自己紹介(本郷亮)BGM: J.S.バッハ, フ-ガ(無伴奏ヴァイオリン・ソナタNo.1より), ギタ-譜入手も簡単なので挑戦しては ?

 ■プロフィール
氏名: 本郷亮(ほんごう・りょう)
生年: 1972年2月
出身: 大阪
職業: 
宗教: プロテスタント(日本キリスト教団)
趣味
 
: 
 
ギター、コントラバス、
スキューバダイビング、読書
: ソクラテス

■ギターは高校1年で始めた。担任の先生がたまたま音楽の教師だったので、指導を仰ぎつつ、クラシック、フォーク、ロック、ジャズ、ポップスなど、あらゆるジャンルに手を出した(もちろんどれも中途半端、笑)。1日8時間ぐらい、ギタ-ばかり弾いていたので、高校卒業後、あてもなく浪人せざるをえなかった。能無しであったが、プライドだけは高かった。
■浪人中、予備校に通ったので、親に余計な大出費(70万円くらい?)をさせてしまった。うちは母子家庭なので、ぜんぜん裕福ではなく、申し訳ないので、猛烈に勉強した。
■翌春、関西(かんせい)学院大学・経済学部に入った。大学時代は苦しかった。大学時代には、2度と戻りたくない。それくらい苦しかった。それに、あれほどの努力をもう一度できるかどうか自信もない。ひたすら読書、ひらすら楽器練習に励んだが、周りの学生は遊ぶことしか考えちゃいなかったので(私にはそう見えた)、私はいつも孤独だった。この頃から性格が一変した。だが才能を人並み以上に伸ばそうとすれば、絶対に、孤独になる時期が必要である。発狂寸前まで、自分を追いつめたり、いわゆるハングリー精神というものを養なったりするには、「孤独」が不可欠なのだ。大学時代の私の精神状態は、普通の目から見れば、異様なものであったに違いない。しかしやはり、若いうちに、もがき苦しむのは、貴重な経験であると思う。
 貧乏な私は、夏休みになると、サイクリング旅行(サイクリング用の自転車ではない)に出かけた。2万円程度(1万円は予備)の現金、道路地図、寝袋を持って、出発する。例えば以下のようなルートなら、一周するのに約1週間かかる。

    実家(大阪)発 → 京都 → 滋賀県大津(琵琶湖畔) → 鈴鹿山脈 → 三重県松阪
    → 尾鷲(おわせ) → 和歌山県串本 → 白浜 → 大阪
 途中、気の向くままに、面白そうな観光スポットに寄り道する。いくら寄り道しても、自転車なので交通費はゼロだし、寝袋で寝るので宿泊費もゼロだし、食費ぐらいしか金がかからないので、お金の面では何日でも旅行できるのだが、1週間ぐらいで体力の限界に達する(笑)。実際、フラフラになって家に帰り着くと、「こんな苦しい旅行など、2度とするものか!」と思うし、日焼けや筋肉痛で2〜3日は起きあがれないほどなのだが、回復すると、また行きたくなる。冒険的な一人旅には、強烈な魅力がある。必要なのは、体力と好奇心だけである。パンクしたら、そこから歩けばいい。無謀さは若者の特権である(ただし事故で死んではいけない)。
 大学では最初、軽音楽部にいたが、いろいろ考えた末、一年間で辞めた。それは、私に期待をかけ、また私を鍛えてくれた先輩たちを裏切る行為であるから、今でも罪悪感を感じるのだが、仕方がない。その後、室内楽部に入り、J・S・バッハ等のクラシック音楽に熱中した(右写真)。その後、部長になったが、一番よく覚えているのは、部活動に介入してきたOB・OGとケンカしたことだ(笑)。
■大学卒業後、大学院に進んだ。そこでも基本的に、ひたすら読書、ひたすら楽器練習であったが、大学院は大学よりも、お金の面でも、暇の面でも、恵まれているので、ますます集中できた。ちなみに読書は、日本語の本なら1週間に1000ページ(1日150ページほど)、楽器練習は1日1〜2時間といったところで、タバコは1日1箱であった(笑)。この時期、学問上・音楽上の、素晴らしい人々・尊敬すべき人々と、数多く知り合うことができた。
■大学院で5年間学び、その後、結婚し、大学の教員となった。やりたいことがまだ多く残っている。

 祖父の思い出

 私はいわゆる「おじいちゃんっ子」「おばあちゃんっ子」である。祖父は1997年12月21日に他界した。祖父は、当時大学院生だった私の出世が楽しみで、病院でも看護師さんや他の患者さんに私のことを自慢していたらしい。祖父は、小学校しか出ておらず、大蔵省造幣局の下級役人であった。たまに職務上の訪問先でコーヒーを出されても、「公務員なので、頂くことは出来ません」と断る堅物な人だったようだ。そのコーヒー事件の話は、子供の頃から私は何度も聞かされた。彼は、そういう清廉潔白さに誇りを持っていたようだ。
 彼は手先が器用で、絵や彫刻の達人であった。家には彼の作品がたくさん残っている。定年後は、町会長として、事務仕事ばかりしていた。96年の夏、祖父の故郷である伊勢に行ったとき、磯釣りをしたのだが、「じいちゃん、あんまりそっち行って落ちんなよ!」と叫ぶと、彼が「おう!へへ」と嬉しそうに返事をしたその声を、私は妙によく覚えている。
 祖父が入院したので見舞いに行くと、彼は私の顔をみるなり、「亮! タバコ1本くれ!」と言う。彼はヘビー・スモーカーであり、病院ではタバコを禁じられていたのだろう。廊下のイスに2人で座って一緒にタバコを吸ったこと、それから病院の喫茶店でコーヒーを飲んだこと、が最後の思い出になった。その後意識がなくなってしまった。
 私が出世した姿を見せたかった。いや、彼は今もどこぞに存在しているのではないか? 私はそう信じる。タイを憎んで(昔、骨がのどに刺さったらしい)サンマを愛する大正9年生まれのドケチさ。気は弱いが頑固。しばしばハッタリをこき、コップ一杯の酒でフラフラになっていた「あの愛すべき人格」が、永遠に消え失せたとは不思議だ。信じられぬ。

 愛すべき鈍器(どんき)たち

■1つめの器は、92年入手のフルアコ(Epiphone)。本ペ-ジの音声ファイルは、ほぼ全てこれで演奏している。
■2つめは97年入手の特注 Moon。ペグからブリッジに至るまで、さんざんわがままを言って作って頂いた高級器。木材にこだわった結果、全身総木目で、ほとんど美術品状態だが、ちゃんと音も出る。ボディー表面はキルトメイプル、指盤はハカランダ(ブラジリアン・ロ-ズウッド)。ハカランダは赤褐色をしており、ワシントン条約で輸出入禁止の珍木。また写真では見えぬが、ネックは強烈な鳥目杢のハ-ドメイプル。PUはハ-モニックデザイン。
■3つめは89年入手の日本製 Orville by Gibson。私に改造されまくって、音が出なくなってしまった。たぶん配線がどこかで切れたのだ。しかし今でも大事にしている(そのうち直して使おうと思っている)。
■4つめは98年入手のスペイン製ホセ・ラミレス。「当たり」なのか「もともとそういう性能」なのか知らぬが、あんまり音色がなので、この苦しみを理解してもらうために客が来ると、つい一曲聴かせたくなってしまう。弦はヤマハ「Grand Concert String」。
■5つめの器はドイツ製カ-ル・へフナ-のコントラバス。軽く車が買えるほどの値段なのに、この音色は全くシャレにならない。昔、家の前で練習していたとき、アルミ製の竹馬に乗った悪ガキが突っ込んできて、モロに駒に一撃を喰らったのがいけなかったのだ。91年入手。
■6つめはベ-ス用 Fender アンプ(35w)。これは汎用性が高く便利。ギタ-・アンプにベ-スをつなぐと負担がかかるが、ベ-ス・アンプにギタ-をつないでも負担がない(はっきり言って音は悪い、しかし私にはそれが逆に面白いのだ)。
■7つめはギタ-用 Marshall アンプ(33w, VALVESTATE "VS30R")。

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