法隆寺      

用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その
現実を
みないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご
遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの
法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えたいます。
南大門・国宝(室町時代)
法隆寺の玄関にあたるこの門は、永享10年(1438)に再建されたものです。
中門及び回廊・国宝(飛鳥時代)
いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に立つ塑像の金剛力士像(奈
良時代)は、東西にのびた回廊の連子窓と対照的な組み合わせで、並列して建つ塔と金
堂を壮麗に包み込んでいます。
金堂(飛鳥時代)
法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。威風堂々としたこの建物の中には、聖
徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、太子の父君用明天皇のために造ら
れた金銅薬師如来坐像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如
来坐像(鎌倉時代)、それを守護するように、樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳
時代)、が邪鬼の背に静かに立っています。そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平
安時代)の諸像が安置されています。天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋
が吊され、周囲の壁面には、世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在はパネルに画か
れた再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、創建当初の美しさが偲ばれます。
五重塔(飛鳥時代)
塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において
最も重要な建物とされています。高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最
古の五重塔として知られています。この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた
塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩が問答、北面は釈尊が入滅、西面は釈尊遺骨(
舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法などの場面が表現されています。
大講堂(平安時代)
このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、延長3年
(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)にはd再建され、ご本尊
の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。
夢殿(奈良時代)
西暦601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の威徳を偲んで
天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院といいます。その中心となる建物がこの夢
殿です。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置
し、その周囲には聖観音菩薩増(平安時代)、聖徳太子の孝養像(奈良時代)、乾漆の行
信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)など
も安置しています。この夢殿は中門を改造した礼堂(奈良時代)と廻廊に囲まれ、まさに
観音の化身と伝える聖徳太子を、供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を
漂わせています。
(法隆寺略縁起より)

Created by HIDE-G SCENARIO FOR FLASH