大津旅行(石山寺・三井寺・醍醐寺)

石山寺 三井寺 醍醐寺
聖武天皇の勅願により天平勝宝元年良辨僧正によって開基される。西国巡礼十三番の札所。堂内「源氏の間」は紫式部が「源氏物語」を書いたところと伝え、境内の奇岩は石山の名の出た硅灰石からなり天然記念物に指定されている。
・東大門 「重要文化財」建久元年(1190年)に源頼朝の寄進により建てられたとされ、その後、慶長年間に大修理が行われています。
・毘沙門堂 毘沙門天への厚い信仰から安永2年(1773年)に建立されたお堂で、毘沙門天を本尊としている。
・蓮如堂 「重要文化財」硅灰石の崖にせり出しで建つ懸造の建物。慶長期に三十八所権現社の拝殿として建てられましたが、後に蓮如上人が祀られるようになった。
・本堂 「国宝」滋賀県最古の木造建築物され、内陣は平安時代中期の建築、外陣(礼堂)は慶長7年(1602)淀殿の寄進により増築されたといわれている。本堂内陣に安置されるのは、安産・福徳・縁結びの観音様として信仰を集める。本尊如意輪観世音菩薩。御開扉は33年毎。相の間には、紫式部が「源氏物語」を起筆したことにちなむ「源氏の間」があります。
・三十八所権現本殿
 「重要文化財」石山寺の鎮守社。慶長期の伽藍復興時に本堂の礼堂とともに建立された
・経蔵 「重要文化財」16世紀頃に建立された高床の校倉造りで、重要な経典等が収蔵されていた。
・多宝塔 「国宝」源頼朝の寄進で健久5年(1194)に建立された日本最古の多宝塔。本尊は大日如来です。
・鐘楼
 「重要文化財」重層袴腰、檜皮葦の入母屋造で鎌倉時代後期の造営と考えられている。
・御影堂 「重要文化財」真言宗の開祖弘法大師、石山寺開基の良弁僧正、石山寺第三代座主淳祐内供の遺影を安置するお堂です。単層の檜皮葦。
圓城寺(三井寺)は、天台寺門宗の総本山で、古くから日本四箇大寺の一つに数えられています。天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城(おんじょう)」の勅額を賜り、「長良山園城寺」と称したのにはじまります。俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師が、当寺の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。
・大門(仁王門) 「重要文化財」室町時代(宝徳四年)三間一戸楼門 入母屋造 桧皮葺 
三井寺中院の表門で、東面して建ち、両脇の仁王像が山内を守護しています。
・釈迦堂(食堂) 「重要文化財」室町時代
正面七間 側面四間 一重 入母屋造 桧皮葺

大門を入ってすぐ右手に、南面して建つ比較的簡素な造りの堂です。秀吉による破却の後、清涼殿を移築したものとの伝えもありますが、室町時代に建立したもの。
・金堂 「国宝」桃山時代(慶長四年)
正面七間 側面七間 一重 入母屋造 桧皮葺

現在の金堂は、秀吉の正室北政所によって再建されたもので、三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。本尊弥勒菩薩もここに安置されています。
・鐘楼(三井の晩鐘) 「重要文化財」桃山時代(慶長四年)  正面一間 側面二間 一重 切妻造 桧皮葺
閼伽屋、三井の霊泉 「重要文化財」桃山時代(慶長五年) 正面三間 側面二間 一重 向唐破風造 桧皮葺 閼伽屋は金堂西側奥に金堂と接して建っています。内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています・梵鐘(弁慶鐘) 「重要文化財」奈良時代 
総高199.0cm 身高156.0cm 口径123.2p
・一切経蔵、八角輪蔵 「重要文化財」室町時代
正面三間 側面三間 一重 もこし付宝形造 桧皮葺

一切経蔵は一切経を安置するための堂で、内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。
・唐院大師堂 「重要文化財」桃山時代(慶長三年)
正面三間 側面二間 一重 宝形造 桧皮葺
唐院は智証大師円珍が天安二年(858)、入唐求法によって請来した経典や法具を、貞観十年(868)に内裏の仁寿殿を下賜されてそこに納め、伝法潅頂の道場としたことに始まります。
・唐院潅頂堂 「重要文化財」桃山時代
正面五間 側面五間 一重 入母屋造 桧皮葺
大師堂の拝殿として役割を備えています。
・三重塔 「重要文化財」室町時代
三間三重塔婆 本瓦葺
慶長二年(1597)、秀吉によって伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したものです。
・毘沙門堂 「重要文化財」江戸時代(元和二年1616)
正面一間 側面二間 一重 宝形造 桧皮葺
もともと園城寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和二年(1616)に建立され、明治以降に三尾社の下に移築、戦後の修理に際して現在地に移りました。
・観音堂 「県指定文化財」江戸時代(元禄二年1689)
礼堂:正面九間 側面五間 二重 入母屋造 本瓦葺
正堂:正面三間 側面二間 一重 入母屋造 桧皮葺
西国三十三箇所観音霊場の第十四番札所として、本尊は如意輪観音。元禄二年に再建された。
・護法善神堂 「市指定文化財」江戸時代(元禄二年)
本尊は護法善神として鬼子母神を祀っています。
真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺は弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が、貞観16年(874)に創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胝・如意輪の両観音を刻み、山に祀った。それが醍醐寺の始まりである。
・西大門(仁王門) 「重要文化財」
豊臣秀頼が金堂の再建後、慶長十年(1605)に再建したもの。そこに安置されている仁王像(重文)は、もとは南大門に祀られていた尊像で、平安後期の長承三年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された尊像です。
・清瀧宮本殿 室町時代「重要文化財」/
清瀧宮拝殿

醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社。文明の兵火により焼失。現在の社殿は、永正十四年(1517)に再建され、慶長四年(1599)座主・義演僧正により拝殿の整備が施されました。

・金堂 「国宝」平安時代
醍醐天皇の御願により延長四年(926)に創建された建物。当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。現在の金堂は、秀吉の命によって紀州(和歌山)湯浅から移築が計画され、秀頼に時代、慶長五年(1600)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。
・五重塔 「国宝」平安時代
醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平六年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦五年(951)に完成しました。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている。
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