正論じゃろん?(C) 33
国家、国力、外交とは? 【全文をそのまま引用、紹介のみ】 中村菊男『政治学』(慶應義塾大学出版会、平成五年)より抜粋 一、国家と他の団体との区別 1.国家の成員たるには、自分の任意的な立場からではなくて、生まれるや必然的になる。この国 家の成員たる地位を国籍(nationality) という。人々は国家の成員たる地位より離れようと すれば、他の別の国家の国籍を所得するか、あるいは無国籍者にならなければならない。無国 籍者になると、国家の成員たる地位からは除外されるが、そのことは非常な困難を伴う。なぜ ならば、人々は国家の成員たることによって一定の義務を負うが、また、同時に権利を享有す るものであるからである。無国籍者となれば、義務より脱れるかもしれないが、権利を享有す ることはできない。 2.国家は地域的な団体であり、一定の領域の上に成立する。国家は、他の国家と領域を共通には しない。 3.通常、一国家の成員であると同時に他の国家の成員であるということはできない。もっとも、 国籍の所得に属人主義をとる国と属地主義をとる国があるから、例外的には二重国籍の人がい る。たとえば、日本は血縁を重んずる属人主義をとっているが、アメリカは出生地を重んずる 属地主義をとっている。したがって、アメリカで生まれた日本人には二重国籍の場合がありう る。 4.国家の目的は国家社会の秩序維持と福祉の増進という、きわめて多面的にして複雑なものであ って、しかも一定のものに限定されない。たとえば、医師会は医師の利益をはかるために設立 せられたものであり、医師会が国防目的を追求したり、治安対策を講ずるものでもない。国家 は形態を変えることがあっても、それは人間にとっては永続的な存在である。一国家の崩壊と いうことがあっても、つぎに形態を変えた国家が成立するのであって、国家が永久的に解消し てしまうということはあり得ない。 二、国家の起源 1.神権説 国家が神によって創造せられたと説くもの。すなわち、国家は神の創造物であり、国家の統治 は神意にもとづくものであるという考え方。 2.社会契約説 国家の成立は人間の理性に基づく契約によると説くもの。国家が人間にとって、生まれながら の、本然的な存在であることを否定し、国家成立以前にある種の自然状態があったことを前提 としているわけである。しかしながら、この考え方も歴史的・実証的なものでなくて、人間が 頭の中だけで考えた概念の産物である。歴史上、人間が契約によって国家をつくったという証 拠はなにもない。これらの学説が歴史的にみて価値があるのは、近代の民主主義の発達に寄与 するところがあったからである。 3.征服説 国家の成立は強者集団が弱者集団を武力によって制圧し、これを支配することから成立したと みるものである。たしかに、歴史上の国家が征服にもとづいて成立した事例が数多くある。日 本の古典に書かれた神武天皇の東征の記述をもって、日本国家も征服にもとづいて成立したと いう見解もある。したがって、これらの考え方は社会契約説に比較して一段と進歩した見解で あるが、「実力が政府の創造者であるという観念は全体としては誤謬を来たしながら、部分的 真理を含んでいるというかの真理の一つである」といえよう。しかしながら、すべての国家の 起源を征服説からのみ説明しようとすると、いろいろな無理がでてくる。 4.歴史説 国家は未発達な段階より整備された今日のものにだんだんに発達してきたと説くもの。国家は 人間の必要から生まれてきたものであるから、国家の成立はやはり人間性に根ざすとみるのが、 正しい見方であろう。 三、国家の本質 法学的国家説、有機体説、社会契約説、理想主義的国家説、階級国家説 (詳細は省略) 四、国家と政府およびその諸形態 国家の統治形態は従来種々の見地から分類されていた。まず、伝統的な分類法としてはアリスト テレスのそれがある。これによれば、国家をその主権者の数によって、君主制、貴族制、民主制の 三種に区分するもので、この統治組織も堕落すると君主制は暴君政治に、貴族制は寡頭政治に、民 主制は愚民政治になるといっている。 これに対してマキァヴェリやイエリネックは分類の基準を国家意思の構成におき、君主制と共和 制に分類している。混沌として変化の多い現代の政治形態を分類することは容易ではないが、政治 の様式からつぎのように分類することができよう。民主政治、これを分けて責任内閣制と大統領制、 あるいは両者の混合形態とする。独裁政治、これを分けて教義的、政党的、軍事的の三つとし、あ るいはこれらの混合形態をみとめる。 五、階級国家論と無政府主義 階級国家論というのはカール・マルクスによって唱えられた国家に関する考え方である。マルク ス国家論は密接にその唯物史観に結びついている。唯物史観の立場からすれば、国家は社会の経済 的発展にともなう階級対立の結果生じた階級抑圧の機関であり、したがって、社会の一定の発展段 階において発生し、階級対立の終末とともに消滅すると説かれている。マルクス的時代区分からす ると、歴史は、(一)原始共産制、(二)奴隷制、(三)封建制、(四)資本制、(五)共産制に 分かたれる。階級国家論は革命の戦略をたてる構想の基礎としては意味をもつが、国家の本質を十 分いいあらわしているとはいえない。 無政府主義は、個人に対する強制組織のない、軍備や裁判所や警察や刑務所や法律(文字に書い た法典)のない、単に自主的にお互いの意思や約束を尊重する個人、または集団の自由な社会のこ とを考える思想である。つまり、国家のもつ物理的強制力を否定する考え方である。無政府主義者 のなかには大きくいってその目的に関して孤立的な個人主義者と集団的な社会主義者の二派があり、 その目的をとげる手段に関しても平和的な方法でやるか、暴力的な方法でやるかの対立がある。ま た、近代の産業社会の機械や工場の騒がしさや単調さをきらって中世の牧歌的な田園生活にあこが れる無政府主義者もいる。こういう人は徹底的な個人主義者だといえる。『戦争と平和』や『復活』 の名著で有名なトルストイも宗教的な無政府主義者であった。 これらの人びとの考え方の基礎になっているのは、人間の本性を楽天的にみていることである。 人間の性質は生まれつき良いものだから、干渉を加えてはならないという考え方である。無政府主 義者は、悪の根源は権力にあると考えている。従来の歴史をみると、権力をみだりに用いることが 悪の根源をなしたような場合がしばしばあった。それだからといって、権力そのものをなくしてし まうと、それ以上の無秩序と悪がのさばってくる。無政府主義者の考え方に人間の善意を信ずる良 さをみとめるが、あまりにも現実から遊離しているといえよう。 以上
池井優『日本外交史T』(慶應義塾大学出版会、平成八年)より抜粋 国力 一国の外交とは、「その国の地理的、歴史的基盤を踏まえ、その政治目的を達成するために外に 対して用いる手段、方法、技術をさす」ということができよう。また外交はその国の有する国力の 反映であるともいえよう。したがって、日本外交を分析するには、まず、日本の国力を見詰め直す ことからはじめなくてはならない。それでは一体、国力とは何であろうか。元シカゴ大学のハンス・ モーゲンソー教授によれば、国力は、地理、自然資源、工業力、軍備、人口、国民性、国民の士気、 外交の質、政府の質の九つの要素に分類できるという。 地理 日本の場合、第一の地理的条件は、周知のように狭い海をへだててアジア大陸と相対し、太平洋 の西北の隅にあって東北から西南にかけてつらなる群島であることがその特徴となっている。日本 が島国であって海という天然の防壁に恵まれたことは、外敵の侵入を防ぐのに大きな役割を果たし てきた。しかし、日本が島国であると同時にアジア大陸に隣接していることは、「海洋性」ととも に「大陸性」を日本に担わせることになった。そして「海洋性」を重視し、海洋国家として生きよ うとするか、「大陸性」を考慮して大陸進出を目ざす大陸国家たることを国策とするか、日本はた えずそのジレンマに悩みつづけてきた。特に戦前においては、戦略目標をどこに設定するかをめぐ って陸軍と海軍が陸主海従か、海主陸従か、北進か南進かをめぐって抗争したことは記憶に新しい。 かつてスペイン、イギリスが目ざしたように海洋国家たりえず、またドイツのように大陸国家たり えない悩みは、日本の置かれた地理的条件によるところが大きい。すなわち、「海洋性」を重視し、 海洋国家として日本が生きようとすれば、太平洋をへだてての大国アメリカと、良きにつけ悪しき につけ関係を持たなければならない。また「大陸性」を重視し、大陸への進出を目ざせば、当然、 中国、ソ連と関係を持たざるを得ない。日本が、大陸国家と海洋国家の両側面を有することは、対 外政策の樹立における統一を阻害し、一定の目標を確立することを困難にしている。そして為政者 は混迷と分裂に陥らざるを得ない。日本の国土の狭小さも地理的な特質にあげられるであろう。日 本の領土の狭さが、帝国主義の時代の領土獲得を是とする風潮によって日本人を領土の拡大に意欲 的にさせ、列国との間にまさつを引き起したことは記憶に新しい。 自然資源 基本的条件の第二は、自然資源の乏しさである。自然資源は、食糧と原料に大別される。食糧の うち、農産物、特に米に関しては、日本は今日技術の進歩によって、国民の必要を満たすまで生産 を高めるにいたっているが、水産資源については十分であるとはいいがたい。そして近海の漁場か ら次第に遠洋へ進出することを余儀なくされている。原料、特に工業生産に必要な鉄、石炭、石油 などの鉱物資源は、日本にはきわめて乏しく輸入に頼らざるを得ない。第二次大戦後植民地の独立 によって西ヨーロッパ諸国によるこれら鉱物資源の独占が破れるとともに、人工材料の出現によっ て、かつてほど天然資源の価値の重要性はなくなったが、日本列島において産出が全く不可能な資 源があることの不利は、戦前も今日も日本に大きな制約を課している。 工業力 いかに多大の資源を有しようと、これを工業化しうる力がなければ、国家の近代化が行われない ことはいうまでもない。工業設備の質と生産力、労働者の質の高さ、技術者の技能、科学者の発明 能力、経営機構が一国の工業力を形成するが、この工業力形成の諸要因について、日本が世界でも 有数であることは衆目の一致するところであり、いわゆる経済大国となった主要因もここに求めら れよう。 軍備 軍備はかつて国力の象徴であったし、今日もそうであることは否定できない。日本も明治維新以 来「富国強兵」をスローガンとし、軍事力を充実し、質量とも世界有数の海軍国であると同時に陸 軍国であろうとした。強力な軍備は一国の国力の象徴であるが、過大な軍備が国家財政に大きな負 担となることも事実である。第一次大戦後の大艦・巨砲主義の財政への圧迫が、ワシントン、ロン ドンにおける二大海軍軍縮会議の開催の大きな要因となった。また軍備の強大化、対外戦争の勝利 によって軍の力が強力になると、軍の政治への介入が行なわれる場合が多い。 人口 第五の要素は人口である、一九七〇年度の国勢調査による日本の人口は約一億であるが、これは 世界総人口の三〇分の一に相当する。日本は世界陸地面積の約三五〇分の一にすぎない面積の上に、 世界人口の三〇分の一をささえていることになる。 国民性 日本人の国民性について、未来学者として著名なハーマン・カーンは『超大国日本の挑戦』にお いて、日本人心理の一二の側面を次のようにあげている。(一)、政治的に多元主義者である。 (二)、権威主義的である。(三)、協同体本位である。(四)、自己本位で同化的である。(五)、 階層的である。(六)、戦争をロマンチックにみる。(七)、審美的である。(八)、技術、開発 能力がある。(九)、自己主張的である。(一〇)、私有財産制度に対して肯定的である。(一一)、 歴史を主体的につくる。(一二)、忠実な武士を理想像とする。以上がすべての日本人の国民性を 包括しているか否かは疑問であるが、アメリカ人の個人的な創造力と創意、イギリスのドグマ的で ない常識、ドイツ人の規律と徹底さといった国民性は、その国の政策決定ないしは、政策の思考に 大きな影響を及ぼすものである。特に国土の地理的環境と単一民族、単一言語からなる国家組織は 「島国根性」の名で呼ばれる偏狭な国民性を日本人の中に作り出し、特に外交の分野において、白 か黒かという選択を政府に迫り、いわゆる灰色の選択で時の経過を待つといったことは苦手である。 それは、明治期の条約改正をめぐる世論、日露戦争における日比谷焼打事件、昭和の独伊接近の枢 軸外交、一九七〇年代初頭の中国論議などに直截に現れている。 国民の士気 第七の国民の士気は、国民が平時、戦時に政府の対外政策を支持する決意の程度をいう。国民の 士気は軍事編成や外交活動だけでなく、農業生産、工業生産といった国民のすべての活動にいきわ たっている。日本においては、対外政策が、政争の道具とされ、反対党が与党ないし、内閣を攻撃 する材料に使う場合が多いが、外交に対する国民の不信をまねく要因となることが指摘できる。国 民の士気という見地からみた国民の力は、その政府の質によって定まるといえよう。真に納得しう る国家方針を政府が示し、これが民衆の欲望と一致する時に国民の士気が生れるといえる。 外交の質 次に上げるべき要素は外交の質である。優れた外交は十分で有益な情報の収集と分析、その分析 を踏まえての対外政策の適切な施行にあるが、それには、優秀な外交官が必要であることは言うま でもない。幸い日本においては、一八九三年(明治二六年)以降、外交官、領事官のため特別な試 験制度をもうけて、全国の優秀な人材に門戸を開放し、その養成にあたっている。ただ問題は、こ の優秀な人材が十分その力を発揮できるような環境にあるか否かである。また、今日、外交の質を 高めるためには、外交官ばかりでなく、外交官に仕事をしやすくする環境作りが必要である。 政府の質 国力の最後の要素は政府の質であるが、国力の要素としてみた「良い政府」とは、(一)、国力 を形成する物的、人的資源と、(二)、追求されるべき対外政策との均衡およびこれら資源間の均 衡、(三)、追求される対外政策に対する民衆の支持、からなる。日本の場合人的資源については 問題ないが、(二)、(三)については大いに再考すべき余地がある。今日までのところ、官民一 体の「日本株式会社」は大いなる成果をあげてきたが、今日多くのひずみが出ており、今後もそう した姿勢が持続されるとは思われない。 以上のような諸要素は戦前から今日にいたるまで、程度の差こそあれ日本に大きな制約を課して いる。したがって、日本の国力と日本の置かれた環境を十分に認識、検討した上で、外交政策を立 案し、施行する必要があることはいうまでもない。 以上