正論じゃろん?(C) 30
危機管理  鍵をかけないで外出する人がいるであろうか。生命・身体・財産が危うくなりそうでも、何もし ない人がいるであろうか。日本の安全神話は崩れつつあり、町内会で自衛パトロールをしたり、各 種自衛活動をしている所も沢山ある。この当然の「自衛」の問題が、「自衛隊、国家防衛、憲法」 の話になると、途端に思考停止に近い状態になるのは何故なのであろうか。日本は、なめられてい るのである。いい加減に立ち上がれ、目覚めよ日本人、日本精神、と言うと、右だ左だと短絡的に 考えさせるような教育が、思考停止人間をつくったのであろう。  外出すると、街頭で「有事法制反対」「戦争法案反対」のビラを配ったり、署名運動をしている 団体がいる。一部の好戦者、独裁者等を除き、どこの国の誰も、好んで戦争をする人はいないであ ろう。平和・平穏に過ごしたいのは誰でも同じである。しかし、我が国が戦争・紛争を放棄しても、 向こうから押し寄せてくる可能性が絶対に無いとは言えない。女性が「強姦放棄宣言」をして、プ ラカードをぶら下げて歩いていても、現実問題として強姦は無くならないのである。  「治に居て乱を忘れず」「備えあれば患えなし」現代の日本人の多くは、このことを忘れてしま っている。前記の運動をしている人達のバック団体には、口先だけの奇麗事・目先の選挙の票稼ぎ の臭いがするのである。通謀の諸君、代替案を持っているか、危機管理は不要か、本当に日本人か、 祖国が滅んでもいいのか、と問いただしてみたい。「国敗れて山河あり」ではなく、国が敗れれば、 日本の山河は「相手国の山河」になるのである。  現実の国際社会においては、平和憲法を掲げるだけでは、日本の平和は絶対に保てない。日本の 平和と繁栄の裏にどのような事実・努力があるのか、どのようにして日本の平和が維持されている のか等、よく考える必要がある。国際社会の一員として、相応の責務を果たすことは当然である。  日本国憲法の整合性、国際社会の一員としての責任(恩返し)、真の驚異国、等々について、タ ブー視することなく、国民全体で真剣な議論をする必要がある。憲法に関して言えば、法文が何ら 変わっていないのに、十分な議論や司法審査が無いままに、政治絡みで解釈が勝手に変えられて運 用されている(解釈改憲)。憲法は、主権者である国民のための道具である。不具合があれば、改 良すればよい。「廃憲」「創憲」等、単なる定義ごっこ・言葉遊びは止めてもらいたい。憲法を守 って国が滅ぶなど、本末転倒であろう。  国際社会の現実は、日本国内議論を待たない。平時にこそ、議論を決着させておく必要がある。 有事になってから有事法制論議はできないし、手遅れである。日本は「専守防衛(専(もっぱ)ら 守りに徹する)」が原則になっているらしいが、叩きのめされ(殺され)てから、どのようにして 防衛・抵抗するのであろうか。国会の論議は聴くに耐えない。選挙目当ての野党は、与党の揚げ足 をとったり、聞えのよい低級な批判しかせず、無責任な奇麗事が多い。  国会審議は、議論の過程、法案の内容が国民に分かるように、全てテレビ中継をすべきである。 野次だけを飛ばしたり、居眠りをしたり、発言を全くしない議員は不要、税金の無駄遣い。即刻、 辞めさせるべきである。マスコミは事実のみを客観的に、余す所なく伝えるべきである。これが、 マスコミの使命である。国民は、テレビ・新聞・雑誌等の内容を鵜呑みにせず、偏向報道を見抜く 力を持たねばならない。  どこの国が危ないかは、冷静に考えれば分かることである。火事場泥棒で北方領土を不法に奪っ て返さないロシア(旧ソ連)、内政干渉を執拗に繰り返す中国と韓国。例えば、尖閣諸島は日本固 有の領土であるが、海底資源があることが分かった途端に奪い取ろうとするのが中国である。竹島 も日本固有の領土であるが、韓国は自国の領土であるかの如く、各種手段(郵便切手発行等)で既 成事実化しようとしている。北朝鮮に至っては、全く話しにならないどころか、百害あって一利無 しである。北の将軍の恫喝駆け引き外交、残虐卑劣・残忍無慈悲な独裁手法は言語道断である。  私は、中国や北朝鮮の国民全てが悪いと言っているのではない。あの国々の政治体制(一党独裁、 一人独裁体制)が悪いと言っているのである。犠牲になっている多くの国民が、実に可哀想である。  日本にとっての台湾の重要性については、殆どの日本国民が知らない。中国が台湾を吸収するよ うな事態になれば、日本にとっては致命的打撃になる。台湾が台湾でなくなった時、日本は日本で なくなる。これは、識者の間では常識である。日本を殺すのに武器は要らぬ、油と食料を止めれば 良い。こうならないように、中台関係を注視すべきである。  国家の自衛権の根拠であるが、これは当然の権利(自然法)である。刑法の正当防衛権と同じで、 自衛権保持の理由を説明する必要は無い。また、様々な議論はあろうが、一国平和主義は卑怯であ る。友達が危険な状態の時に、知らない顔をして逃げたり協力しないのは、通常の感覚からしても 許されるものではない。お世話になって(守られて)いながら、危なくなったら自分だけ逃げるの は卑怯である。日本と同盟関係にある国(友人)が困っている時は、援助するのが常識(人の道) であろう。  日本は、自国の安全を自分で保障できず、米国に守ってもらっている。それにもかかわらず、自 分だけ逃げたり、危ない目に遭うのは嫌だ、は許されない。同盟関係にある国家への脅威に対して は、集団的自衛権を発動すべきである。  米国の属国が嫌と言うのならば、米国と戦っても負けないだけの「力」を持ち(可能か?)、重 武装独立をしなければならない。非武装中立は、全世界を敵に回すことにもなりかねない危険な空 論である。丸腰(丸裸)で平和だけを唱えるのは愚かで、非常に危険である。国際社会の現実を見 ず、自国の安全を他国頼みにしていることを忘却した空理空論は頂けない。  最後に、日本国憲法「改正・改良」に触れたい。憲法は、第9条以外にも論点が山積しているが、 9条関連の不毛の論議に終止符を打つために、「憲法第2章の章名変更及び第9条改正試案」を提 案して、切り貼りだらけの拙文を終えたい。 【改正案】 第2章 国防、安全保障及び国際貢献 第9条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、侵略戦争は放棄する。 (2)国家の当然の権利として、日本国は自衛権を有し、自衛戦争は放棄しない。日本国と同盟関  係にある国家に対する武力威嚇及び武力行使は、日本国に対するものと看做し、日本国は集団的  自衛権を発動してこれに対処する。 (3)日本国の安全保障のために国防省を設置する。日本国は、自衛のための陸軍、海軍、空軍の  戦力を保持する。 (4)国際社会において名誉ある地位を占めるため、第三項の戦力とは別に、人道的支援活動を目  的とした国際貢献隊を設置する。 参考文献無し。                                         以上