クラシックのすすめ(本郷亮)

古典を味わう喜び

■ クラシックギタリストの1つの弱点は、「歴20年、初見でもバリバリ弾けるが、Dコードとか Cm スケールとか言われても意味がわからない」という珍現象だ(これは譜面至上主義が原因で起こる)。そのため他ジャンルのギタリストとの交流は少ないのが実状である。
 だがクラシックギターには、以下のような際立った長所がある;
    @ 1人で完成美を達成できる点
    A それらレパートリが1曲1曲、譜面という形で確実に蓄積され、財産となる点
 ジャズの場合、指癖や記憶に主に頼るので、時間がたつと忘れるし(泣)、「ギター1本で、芸術的に1曲弾く」のはなかなかに難しい。多くのギタリストは、「読譜力の不安」のため、またトレモロ等の独特のテクニックのため、クラシックの世界になかなか踏み出さないでいる。これほどスリリングな領域はないのに! これから先、どんな素敵な曲が君を待っているのだろう? 古典曲を味わえることは大きな幸せである。
 本ページの課題は、非クラシックのギタリストに、クラシックの魅力を伝えることである。

5線譜コンプレックスの克服

■ 少しかじるだけなら、五線譜は必ずしも必要ではない。クラシックでもタブ譜の楽譜は市販されている。たとえ五線譜が読めなくとも、代表的レパートリー・名曲を20曲ぐらいならマスターできるはずだ。それでも満足できぬ人は、五線譜を学べばよかろう。
■ けれども五線譜が利用できれば、バンド活動などでも大いに役立つ。
 独学でも十分に習得可能である。CD を聴きながら、譜面を眺めよ。まずは「音の高さ」は無視し、リズムにだけ注目して「音符の長さ」を理解せよ。これは容易である。だが、ここからはやはり時間がかかる。次は「音の高さ」、つまり1音1音を「ド」とか「ファ」とか解読してゆかねばならぬ。しかも仮にその音が「ファ」であると判明しても、ピアノと違ってギターでは「ファ」は様々なポジションで出せるので、ギター譜には運指番号や弦番号も記されていて、ややこしい。
 こういう苦しさと闘いながら、1小節1小節と進んでいく。情報を譜面から読み取り、ギターで表現することが「クラシックギターをやる」ということである。僕はいつもそれを「登山」だと思う。毎日一歩づつ登るしかない。1日でも休むと忘れてしまう。1歩、いや復習だけでいいので、毎日続けることが大切。だまされたと思って、短いのを1曲だけでも制覇して欲しい。きっとあなたは「よし、もう1曲!」と思うに違いない。とにかく曲を聴きながら、譜面を眺めよ。「これなら何とかなるかも」と感じたらしめたもの。通勤・通学の電車内で「譜読み」(イメージ・トレーニング) もいい。
 訓練として、「弾きたい曲の譜面を入手、これを5線譜ノートに丸写しする」というのも有効だ。面倒臭いが、かなり効率の良い作業であり、すぐに音符や記号に慣れることができる。分からない記号は、本で調べるように。この単純労働で「書く」ことも自然と修得する。思えば、我々の祖父の時代、コピー機などはなく、音楽家は皆、譜面を手で写していた。
■ しかし5線譜に慣れる最短かつ最良の方法は、はっきり言って、クラシックギターを始めることである。人生80年、一生ギターをやるのなら、覚悟を決めてクラシックギターの購入を奨める。教室に通えば、確実に5線譜は修得できるだろう。
 エレキギターへの応用はイングウェイ的な独特の響きがある。M.デイビスが「譜面の読めないジャズメンのなんと多いことか」と嘆いたように、確かに T.ファーロウ、W.モンゴメリ、G.ベンソンなどは、読譜力がほとんど無いようである(逆に読譜に強いのは J.ホール)。

■ 一生に一度くらいは「教室に通う」経験を持つのも良かろう。相場は月3-4回のレッスンで5〜10千円くらい。教室に通うことの意義は、@は当たり前だが、(私の経験では)実はABCがかなり大きい;

    @ 技術の教授(また、変な癖が付いたり、些細なことで悩んで時間を費やしたりするのも防げる)
    A 練習の動機付け(すなわち練習をサボれないように自分を縛る)
    B 思想的影響(音楽に対する考え方・姿勢で、これがけっこう面白い)
    C 見聞を広める(発表会などの体験、その筋での友達・人脈を作る)
 あくまで私の意見であるが、@だけのために月謝を払うのは割に合わない。月謝のかなりの部分はA〜Cのために払っている。だから教室を選ぶときは、総合的な視点で選ぶべきだと思う。もし純粋に@だけに関心があるなら、何年間も同じ先生に習わず、数年ごとに先生を変える方が効率は良いのではなかろうか?

姿勢  独学者は奇妙な姿勢でギターを弾く。正しくは写真のように、足台を踏んで高くした「左足」のももの上にギターを乗せるんだが、ネックの先は目の高さにまで上げねばならぬ。そのために「右足」を少し開き、内ももでギターの尻を支える。両肩の高さはほぼ同じ。このように構える1つの根拠は、右手と弦との角度が垂直になり、アルペジオの効率が高まる点だ(「音」も「弾き心地」もかなり変わる)。
 普段、家で弾くときは足台など用いず、足を組むことが多いが、少しでも理想的な右手の位置を保つように。楽器を安定させようと、右腕で楽器を強く抱いてはいけない(ボディーの振動、すなわち「鳴り」が腕に吸収されてしまう)。また右手の爪は十分伸ばし、手入れは慎重に。誤って切ってしまうと、数週間まともな音が出ない(笑)。左手の爪は全く不要なのでこまめに切る。
    若い方には分からないでしょうが、変な姿勢(初めのうちは苦しいとは感じませんが)で長時間弾いていると、腰にきます。例えば、譜面を床において、座ってあぐら状態で弾いているときとかは、かなりヤバイです。皆さん、腰痛には気をつけましょう!

(上) 右手フォーム
(左) 姿勢

クラシックギターが好きになった理由

■ 実は私は、クラシックギターに、一番金をかけた(愛機はホセ・ラミレス)。生音勝負だからである。クラシックギタリストは常に「自分のギターは劣っているのではなかろうか」という不安におびえる。だがこの飽くなき良器の追求は底なしである。結局、どこかで満足せねばならぬ。さもないと自分のギターの弱点ばかり気になって確実に不幸になる。不幸を自分で招くのだから自業自得だ。
 我が家にはしばしば客人が来る。そういう客人を ジャズギターでもてなしてもあまり喜ばれないが、クラシックギターなら喜んでもらえる(津軽三味線ならもっと喜んでくれるが、笑)。そして私は、自分を動機付けるために、客人に披露することを目標にして新曲を練習する。客人が家に来る日までに曲を完成させねばならないというプレッシャーは心地よい。
 そんなある日、客人の一言がとても印象に残っている。「クラシックギターがこんなにいい音するなんて知らなかった...」。この一言があまりに嬉しかったので、それ以来、新しいギターが欲しいとは思わなくなった。本当に良い音が出ているのかどうかは、私には分からないのだが、このギターで十分だと思った。生楽器というのは不思議なもので、弾いている本人より、少し離れた場所で聴く人々の方が美しい音に聞こえることもあるようだ。
■ 技巧面でも、トレモロ、タンボーラ奏法(右手指でブリッジ近くの弦をたたく)、ファゴット奏法、ロンダリン奏法、スネア・ドラム奏法(7フレ周辺で左手で5弦と6弦をつまんで接触させながら、右手で5〜6弦を同時に弾く)、等のクラシックギター独自の特殊奏法にも関心があった(タルレガの『大ホタ』は、実に様々な特殊奏法が盛り込まれている曲として有名だ)。

クラシックでは譜面通りに弾かねばならない?

発表会に出たいなら、先生の言うとおり、譜面に書いてあるとおり弾きなされ。だが一般に、ギター奏者がギターで弾くために作曲した曲 (例: タルレガ『アルハンブラの想い出』) は、作曲者に敬意を払って譜面に忠実に弾くべきかもしれないが、ギター以外の楽器のために作られた曲 (ショパン、アルベニス、バッハ等の大半の曲) などは、そのままではギターで弾くことができぬので編曲を行う。この場合、当然ながら編曲するのは演奏者の自由。原曲からかけ離れちゃダメだが、ウォーキングベースを追加したりするのは大家のセゴビアもやっている。どこか物足りない曲でも、自分なりに徹底的にアレンジすれば「お気に入りの一曲」になるし、なにより勉強になる。クラシックの上達は「曲に対する愛着」、結局これしかない

スペインの古典

なかなか聴く機会のないスペイン系の代表曲を聴こう。譜面は「書籍」ページで紹介

フェルナンド・ソル (Fernando Sor, 1778.2.13-1839) 古典派ギターの最高峰。バルセロナ生まれ。スペイン王室お抱えのギター奏者だったが、後にフランスへ亡命。彼の曲は古典派らしく形式美に富み、旋律も極めて格調高いとされ、今日でもよく演奏される。古典派のソルはスペイン色 (=ジプシー的要素、情熱的要素) が薄い。スペイン色は後のロマン派時代のアルベニスやグラナドスになると強烈になってくる
エチュード No.13 No.17 No.19

フランシスコ・タルレガ (1852.11.21-1909) 「近代ギターの父」と賞される。右はスペインの音楽家達が集まるサロンで、ギターを弾く彼の珍しい写真だ。盲人であった父は、子供のタルレガもまた将来、盲人となるのではないかと危惧し、目が見えなくなっても支障がないように、タルレガにピアノ・レッスンを受けさせた。タルレガに初めてレッスンを行った教師もまた盲人だった。タルレガは、昼はピアノ演奏の仕事をして、帰宅後に毎晩ギターを練習する真面目な人。ピアノで培った知識とセンスが、彼のギターを支えたことは言うまでもない。多くのギター曲を残したが、最も親しまれているのは『アルハンブラの想い出』だろう
アルハンブラの想い出 マリア 2人の幼い姉妹

イサーク・アルベニス (1860.5.29-1909) ジプシー的、フラメンコ的な旋律を十二分に取り入れた、近代スペイン民族主義楽派の確立者・代表者であり、『スペイン組曲』や『イベリア』等を書いた。クラシックではよく取り上げられる作曲家。8才でパリ国立音楽院に入るが、イタズラで鏡を割って退学処分。次にマドリッド音楽院に入るが、寮から逃亡。12才で渡米し、放浪生活を送る。23才で結婚し、改心したのだろうか、放浪生活をやめ、マドリッドに定住
『スペイン』 No.3 マラゲニア、 『スペイン組曲』 No.1 グラナダ No.3 セビリア No.5 アストリアス

エンリケ・グラナドス (1867.7.27-1916) ピアニスト。アルベニスと並び賞されるスペイン民族主義学派の代表。アルベニスと異なり、グラナドスはどちらかというとエリートコースを歩み、33才でバルセロナに私学校「アカデミー・グラナドス」を創立。第一次大戦中、乗っていた船がドイツ潜水艦 U ボートに攻撃され、夫人ともども最期を遂げた
『スペイン舞曲』 No.2 オリエンタル No.5 アンダルーサ、 ゴヤの美女


雑学

指による速弾き クラシックギターやフラメンコギターでは、ピックを使わず指で信じられない程に速く弾く。しかもその力強い音色はハンマリングやプリングなどで決して出るものでなく、1音1音、しっかりアポヤンドで弾かれている。使うのは「人差指 (i)」と「中指 (m)」、つまりベーシストと同じで、ロックギターで言う「エコノミー (節約)・ピッキング」の原理を利用する。適当なスケールで試して欲しいが、 「i & m の指弾き」でエコノミーできるのは「1弦から6弦へと向かう下向」の時だけ である。6弦から1弦への上向の場合は、エコノミーできないので正直にやるほかない。ゆえに「指弾き版のエコノミー」を覚えれば、上向より、下向の方が楽である 練習法は単純で、最初はエコノミーなんぞ考えず、まず「メトロノームに合わせ、延々と開放弦を i & m でアポヤンド」せよ。きっちりしたリズムで弾くのは意外に難しい。基本が出来るようになれば、エコノミー・アポヤンドの指使いを練習せよ。ちなみに ピックを用いないクラシックギターでは、速い音階上下向を苦手とする人がほとんど。

エイトル・ヴィラ=ロボス (1887.3.5-1959) 20世紀前半、つまりボサノバ登場以前のブラジルを代表する音楽家。18才からブラジル奥地の調査を行い、原住民の音楽や各地の民謡を収集。彼がギターのために書いた『ブラジル民謡組曲』は、今なお強い人気がある (難度はやや高い)。またアルペジオ練習の定番曲として「エチュード1番」はあまりに有名。右手パターンを下に示すので、適当なコードを押さえて基礎練習に使ってね。彼はほぼ独学で作曲法等を修得しており、セゴビアとも親交が深かった。リオデジャネイロには「ヴィラ=ロボス記念館」(1960年開館) があり、遺品が展示されている。ブラジルの民衆音楽を初めて世界に紹介した彼の功績は偉大で、オックスフォード大およびハーヴァード大から名誉博士号を授与されたほど !
----------------a----a---------1弦
-----------m-------m-----m-
-------i------i--------i-----i-
---i-----p-----------------p-----i-
-----p-------------------------p-
-p----------------------------------6弦  「エチュード1番」はひたすらこのパターンの繰返し

アルペジオの練習  『禁じられた遊び』の冒頭箇所だけを適当に繰り返す。メトロを使わないアルペ練習なんぞ時間の無駄。メトロノームはまず「120」程度で始め、右手が温まれば最終的には「168」程度まで上げる (練習すれば十分可能)。速くても右手に力がこもることのないように(=脱力)。脱力しても、指に瞬発力があれば音量は十分に確保できるはず 速いテンポに慣れると、「ある程度、速いテンポの方が勢いがあるので楽に弾けることに気づく。だがアルペは「速さ」より、「確実さ」「美しい音」「つぶを揃える」「爪が隣の弦に触れない」ことの方が大切だ。だから「168」で弾けるようになれば、メトロを再び「138」程度に戻し、上のことに留意し、背筋を伸ばしてじっくり練習する 『禁じられた遊び』のアルぺは「 a, m, i 」の順だが、これを逆の「 i, m, a 」でも行う 余裕があれば、1-3弦のアルぺだけでなく、2-4弦のアルぺも同様に。難しいよ

ヨハン・セバスチャン・バッハ (J.S.Bach, 1685.3.21-1750) バロック時代を代表する大作曲家。オルガンを最も得意とし、複数のメロディーをからめる「対位法」を大成した。恐ろしく宗教 (プロテスタント) 色が濃く、音楽とはいわば「祈り」であり、あくまで自分と神との「一対一の関係」である。相手が神であるから、飾り、ウソは全く無意味だ。それゆえバッハの思想を継承しようとすれば、演奏者は音楽的自己主張 (例えば、ヴィブラート、タメたリズム、装飾音) 等を意図的に排除・禁欲し、とにかく己を無にして淡々と演奏する必要がある。つまりあらゆる虚飾や自己主張を脱ぎ捨てた裸の状態で勝負するのが、バッハをやる醍醐味なのかもしれぬ。彼の曲を弾く前は、しばらく瞑想して心を落ち着けてからがいいかもね

「弾き分け」と「縄張り」  その他のジャンルではあまり論じられないが、クラシックでは「弾き分け」というのがある。例えば、バロック時代 (1600-1750頃) のバッハと、ロマン派 (1820-1900頃) のショパンを聴き比べて欲しい。前者はリズムも規則正しく、淡々と演奏されるのに対して、後者は「ねちっこく」、つまりリズムも速くなったり緩やかになったり、音量も大きくなったり小さくなったり、とにかく叙情的・感情的である。この両時代ではバイオリンやチェロ等の奏法もかなり異なる。特にヴィブラートに着目すると、前者では非常に抑制されている (抑制せねばならない) のに対し、後者では非常に派手にやっている (派手な方がよい)。バッハ等の曲なら MIDI ファイルを作るのは容易だが、ロマン派の曲を MIDI にしてもイマイチなのは上の理由による。さて、クラシックギターの権威ともいえるセゴビアの演奏も聴いて欲しい。彼は両者の違いをしっかり認識しており、バロック期のバッハ等の曲では淡々と弾くが、ロマン派に属するスペイン系の作曲家の曲をやるときは、非常に叙情的にリズムも自由に弾く。これが「弾き分け」で、特にバロック時代とロマン派時代の違いは絶対に気を付ける必要がある。さもないと、どれほど上手く弾けても、やはり「独学の素人さん」である。どっちのスタイルが優れているというような問題ではない。ロマン派好きな人がバロック音楽を聴けば、「無味乾燥、機械的、ぜんぜん歌ってない」と感じるだろうし、逆にバロック好きの人がロマン派音楽を聴けば「コテコテ、しつこすぎる」と感じる。E.ギターの場合、チョーキングやビブラートは極めて重要なので、そういったものを否定するバロック的音楽観は逆に新鮮なんじゃないかな ? ところでピアニストの世界では「弾き分け」どころか「縄張り」と言う方が適切で、例えばショパン演奏の権威であるアシュケナージといえども、もし突如、バッハの曲を収めた CD を発売しようものなら、ピアニスト仲間の間で「領域侵犯だ。あいつにバッハが弾けるわけがない」という批判というより嫉妬 (?) が爆発するのは必定である。日本の一流ピアニスト達もうまく住み分けている。専門が分かれるんだ。他人の専門を侵さないことは、当たり前のマナーであり、業界語の「音楽家の仁義」とはそういうこと (この他にも色々あるんだよ、「安易に他人の演奏を評論しない」とか「他人の生徒を奪わない」とか...)

大学図書館 先日、図書館にこもり、ギター関連の本を探した。E.ギターに関する本はなかったたが、音楽史や弦楽器一般 (バイオリン等) の本が大量に発見できた。最も嬉しかったのは、クラシックギターの楽譜が大量にあったことで、ホクホクである。学生よ、「灯台もと暗し」とはこのことか

教則本 『カルカッシ Guitar 教本』で有名なマッテーオ・カルカッシ (1792-1853) はクラシックギターの達人 (伊) で、300程のギター曲を残した。教本には彼のエチュード (=練習曲) が多く載っている。興味深いのは、指弾きの際、右手の人指指 & 中指を交互に動かすだけでなく、中指 & 薬指でも同じ練習をせよと指示してる点。アルペジオはともかく、薬指でメロディーは弾きにくいが、右手の 3本の指が自由に使えれば強みだろう。カルカッシ自身はトレモロの前提としてこの練習を薦める。ちなみにピアノの初級教本には『バイエル』(フェルディナント・バイエル 1803-63)、上級教本なら『ツェルニー』(カルル・ツェルニー 1791-1857) 等が有名だ。すべての教材は「本人の用い方」によって生かされも殺されもする


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