
諸注意 序
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| 撃沈 撃沈とは「セッションなどでソロが回って来た時に、妙な演奏をして、自分の名誉を著しく傷つけてしまうこと」と一応定義され、しばしば単に「チン」ともいう。それはジャズ・ギタラ族にとって、最大の災いである。なお、この撃沈の概念は、一般に言うところの「下手」という概念とは区別されねばならぬ。なぜなら初心者が下手な演奏するのは当たり前だから、撃沈ではない。だからハッタリ癖さえ直せば、定義上、撃沈は起こりえないはずなのだ。だがハッタリは社会的地位を高める上でかなり重要なので、我々凡人はハッタリを言うのをやめられない。したがってハッタリをやめることで撃沈をなくすというのは不可能である。他に方法はないだろうか? たぶんないだろう。 しかも、なぜだかわからないが、撃沈すると周囲の者が誰も目を合わせてくれなくなる。これは実際に経験せねば分かりにくいと思うが、全く笑えない事態であって、はたで見ていると笑えるが、自分でやってみると何とも苦しい。本当にピンチに陥った人間にとって「ピンチがチャンス」などといっている余裕はないのだ。 だが1つ注意すべき点は、以上の所論はあくまで男性奏者に関するものであるということである。なぜなら美人奏者は、胸の谷間を強調したドレスで登場すれば、音楽的にまずい演奏をしたとしても、男性客は「来た甲斐があった」と十分満足して帰ってゆくからだ。したがって美人に撃沈はありえない。これは冗談ではなく、芸能の世界の大原則なので、肝に銘じておいて欲しい。 |
■セッション当日までの準備 新しい曲を覚えねばならぬなら、ボーカル入りのCDを聴くのが一番楽だろう。自分でメロディーを歌えるようにね。次に譜面に目を通し、コードを弾く。その際、市販のスタンダード集はよく間違っているので(笑)、最初から疑った方がいい。それゆえ市販譜を手がかりに、手書きによる正確なコード譜(小節線とコード記号のみの簡略譜でOK)を作るとよい。さらに当日、ピアノさんとコード進行について最終確認するとなおよい。上級者のピアノさんと、コードについて話をすると、勉強になるよ。
さて、コード譜を綺麗に清書すると「やるぞ〜」と気合いが入るが、ソロを練習をする前に、まず伴奏を練習せよ。コードをリハモして(コードを代理したり、細分化したりすること)、ギター1本のコード弾きだけでも、聴かせられる水準に達せよ。そもそもフォークギターの弾き語りと同じで、伴奏のできない人間は話にならない。曲を音楽として理解していない可能性すらある。また伴奏が上手くできるのは、(1) コード進行をよく理解し、(2) ジャズ特有のテンション・コードを沢山知ってる証拠である。
そして最後にソロを考える。たいていの場合、伴奏で使うコードを分散和音で弾けば、無難なジャズ的フレーズになる。ソロが苦手なら、テーマを少しだけ変えたものを、オクターブ奏法せよ。くれぐれも何度も繰り返し練習しておくように。入門クラスのソロは、とにかく簡単なことを堅実に、しかも美しくこなすのが肝要だ。それが下積み時代なのだ。
ところがしばしば若僧は、伴奏もできないくせに、猛スピードで訳の分からないソロをする。それは「上手い」というより「ごまかしている」にすぎない。フレーズがジャズ的なら、ゆっくり弾いてもジャズらしく聞こえるはずだ。おまけに「今、どこやってるんですか?」なんて顔をする若僧は、嫌われても仕方がない。とにかく「ごまかす」のと「知ったかぶりする」のとは、この世界ではタブーである。
■普段の練習 「CDを流し、それに合わせて適当にソロをする」という練習法は、ロック系では実に効果的で、私もかつてよくしたのだが、ジャズでは必ずしもそうでない。というのも、コード進行を考える暇がなく、文字通りのスケール練習に陥り、コードを反映した正統的なジャズ(バップ)がちっとも練習できないからだ。CDを流して練習する場合、事前に2−3コーラス分のソロを作っておき、それをそのまま弾いたり、少し変えて弾いたりする方が、より効果的だろう。とにかくジャズではアドリブする前の「準備」が大切であり、私の経験では、こういう考え方でないとなかなか上達しないのだ。
では、どんな風に「準備」すべきか? 私は、自宅での普段の練習では(CDは流さずに)ギター1本で伴奏しつつ、気が向いたらワンポイントのソロを挿入し、その後すぐ伴奏に戻る、という風にすることが一番多い。つまりギター1本による伴奏とソロとの繰り返しだ。その際に、伴奏にせよソロにせよ何かアイデアが浮かべば、曲を中断し、アイデアを煮詰める。この練習法はお薦めである。ポイントは、同じ曲を、時々頭も使いながら、長時間(1時間ぐらい?)練習するということに尽きる。こうして曲を「ものにしてゆく」のである。
このように1曲弾けるようになれば、レパートリーが増えていくのは時間の問題なんだが、初心者の場合、この「最初の1曲」をマスターするのが大変なのだ。特に指癖をもたない初心者は、伴奏パターンにせよ、ソロ・フレーズにせよ、いちいちその場で創り出さねばならぬので超大変だ。ジャズらしくできないと、楽しくないので練習もすぐやめてしまう。そしてお決まりのようにスケール練習へと逃げる。これは典型的な挫折パターンである。スケール練習なんぞは、練習以前の準備体操にすぎない。ではどうすべきか?
ジャズギター練習法の王道は、(1) 他人をコピーすることであり、(2) コピーしたらそれを他の調に(完全5度上がオススメ)移調することである。なぜ移調する必要があるかというと、せっかくコピーしたのだから、それを他のキーの曲にも応用できるようにせねば、不効率だからだし、移調する癖をつけないと、「自分のフレーズ」としてなかなか身につかず、すぐ忘れてしまうのだ(笑)。
■セッションの危うさ 上手な人とやると、自分まで驚くほど上手くなれる。リラックスできる。逆に下手な人(弾き・吹きまくる人、チューニングの変な人)とやると、君も下手になる。あんまりうるさいので、君まで音量を上げて狂いだす。実際、20才前後の若者らのセッションは、その殆どがいわば運動会のようなものである(むろん参加者が満足しているなら、何ら問題はないのだが...)。だが上手い人は無駄な音を出さないものだ。練習すればするほど(ジジイになればなるほど? 笑)、意味不明な音は減ってゆくものだ。
ジャズの世界では(バンドを組まずに)個人で活動する人が多い。その場で知り合った人々と、その場でセッションして、演奏が済めば「ハイ、さようなら」というわけだ。確かに、こうしたフリーの個人活動やいわゆる「飛び入り参加」は、ジャズの醍醐味でもある。しかし私は、ある程度固定したメンバーを確保しないと、ジャズギターの上達は遅くなると主張したい。
というのも、セッションそれ自体はそれほど勉強にならないからであり、セッション前に打ち合わせたり(リハーサル)、セッションの後に反省会でもする方が、よほど勉強になるからである。バンドという親密な人間関係の中では、ギタリストとしての責任感も感じるだろう。仲間たちと共通の目標を追うことは、個人練習の動機づけにもなる。だからピアノやベースといった相棒を持つことは、けっこうギターの上達にとも関係するように思う。私は自分の過去をふり返ってそう思うのだ。
それに、いくらギターが上達しても相棒を確保できねば、なんだか寂しいように思う。「ジャズを演奏する機会がない」という寂しいギタリストは、実際かなり多い(大半の自称ジャズギタリストはこういう状態にある)。ジャズ演奏を満喫して幸福になるのが目標のはずなのに、若い頃から個人的な「技術」ばかりに目を奪われて、「仲間」の大切さに気付かなかったために、本末転倒して不幸になってしまったのだ。個人練習ばかりして、それがいつしか自己目的化してしまったのだ。
音楽人生の最高の宝は、仲間である。そして仲間は「作る」ものであるから、運ではなくて努力の問題である。いつもの場所で、いつもの仲間たちと演奏する。これぞ至福の時間ではなかろうか?
■初心者とは何ぞや?
初心者、すなわち「初心の者」、なんという美しい日本語か。高慢にならず、いつまでも初心者でありたいものだ。下手でも恥ずかしがる必要はない。アマチュアは下手で当たり前。卑屈になる必要もないし、ハッタリをいう必要もない。上手い人を見かけたら、教えてもらえばよい。初心を守る者の心には、なにかしら人の心を打つものがある。
テクニックより大事なものは、仲間と共に、演奏を楽しみ、またある時は議論を楽しむことだ。楽しむことである。時間がたてば上手くなる。上手くならないときは、誰かに気軽に相談しましょう(笑)。これぞ悟りの神髄であるかもしれない。「上手・下手」というギタリストならば永遠に続く輪廻の苦悩からの解脱(げだつ)は、「楽しみ」の中にしか見いだせぬ。テクは人との競争であるが、楽しみは人との共感である。テクは個人のもの、楽しみは共有のものだ。
心の温まる演奏、潜在的自殺志願者にすら「この世も捨てたもんじゃないな」と感じさせる演奏には、決して技巧ではない「何か」があるのではないか? 『古今集』の紀貫之にとって、歌とは、「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも、あはれと思わせるもの」であった。。。