正論じゃろん?(C) 25
2000年に思う 世紀の変わり目を迎えられることは、人の一生にとって一度あるかないかのことである。まして、 西暦四桁の上一桁が繰り上がる時を迎えられるのは、千年に一度である。そういう意味では貴重で 珍しいのかもしれない。私も、物珍しさのような感じは持っている。 しかし、時間は連続的に流れているものであり、2000年が来る瞬間は、特別でも何でもない。 暦は人間が作っただけのものであり、昨日から今日、今日から明日への毎日の繰り返しの中で、 2000年到来の瞬間があるだけである。 来る21世紀は、個人的なレベルから国際レベルに至るまで、激動の時代になるであろう。私も 家族も、来世紀中には確実に死ぬ。子供達はたぶん結婚するであろうが、私達の子々孫々が、私と 家族のことをどのような形で思い出してくれるのか、御先祖様としては少し興味がある。虎は死し て皮を残すが、井上は死して何も残らないということが無いように、何か、何かを絶対に残したい。 国内及び国際情勢・政治は、来世紀はどのようになるだろうか。日本は世界一の長寿国(老人国) であり続け、少子高齢化がますます進むのだろうか。税金や保険金がますます高くなれば、若い世 代が勤労意欲を無くすかもしれない。その前に、私が積み立てた年金は少しは取り返せるのか、そ れも心配である。技術・科学はますます進歩し続けるであろうが、メリット・デメリットの双方を よく考えたいものである。 来世紀は、日本国憲法の改正もありえる。基本理念(民主、平和、人権)は不変で結構であるが、 細かい規程が不変であり続けるということは、ありえないであろう。日本国憲法には、第九条以外 にも条文がたくさんあるので、次世代の人間が国の最高法規にどのように対処するのか、興味があ る。 国際情勢については、全く未知である。地域紛争、宗教紛争、領有権争い等は、人類が存在する 限り続くであろう。第三次世界大戦などは決して起こしてはならないが、勃発の可能性は否定でき ない。賢くもあり、愚かでもあるのが人間である。日本の周辺で紛争が起こった場合のことも考え て、それなりの準備をしておくことも必要だと思う。 平和ボケの日本人が、自衛隊や安保の問題になるとアレルギー反応を起こす。相手が何もしてい ないのに、自分から悪いことをするのはいけない。しかし、相手が何か悪いことをしてきたら、自 分の力で自分を守ることが必要ではないだろうか。頼るべき人がいなかったり、公権力が間に合わ ない場合はなおさらである。自分の家の鍵や窓を開けっ放しで寝たり、外出する人がいるだろうか。 他人が土足で自分の家に上がり込んで来て悪さをしても、何もしない人がいるだろうか。現実の流 動的な国際社会において、自らの国家を守るということは、前記の身近な例を発展させて考えれば よいのである。 その他、環境汚染問題、人口問題、食料問題等々、来世紀はもっと深刻な問題になるであろう。 暗そうな話題ばかりで恐縮だが、来世紀は人類が避けて通ることができない問題が切迫してくる。 何か明るい話題はないものかと考えたが、根暗な私は、2000年とか来世紀には、あまり明るい 展望が持てない。 来世紀になっても少しだけ生きているかもしれない私は、精神的貴族であり続けたいと願う心は 失っていないと思う。そして、自分なりの社会貢献、社会啓蒙をする。これが、世紀に跨がる私の ささやかな明るさである。 以上