロ 宣言で謳われた「領土不拡大の原則」を侵犯し、日本の承諾も無く、国際法的にも非合法的に北方 領土を占拠し続けて今日に至っている。  沖縄返還では、日本は領土をとる、米国は基地(機能)をとるという妥協が成立したが、日本と ロシアの現状では妥協点を見出だすのは難しい。日本が四島一括返還路線を譲歩することは、まず 考えられない。日本は四島返還に固執し、ロシアは問題の棚上げを主張している。ロシアは、北方 領土を手放したくはないだろうが、日本ほど固執はしていないのかもしれない。ただ、日本及び国 際社会に対する面子、北方領土を手放した場合の(他国の軍事基地にならないという)安全保障、 日本を中心とした経済援助・協力は欲しているかもしれない。  北方領土画定問題に関しては、日本またはロシアの一方的判断、国家事情、感情的な態度では解 決しないと思う。沖縄返還は、日米当局者の絶えざる努力により実現した。日本とロシアが建設的 な努力をせず、強要・固執の一点張りを通していることが、北方領土返還問題の解決を遅らせてい ると思う。北方領土画定に際しては、軍事・経済的な価値も取引材料になるかもしれないが、理性 的な司法解決(国際司法裁判所への問題解決委託)も有力な解決手段である。  軍事・経済・技術的な取引も選択肢としつつ、日ロ両国が互譲して、司法決着をも視野に入れた 努力を怠らなければ、北方領土問題は解決に向けて更に前進すると思う。これらの合意を得る努力 を両国がしなければ、北方領土返還問題の解決は遠い。 参考文献 木村汎『日露国境交渉史』(中公新書、1993年) 田中浩『戦後日本政治史』(講談社学術文庫、1996年)                                         以上