広島平和公園・宮島厳島神社

広島平和公園・原爆資料館
 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けました。
 まちはほとんどが破壊され、多くの人びとの生命がうばわれました。かろうじて生き残った人も、心と体に
 大きな痛手を受け、多くの被爆者がいまなお苦しんでいます。
 広島平和記念資料館:資料の一つ一つには、人びとの悲しみや怒りが込められています。原爆の惨禍か
 らよみがえったヒロシマの願いは、核兵器のない平和な社会を実現することです。
宮島厳島神社
 社殿の創建は、推古天皇即位元年(593年)佐伯鞍職によると伝えられています。厳島神社は、弘仁2年
 (811年)にはじめて日本の歴史に記録され、「日本後記」には伊都岐島神を名神に列しています。社殿は
 承元元年(1207年)と貞応2年(1223年)に火災にあい、これら災害の修復が行われましたが、たび重
 なる火災で神社に規模も移り変わったと思われ、弘安の時代(1278〜1288年)に記された社殿の図は
 今の配置と異なっています。その後、正中2年(1325年)台風で現在の位置に近い姿であったことがうか
 がえる記録が残されています。社殿は徐々に衰退し、荒廃の時代を迎えますが、弘治元年(1555年)、
 毛利元就が厳島の合戦で勝利を収め、社殿を支配下に置き、神社を深く崇敬した頃から社運はふたたび
 上昇しはじめました。豊臣秀吉も、九州遠征のさい立ち寄り、安国寺に大経堂の建立を命じています。
      
        拝観入り口