正論じゃろん?(C) 31
夫婦・親子・子育て雑感 ●夫婦、子育て(1)●  外で神経と身体をすり減らして帰宅しているのに、家の中でまで、外なみに神経と身体を使う (遣う)ことを求めるのは酷ではないでしょうか。「外ではニコニコして話しをするのに、家で はブスッとしている」と言われる人はいませんか?  でも、外の人と話しをする時に、ブスッとはできないでしょう。家の中くらいは、気遣いをせ ず自然に生活させてほしいものです。別に、外面(そとづら)と内面(うちづら)を好きで使い 分けているのではないのです。自然なのです。  家を守る人も、外で稼いでくる人も、共に大変なのです。不足している所を責めるより、お互 いの努力を誉め、感謝することが大事だと思います。そして、嘘でもいいから、子供の前では 「夫は妻を、妻は夫を」たてることも大事です。間違っても、子供まで巻き込んで、(片)親を 非難するのは絶対にやめましょう。結果は自明です。  家で休んでいる(休まざるをえない)親の姿しか見たことが無い子供が多いのが、問題です。 外で必死に働いている親の姿を子供が見ることができる機会を、社会一丸となって作りましょう。 「お父さん(お母さん)は、家では何もしない」しないのではなく、できないことが多いのです。 こんな簡単で当たり前のことは、子供には「はっきりと」分からせておくべきです。  また、子供の自立のためにも、身の回りのことは、小さい時から自分でやらせましょう。親が 世話?をし過ぎると、親にも子供にも、いいことは一つもありません。子供を甘やかしすぎて、 ダメにしてしまう親が多いように感じます。  「鉄は熱いうちに鍛えよ」生活の中のしつけ、学問、等、大事なことほど早く鍛え込んでおく ことが大事だと思います。冷めてから叩いたのでは遅いのです。 ●夫婦、子育て(2)●  親(父親・母親)が働いている姿を見る機会、稼ぎを持って帰って見せる機会、が無くなって (銀行振込)から、世の中は余計におかしくなったと思います。  現金で給料・ボーナスを持って帰っていた時代がありました。給料・ボーナスを神棚や仏壇に 置いて手を合わせ、「御蔭様で、今月も皆無事で、お給料もありがたく頂戴することができまし た。」「(母の声)お父さんの御蔭で生活できているんだよ。皆でお父さんに感謝しようね。」 「(父の声)いや、お母さんが家を守ってくれているから、俺は働くことができるんだよ。あり がとう。」「(子供の声)お父さん、お母さん、ありがとう。」  現物が見えなくなった現在、このようなこと(触れ合い・会話・感謝)は過去のものとなった のでしょうか。「お金? カードを持って銀行へ行けばいいじゃん。なんで銀行に行ったらお金 があるのか、誰がお金を入れているのか、そんなことは知らないよ。」今の子供は、この程度に なり下がっている場合が多いと思います。家庭での教育も大事ですが、社会の在り方も見直す必 要があると思います。  社会(諸々の環境・システム)、家庭、学校(教育・教員)が三位一体にならないと、現在の 環境下で、普通の子供に育てるのは難しいと思います。子供に媚びないようにすることも大事だ と思います。頑固オヤジ・厳父を貫くには、根性・信念・見本(後ろ姿)が要りますね。 ●夫婦、子育て(3)●  「ありがとう」「おかげさん」、夫婦間でも、これが大事ではないでしょうか。食事は自動的 にできるものではありません。粗食だとしても、妻が一所懸命(一生懸命)に作ったものです。 作ってくれた(作って頂いた)心も一緒にありがたく頂きましょう。食事を作ったことが無い人 は、一度自分で作ってみてはいかがでしょうか。食事の献立、食器の片付け、食器洗いも毎日に なると大変です。妻の苦労が分かるはずです。  いくら、全自動洗濯・乾燥機といっても、洗濯の手間はかかります。洗濯籠に洗濯物を放り込 んだだけでは、洗濯はできません。洗濯にも手間がかかるのです。洗濯機が無かった昔は、洗濯 板で手洗いをしていたのです。その苦労は大変なものでした。昔も今も、洗濯をしてくれる人の 「おかげ」で、さっぱりとした衣服・下着類が着られるのです。  夫の稼ぎが悪い、と罰当たりなことを考えている人はいませんか。男が働きに出るということ は、戦に出ることなのです。妻には言えない、言っても分からないことが沢山あるのです。自分 がいくら頑張っても、どうしようもないことがあるのです。俗な人の世ですから。自営業の場合 も同じです。本人にしか分からない苦労があるのです。  今、「男らしさ」「女らしさ」を否定する、ジェンダーフリーなる動きがあります。これは、 いかがなものでしょうか。男は男らしく、女は女らしく、これでいいのではないでしょうか。差 別は絶対に許されませんが、区別は許されるのではないでしょうか。差別と区別をごちゃ混ぜに してはいけません。「中性」をつくって、どうしようというのでしょうか。  家庭においては、男(夫)は家族を守る「根」、女(妻)は家族の心をつなぐ「幹」、子供は 枝葉のようなものです。夫婦仲が悪かったり、家庭が暗いと、子供に悪影響を与えます。これは、 親子がいくら歳をとっても同じです。根と幹がしっかりしていないと、枝葉は安定しません。悲 しいのです。  家庭の中で、夫婦間で、自分の考えを主張するのは結構なことです。しかし、自分の考えが絶 対に正しいと思い込んで、相手を否定したり怒ったりする人はいませんか。私はホームページで 諸々のことを述べていますが、自分の考えが絶対に正しいとは思っていません。また、人に意見 を押し付けようとも思っていません。正論じゃろ?(ん)(邪論?)と問いかけているのです。  また、つい言い過ぎてしまう人はいませんか。いくら正論でも、いくら筋が通っていても、言 われ過ぎるといい気はしないものです。腹八分。感情的にならず、少しは抑えましょう。あなた の言うことが正しくても(相手が「こいつの言うことは正しい」と思っていても)、いつも反論 ばかりして(されて)いたのでは、確実に溝ができます。それでなくても、男と女の間には深く て長い川があるのです。たまには、嘘でもいいですから(負けたふりをして)「そうねぇ。あな たの言うとおりだわ。」とか言ってみてはいかがでしょうか。正論は、いつでもどこでも通る、 とは限らないのです。  人を責める前に、自分を振り返りましょう。人の世は「お互い様」。縁があって出逢った人、 縁が無くても(嫌々、問答無用で)出遭った?人、大きく相手を受け容れて、「お互い様」で暮 らしましょう。人生は、どちら様にも一回きりでございます。  と、偉そうに言えない私です。 ●親孝行●  人により、「親孝行」に対する考え方(何が親孝行か?)は違うと思います。私は、親に心配 をかけないようにすることが、最大の親孝行だと思っています。しかし、親も子も、生きている 間はお互いに心配をし合うものです。親に「完璧に心配をかけない」というのは、どう頑張って も無理だと思います。  親に心配をかけないように努力をしていても、親はあれこれと心配をする場合があります。特 に努力をしていなくても、親の方が無頓着な場合もあります。ですから、私は心配をかけないよ うに努力は継続しますが、あなたの心配を止めることは私には不可能です。  親に心配をかけるのは親不孝ではなく、親にありのままを話し、親とコミュニケイションを取 り合う方が大切という教えが一部にあるようです。コミュニケイションは、誰との間においても 大事ですが、「何でもありのままに」というのは、私は問題だと思います。  これは、バカ正直になります。教え?を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で哲学することが 大事だと思います。言いたいことがあっても我慢する、余計な心配に繋がるようなことは言わな い、現実にはこういう選択も大事だと思います。私の考え方は間違っているでしょうか。「心配 をかける」のと「迷惑をかける」のとは違いますが……。                                        以上