ギタラ族の生態C(本郷亮)

音ひずめても、心ひずますな

青年期に襲われやすい病気

■ 試奏マニア  「認めて欲しい」という願望が最もゆがんだ形で現れてしまったのが、いわゆる試奏マニアだ。試奏マニアは日頃からホームグラウンドにしている楽器店を持ち、常に店内で試奏のチャンスをうかがっている。そもそも彼らにとって楽器店は楽器を買う場所ではない、マイ・ライブハウスなのである。
 しかも彼らは、誰よりも上手く試奏することこそ「プロへの道」と考えているため、自分より上手く試奏できる人間の来店に、過敏かつ敵対的に反応する。君が華麗な試奏の最中に、ふと後ろを振り返った時、苦虫を噛みつぶしたような表情で君を観察している暗そうなヤツがいたら、それは試奏マニアかもしれない。彼はその悔しさをバネに生きている。同じ店で何度も試奏すると店員に見破られるので、当然彼らは店を次々と回遊する必要がある。だから楽器店の多い都会に住んでいる、暇な学生しか試奏マニアにならない。
 店での試奏ぐらいでは判断できない事柄は多い。試奏でチェックできることは、「音とノイズ」「タッチと弦高」「作りに欠点がないか(ネックの反り、オクターブ・チューニング)」等だ。だが、これらは大変重要である。

■ 恐怖のなんでも君  「認めて欲しい」という願望がゆがんだ形で現れるもう1つの代表的形態として、「なんでも君」というのがある。音楽歴の長い人なら、1人ぐらいは見たことがあると思う。なんでも君は、どれも中途半端であるにせよ、ともかくギターとベースはむろん弾けるし、ドラムも叩けるし、しばしばキーボードすらも弾ける。彼らはオールマイティーなのだ。
 しかもなんでも屋は、仲間と共にスタジオ入りした際、休憩時間になると、ドラマーとかキーボーディストとかが席を外す瞬間を今か今かと待っている。そして(例えば)ドラマーがドラム椅子から立ってどこかへ行ってしまうと、彼はなにげにドラムに近づき、なにげに叩き始めるのである。ところが、しばしば起きることなのだが、彼がドラムを叩こうとドラム椅子に座った瞬間に、なんとドラマーがスティックを持ち去ってしまっているのに彼は気付く...。だが、本来のなんでも君はそんなヘマはやらない。というのも、百戦錬磨のなんでも君は、マイ・スティックを当然持参しているからである。
 君は「なんでも君」同士の凄惨な闘いを見たことがあるか? 彼らはあらゆる楽器について、なにげに順番に勝負してゆく。たとえ我々の耳ではほとんどドングリの背比べで、どっちが上手かを判別できなくとも(したがって私としては推測する他ないのだが)、闘っている当人同士の間では、個々の楽器において、あらん限りのワンポイント・テクを誇示することで相手を威圧し、だいたいの勝敗が着くと言われている。だが、たとえ技術面で勝ったとしても、知識・雑学面で大敗してしまう、という一発逆転ホームランもあるため、結局、どっちがオールマイティーかという決着はつかず、どちらかが諦めるまで、ずっと膠着状態が続くのである。
 むろん「なんでも」行動には、他楽器のことを学ぶという良い面がある。こういう動機に基づく場合は「積極留学」として評価可能である。本来のなんでも屋とは、「すごいね」「なんでも出来るんだね」という我々からの一言のために他楽器にちょっかいを出す場合をいう。

■ 録音オタク  自分の演奏を録音・編集して「形にして残す」、あるいは「異性にプレゼントする」ことは、非常に刺激的で楽しいことである。だから録音するギタラっ子がことごとく「録音オタク」であるわけではない。「録音オタク」を名乗るには、第1に、(自分の演奏だけではなく)他人のギタラ演奏の録音にも大きな快楽を見いだすこと。そして第2に、録音を専門技術と見なし、それゆえ自称「バンドのプロデューサー」としての奇妙なプライドのようなものを持っていて、アレンジに関して絶大な自信を持つようになること。最低限この2つの条件を満たさねば、オタク化したとは言えない。
 録音オタクはバンドに一人いるとデモテープ等の作成において非常に役に立つのだが、デモテープの作成を彼らに完全に任せるのは極めて危険である。なぜなら、とんでもない所にエコーをかけられたり、無断で動物の鳴き声を入れられたりするからだ。本人は良かれと思ってするのだろうが、「なぜそんなことをしたのか?」とみんなで問いつめると、「この良さは凡人にはわからない」と言ったりもする。しかも皆に一斉攻撃されるとトラウマになってしまい、人間はますます意固地になる傾向があるのだ。このように録音オタクはあくまでオタクの一形態であって、オタクの本能が暴走すると、いかなる者もコントロールすることができないから要注意である。

■ ネット・ギタラ族  ネット・ギタラ族は大別すると、「HP管理者組」とHPを持たない「徘徊組」の2グループから成るが、両者はまるでトムとジェリーのように持ちつ持たれつの関係にある。
 ページ管理者組は自分のサイトを更新するためのネタ探しで結構大変だと思う。またネット・ギタラ界はほとんど戦国状態にあり、幾つかの諸勢力に分裂している。この勢力分布については、そのページの相互(同盟)リンクの状態からおよそ伺うことができる。強大なページと強大なページが同盟を組めば一番いいのだが、強大なページの管理者はたいていプライドが高く、根性がゆがんでいるため、彼らの直接交渉はまず不可能と言ってよい。そこでページの勢力拡大の野望に燃える邪悪な管理者は、同盟成立の可能性の高そうな「弱小サイト」との相互リンクを増やしながら、着々と勢力範囲を広げていくわけなのであるが、さすがに弱小だけあって、サイトそのものがいきなり消えてしまっていることも多く、なかなか思うように進まないのが常である。
 一方、徘徊組は、夜な夜なギター系サイトの掲示板を徘徊し、そこにけしからぬ事が書かれていないかどうか、必ずチェックしている。たとえ大嫌いな管理人のサイトであっても、更新されていないかどうかのチェックだけは欠かせない。ギターを弾くことよりも、むしろ掲示板に書き込んだ頻度と量によって勇名を轟かせる彼らの姿勢は、音楽という観点から見た場合、これまたやはりゆがんでいる。彼らは掲示板上ではギターに関して恐ろしく雄弁で、しばしば他人の意見をボロカスに批判したりするのだが、セッション会などで楽器を持って実際に会うと、なぜかギターを弾きたがらないというけしからぬ人達なのである。


さらば学生時代、ギタラ族風成人式

■ 次の2つの条件を満たしてしまったギタラっ子は、会社に勤め始めると安楽死する;
    (1) 学生バンドが主たる活動の場であって、メンバー間で強力な友情関係を形成できなかった者
    (2) Classic、Jazz 等への路線変更ができない純血ロッカー
 ごく稀に生き残る者もいるが、結婚してパートナーの無理解によってトドメを刺されたという例が多い。しかしパートナーの気持ちも理解してやらねばならないと思う。誰だって、変なリフを延々と弾かれたら、気が狂いそうになって「もっと普通の曲を弾いて!」と、ヒスを起こしたくなるというものだ。だが普通の曲が弾けないからリフを弾いているのである。

■ ブルース族  ただし例外として、オタクの域に達したブルースマンは必ず生き延びる。わが国にはマニアック・ブルースマンたちの強固なコミュニティーが各地に存在し、彼らは「マニアックさ」「変人さ」によって互いに尊敬しあい、また不用心に置いてあるギターや自転車を互いに盗み合いながら(理由はよくわからないが、私の周りで盗難にあうのはたいていブルースマンなのである)、定期的なライブを開いて互いに助け合うからである。
 もうもうとタバコの煙の立ちこめる酒場の不健康さ、周囲をとりあえず物色するその目つき、常日頃の不真面目な生活態度、外見の汚さ、これら諸点においてブルースマンは、ギタラ界最強ともいえる不良中年部族だ。
 そして彼らは「クォーター・チョーキング」と呼ばれる固有の技法を持っている。部族の言い伝えでは、この中途半端なチョーキングは強力な魔力を秘めており、その催淫効果によって「女はクォーター・チョーキングを聴けば必ずしびれる」のだそうだ。部族員は皆、この古い言い伝えを信じている。それゆえ、彼らはステージ上からこのチョーキングを行うのだが、女性に向かうはずの強力な魔力が、なぜか本人に向かい、チョーキングしたとたんに、自分の顔が悦びにゆがんでしまうのだ。これでは本末転倒だ。
 そのさいに生じる、この世のものと思われぬほどのその顔の醜さは、もはや言葉では適切に描写することができない。「汚い」とか「片方の眉毛だけが上がっている」、あるいは「口が半開きになっている」などの個々の特徴は示せても、それらが1つの顔面上に同時に現れた薄気味悪さは、実際に見なければわからないのだ。

 「E のブルース」を顔で弾く  

    ----------------0-----------------3----------------0----1弦
    ----------------0----------------------------------0-
    -----------------------------------------------------
    -------------------2-2-4-4-5-2-4---------------------
    -2-2-4-4-5-2-4-----0-0-0-0-0-0-0-----2-2-4-4-5-2-4-----2-2-4-4-5-5-2-2-
    -0-0-0-0-0-0-0-----------------------0-0-0-0-0-0-0-----0-0-0-0-0-0-0-0-----6弦

    ----------------3-----------------3----------------0----1弦
    ---------------------------------------------------0-
    -----------------------------------------------------
    -2-2-4-4-5-5-4-----2-2-4-4-5-5-4---------------------
    -0-0-0-0-0-0-0-----0-0-0-0-0-0-0-----2-2-4-4-5-5-4------2-2-4-4-5-2-4-2-
    -------------------------------------0-0-0-0-0-0-0------0-0-0-0-0-0-0-0----6弦

      ------------------------------------------0-0-0-------------------------2-----1弦
    ------------------------------------------3-3-3--0-3-0------------------0-
    ------------------------------------------4-4-4---------2-0-------------2-
    -4-4-6-6-4-4-6-6---2-2-4-4-2-2-4-4---------------------------2-2-0------1-
    -2-2-2-2-2-2-2-2---0-0-0-0-0-0-0-0----------------------------------2-2-2-
    --------------------------------------0---------------------------------------6弦

     赤色で示した音はクォーター・チョーキングせよ。「45度ほど横を見つつ、少し苦しそうな表情」でチョーキングするのが無難。くどいようだが一人前のブルースマンになりたければ、ブルースを顔で弾けねばならぬ。まずはギターは弾かず、音声ファイルにタイミングを合わせて、顔で弾けるかどうか試すべし。参考になればよいが;

    @ 首を回す角度と速度:  チョーキングの音程と入魂度に比例させる。
    A 首を回す方向:  普通は「ネックとは逆方向(右)」。とにかく一方向に決まっている。
      ただしヴィブラート中、左右に首を振ることはある。

     さて、「右手をブリッジに載せてミュートした状態」と「ミュートせずに普通に弾く状態」とを混ぜると、メリハリが出しやすい。思うに、ブルースの伴奏は「難しいことをすればカッコイイ」わけではない。むしろダサイまでに単純・堅実な伴奏を基礎としつつ、所々に小技を入れるとよい。小技が多すぎると、聴いていて疲れる。締めくくりはこんな感じでよかろう

    ----0-0-0---------------------------3-----1弦
    ----3-3-3--0-3-0--------------------0-
    ----4-4-4---------2-0---------------1-
    -----------------------2-2-0---0-2--0-
    -----------------------------2------2-
    -0----------------------------------0-----6弦

■ 就職に伴う学生バンドの崩壊は、ギタラ人生の一大事であり、この重要性はこれまで誰も指摘しなかった。この時期の死亡率は、実態は明らかではないがおそらくかなり高いと推測される。もちろん卒業以前にも学生バンドはいきなり崩壊することがある。原因はたいてい;

    「彼女がライブに来るというのに、俺のソロが少なすぎる」とか
    「あの野郎はサイドギターのくせに、俺のリードギターより音量が大きかった」とか
    「ステージの立つ位置が後ろだった」とか
    「ヤツはいつになったら曲のコード進行を覚えてくれるのか?」
    「選曲の不平等」
    「ヤツは前回、スタジオ代 (ないし喫茶店代) を払っていない」
とかの権力闘争の激化である。くどくど説明するまでもなく、ギタラ族同士の会話では「音楽性の違い」と言えばこの心中を察してもらえる

■ 三十路に近づくにつれ、ギタラっ子としての倫理観は大きく変化していく。社会人バンドをやる者は、Rolling Stones や Beatles 、あるいはハードロックの曲をやること自体は OK なのだが、曲中のシャウトだけは「みっともない」という気持ちが生じる。それでも、やらないとメンバーが睨むので仕方なく叫ぶのだが、体がついてゆかず咳きこんでしまったりする。しかも練習後、いつもの中華料理屋でビールを飲みながらお互い顔を見合わせば、旧友の頭にハゲや白毛を発見したりする。また女性メンバーに対しても昔は「お前、いつ結婚するんじゃ?」と気楽に冗談も言えたが、こういう冗談も、今や絶対の禁句となってしまった...。かくしてメンバーの間にも何となく「もう俺達も若くない」という想いがしんみり広がり、バンドは徐々に路線変更の過程に入る。


10年壁

■ 一通り演奏技術を修得し、アドリブもかなり効くようになる楽器歴10年目あたりが、音楽人生の1つの節目である。ここからのさらなる「飛躍」は難しい。私もその時期、壁にぶち当たり、ギターへの関心が非常に薄らいだ。そして演奏よりむしろ理論や歴史に関心が移った。つまり読書したり歴史的名盤を聴いたりするのだが、それを1年ほど続けると、昔は断片的な知識しかなかったのが、理論も歴史もかなり体系的に整理された。また予想外にも、僕の演奏に明らかな変化が生じた。勉強したことを生かして演奏しよう、自分の人生観を音楽の中で冷静にマイペースに表現したいという強い心理傾向である。10年壁は深刻であり、就職等の生活環境の激変にもめげず、これを乗り越え、一生ギターを楽しんでゆくためには、演奏技術以外の要素(新しい人間関係、知識を広げること、新鮮な動機づけの工夫など)が意外と重要になってくるように思う。たった1度の音楽人生、「3年前から変わってないな」ではなく「確かに前進してるな」と実感するためには、1度楽器を置いてみるのもよい。そのまま死んでしまっては元も子もないが...

■ 私にとってはクラシック・ギターの購入も効果的だった。クラシック・ギターの利点は、ギター1本で音楽が完成してしまう点だ。レパートリーを1曲1曲と増やすことが私に新たな喜びと目標をもたらした。今では常に、何らかの「気になる曲 (=課題曲)」を持つようになった。「ああ、この仕事が終わったら、あの例の曲をやろう。譜面も音源も準備したが、今は仕事が忙しいからなあ。早くこの仕事が終わってくれんかなあ」。社会人ならこの幸せな気持ちを理解してくれるだろうか?


あっぱれフォークシンガーの最期

■ 「アコギ族」はかつて長渕剛、南こうせつ、さだまさし、等を輩出した強力な名門一派だった。元々彼らは「フォーク」といういささかダサい名称で呼ばれつつも、その黄金時代である60〜70年代にかけて、日米安保条約反対を唱えたり、大学紛争と称して社会を混乱に陥れたりするほどの栄華を誇っていた。機動隊とこん棒で殴り合っていたのはこの連中である。当時は「日本を変えよう」とか「公害をなくそう」と言った歌詞を真顔で歌うことのできる「社会派シンガー」はざらにいた。彼らはアメリカン・ヒッピーの影響を、モロに受けてしまっていたのである。だが上述のような当時の若者の野蛮な青春のあり方は、次世代の若者にとって、あまり模範となりうるものではなかった。
 例えば、彼らは (7) を下品にかき鳴らし、「水戸黄門」と言って喜んだり 、あるいは当時のテレビ CM を真似て、「この木なんの木? 気になる気になる」と下品に2部合唱したりしていたのだ
    イントロコード進行エンディング
      -----0-2-0---------4弦
      -0-2-------2-0-----5弦
    すべてロ-・コ-ド

     G - C - D - G - G - G7 - C - D - G

      ---7----6----5---3----1弦
      -----------------3-
      -7----6----5-----4-
      -----------------5-
      -----------------5-
      -----------------3----6弦
 このようにしてアコギ族は、後継者不足のため、80年代半ばに、いったん滅びかけた。しかし90年代に入って「アンプラグド」などという奇妙なネーミングを打ち出し、イメージチェンジを企てたのである(アンプラグドとは「シールドのジャックをアンプに挿入しない」の意で、エレキの曲をアコースティックでやること)。
 その頃から、すでに俺は「うさんくさいなあ」と睨んでいた。するとその予感は的中し、なんと、業界の宣伝に煽られたアコギ族は、まるで雨後の竹の子のように大増殖し始めたではないか! そしてこの危険な傾向は、今なお進行中である。具体的な症例としては、フォークギターを手に取ると、催眠術にかかったかのように、ふらふらと、5分以内に E.クラプトンの『Tears in Heaven』を弾き始めて しまう 若者が急増している。しかも若いから仕方がないのかもしれないが、彼らは演奏に集中しすぎて、ギターに涎 (よだれ) をたらすことがあるのだ。

■ アコギ族の若者は、駅前の階段や道端(彼らは「ストリート」と呼ぶ)で歌うことによって日頃からストレスを発散しているからだろうか、気味が悪いほどに「笑顔の似合う好青年」であることが多い。アコギ族が大増殖している要因の1つにこの「ストリートの流行」が挙げられる。
 だが彼らのストリート演奏は、「やっぱりストロークが命だぜ !」などとほざきながら自分のストレスを発散しているだけで、芸人意識や哲学といったものが、今ではこの部族から失われてしまった。この点、同じストリートでも、『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌を流しながら走る右翼の車の方が、音楽的にも哲学的にもプロ意識を堅持しているのである。

■ 高校生なら、自分の部屋の中で音楽に陶酔して奇声をあげたり、飛び跳ねても、親や近所の住人は大目に見てくれるものだが、大学を卒業する頃になると、そういう馬鹿なことは、よほどの美人でもないかぎり、社会的には認められないにちがいない。当たり前だ。
 フォークシンガーの多くも、この時期に、「もしかすると俺はうるさくはないか?」と気付き始める。そして「うるさいかな ? 大丈夫だろう。でも...」という風な、内面の格闘が始まり、そしてその歌声とアクションはだんだん小さくなってゆく。いい年をこいて実家で無邪気に叫んだり、変なアクションをするには、家族の目を屁(へ)とも思わない強靱でかなり自己中心的な神経が必要だ。
 だが、たとえ本人がいかに近所迷惑など省みない脳天気マンであろうとも、玄関の扉に「大声で歌わないで !!」などとそのものズバリの匿名の張り紙をされて、万事休すとなる例も報告されている。というより私の知人が、毎夜叫び続ける近所のドラ学生の家に張り紙を貼ったことを、私に自慢していたのだ。

だからこそ防音室  妻がピアノを弾くため、我が家は防音室を設置している。「家の中に小さなスタジオがある」ような感じだ。YAMAHAの「アビテックス・ミニ・シリーズ」(右写真は3畳型で我が家のものと同じ) は、この種の防音室の定番と言えよう。防音効果だが、ピアノなら通常の会話程度の音量になる。大きさは、グランドピアノ用の3畳型が最大で、電話ボックスのような小さいものもある。高さはどれも1.8m程度なので、ウッドベースは少し傾けないと弾けない(泣)。そのかわり、屋根には荷物が載せられるので、ちょっとした物置になる。定価は、3畳型で93万、2畳型で74万であるが、組立費等でさらに約5万円ほど必要なので、かなり高い買物ではある。
 YAMAHA のお店に問い合わせると中古品の状況もわかるので、まず中古で探すことをお薦めする(新品より約3割安)。家にスタジオがある生活を実際にすると、本番さながらの音量で練習できるため、音に対するセンスも磨かれる。ピアノ、管楽器、ギター、とにかく遠慮せずに一生の間、十分な音量で毎日(また毎夜)練習できるのは有り難いことである。ドラムはマンションではさすがに無理だが、一戸建てなら大丈夫だろう。また防音室は私にとって、「そこへ逃げ込めば、世俗のあらゆる雑事を忘れることのできる小型カプセル」のようなもので、精神衛生上、とても貴重である。

▲top