私がマスクを着用する理由
 私は花粉症である。幸いにも春前後の杉花粉だけに私は悩まされるのであるが、中には 一年中、何らかの花粉に悩まされる人もいるようである。また、私は気管支があまり丈夫 でないので、乾燥した場所や、乾燥した季節には咳が出やすくなる。昔、咳をしながら、 無理してアマチュア無線でしゃべり過ぎたのが一因と思っている。だから、これらの場所、 季節にはあまり話をし過ぎないようにしている。  マスクの効用として、身体の保温、喉の(粘膜の)保湿、咳をする時の他人への迷惑・ 加害行為防止、他人の咳からの身体防御、塵埃からの身体防御、等が挙げられる。  ところが世の中、色々とある。他人が目の前にいるのに、ハンカチや手で口を覆うこと もなく、咳やくしゃみをする無神経・非常識・不潔な人間がいる。このような人間こそ、 マスクを着用すべきであるが、この種の人間はそのような繊細な心(他人を思いやる心) を持ち合わせていない。他人にマスクを「させている」ことに全く気付いていない。こち らが迷惑そうな顔で当人を見たり注意をしても、注意をした人間の方が神経質だと思い込 んで、自らを反省しようとしない。救い難い、猿以下の生き物である。  病院でも、このような人をよく見かける。病気を治しに行っているのに、病気をもらい に行っているようなものである。回転寿司店で、口を覆うこともせず、寿司にゴボゴボと 咳を吐きかけている人間がいる(大人)。中には、くしゃみを飛ばしかけている人間もい る。普通の感覚を持ち合わせている人間ならば、このような汚染された寿司を食べる気は しないであろう。咳やくしゃみをする人間は何とも思っていないのかもしれないが、自分 の無神経を他人に押し付けないでほしい。「これくらい気にするなよ、神経質だな」など と愚かな考えを持たないようにしてほしい。  各種職場においても、これと似たような問題を抱えている所があると思われる。普通の 人間(神経質者?)と無神経質者が混在している場合、同一空間を共有せざるをえない場 合、無神経質者のこれらの行為は、私に言わせれば「刑法の暴行・傷害罪」相当である。 無神経な大人?は、マナーの良い子供以下である。  「純水の中では、魚は生きられない」と、自らの非常識な行為を正当化した発言をした 愚か者がいたらしいが、「ドブ水の中でも、魚は生きられない」のである。  書き出せばキリが無いので、このあたりでタイピングを終える。私も譲り合い、我慢、 等の精神は持ち合わせているつもりである。しかし、無神経質者のこれらの行為には耐え られないし、容認できない。私はマスクを着用「している」のであるが、着用「させられ ている」のでもある。                                     以上