フィールド・ノート…1998年4月〜8月

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4月 彼女との別離

この4月、ぼくは学生時代から約6年に渡って付き合ってきた彼女との別れを経験した。ぼくにとって初めての女性であり、また、一生彼女だけしか知らずに過ごすことになっても後悔しないだろう、と思える女性だった。そのため、彼女と交際している間、ぼくの目には他の女性はまったく映っていなかった、と言ってもいい。

その彼女と別れ、ぼくは途方に暮れていた。もちろん、それでも日々は過ぎて行く。おりしもぼくは4月からそれまで経験したことのないシステム部門に異動することになった。集合研修が2ヶ月間行われる。研修に参加するのは、ぼくと同じような立場の男性が少数と、ぼくの勤務先の子会社であるソフトウェア会社の女性新入社員50名以上という、ある意味では夢のような環境である。しかし、ここでぼくは自分に決定的に欠けているものに気付いた。コミュニケーション・スキルである。

もちろん、女性たちと全くコミュニケーションを取らなかった、などということはない。ぼくは自分でも、そこまで非社交的な人間だとは思っていない。ただ、彼女と別れて寂しい時期に、大勢の若い女性に囲まれていて、何も出来ない自分に歯痒さを感じた。

彼女との最後のデートのときに彼女が言った、「何か新しいこと、始めてみたら?」という言葉が耳に残っていた。もちろん彼女はそれがテレクラ通いになるとは思っていなかったことだろう。

5月 初めてのテレクラ

テレクラに行ってみよう、と思ったのは結局なぜだったのだろうか。ぼくのテレクラについての知識は、主にインターネットで仕入れたものである。「援助交際」ばかりがクローズ・アップされるテレクラ。しかし、その実態はどのようなものであるのか。本当に「即アポ即H」などということが起こり得るのか。一体どんな女性が利用するのか。好奇心があった。学問的興味、と言ってもいい。これは彼女と別れる前のことである。

彼女と交際している6年近くの間、ぼくたちはほぼ毎晩のように30分から1時間くらい電話をしていた。もともとぼくは電話は苦手である。だが、聞き役を務めることなら、既にキャリアがある、とも言えた。

テレクラへ行くことは、これらの解決策となるような気がした。ぼくはインターネットの「テレコミ」に関するサイトを漫然と眺めることをやめ、自分が行くには、という目で情報収集を始めた。一般に「テレコミ」と言われる中には、テレクラのほかに伝言ダイヤル、ツーショットダイヤルといったものがある。まずツーショットは、親元に住んでいるぼくには利用しづらい。また、伝言ダイヤルはまず自分で伝言を入れなければならない。初心者には難しいのではないか。ぼくは「個室で女性から電話がかかってくるのを待つ」スタイルのテレクラを選ぶことにした。業者は「ヤラセなし」を売り物にしている某大手チェーン。場所は自宅からは少々遠いが、よく知っている渋谷にした。この街は別れた彼女とのデートで最も多く行った場所でもあり、食事やお茶をする場所からホテルまで、どこに何があるかよく分かっている。土曜日の昼間だった。

最初に取った電話は、南口からかけてきた19歳、だった。「今暇なのー。逢わなーい?」という感じだった。1本目からアポ。幸先がいいのかな、と思った。待ち合わせ場所に急いだ。いなかった。まあこんなものかな、と思った。“スッポカシ”が多いことは、情報として頭に入っていたからである。あまり覚えていないのだが、この日はあとは「援助」コールだけだったと思う。この時は一人未成年者がいたような気がする。巷に言われていることは本当なのだな、と妙に感慨を覚えた。

収穫があったとは言えないが、初めてとしてはこんなものだろう。とにかく一人逢うまでだ。そう考えながら帰る。

5月 無念のすっぽかし

これは何度目のテレクラだったか、はっきりとは覚えていない。もうすぐ研修が終わるため、仕事の後でテレクラに行ったりできるのもこれが最後の機会だ、と思っていた記憶があるので、平日の夜であったことは確かだ。

電話がつながったのは7時過ぎだっただろうか。彼女は20歳の大学生。渋谷から私鉄で数駅のところに一人暮らしをしている、と言っていた。居酒屋で深夜のアルバイトをしている。話の内容はもうあまり覚えていない。この頃のぼくは、前の彼女との別れをかなり引きずっていたから、そういう話を中心にしていたのだろうと思う。彼女の方も、比較的重い話をしていたような気がする。

この電話は、それまでぼくが取っていた公衆電話からのコールとは違い、お互いのことが(何となくではあっても)わかるまで話すことができたし、逢ってみたいな、と思えるものだった。「ね、こういうので逢ったことある?」と訊いてきたのは、彼女の方ではなかったか。彼女の方には経験があるらしかった。ぼくは、君とならぜひ逢ってみたい、という意味のことを言った。「でも、わたし、本当に普通だよ? 別に美人でもないし、かといってヒドい顔でもないし。それでもいいの?」

アポが取れた。何となく、これまでのアポとは質が違う気がしていた。それまでの「公衆」からのコールでは、相手がどんな人物なのか、相手が嘘を言っているのかどうか、まったく判断がつかないまま、待ち合わせ場所に向かわなくてはならなかった。ところが今回のコールはそれとは違って、きっと嘘はついていないだろう、という感触を持つことができたからである。時間はもう8時をまわっていたので、ぼくは少し腹ごしらえをしてから待ち合わせ場所に向かった。

この項のタイトルが示す通り、彼女は現れなかった。今考えてみても、彼女の話し振りはサクラのそれではなかったし、アポを取る前の念押しが、さらに信憑性を高めていたという気がする。ともかくぼくは、かなり失望を覚えた。この後しばらく、(仕事が忙しくなったという要素もあるが)ぼくはテレクラへ行かなかった。

8月 初「面接」の失敗

8月。ぼくがふたたびテレクラに行ってみようと思ったのはたぶん、学生が夏休みをとっているこのシーズンならば、少し違った展開があるのではないかと思った(あるいは、そういう情報をどこかのサイトで見つけた)からだったのではないかと思う。また、8月は仕事の繁忙度が下がる時期でもあり、ある程度時間が自由になるというわけで、ぼくは会社帰りに渋谷へ向かったのである。時間は夜の7時半くらい。

数件の援助コールをパスした後でつながったのが、19歳フリーターだった。近くの公衆電話から。しばらく話して、ちょっと遊びに行く? と誘うと、「カラオケとかでよければ」とのこと。さっそくアポを取る。センター街の中ほどにあるビルの前の待ち合わせ場所に着くと、ほどなく彼女が現われた。これがぼくの初面接になったわけである。彼女はまるでコギャル雑誌から抜け出てきたような女の子だった。髪は茶色。肌は真っ黒。スリムな体型に、水色のキャミソールが似合っている。背はぼくより高い上、かかとの高いサンダルを履いているため、背の低いぼくは彼女の顔を見上げるような形になってしまう。スーツ姿のぼくが彼女と並んで歩くのは極めて不自然に感じられ、ぼくはかなり気後れしていた。

とりあえず約束通りカラオケボックスに入り、世間話をしながら何曲か歌っていると、彼女の携帯に着信があり、何やら話している。男かららしい。切った後で彼女が言うには、「なんか、今からケンカなんだって。やめとけって言ってるのにさあ。ケガしたらバカみたいじゃんねえ」。どうやらぼくは、やばそうなのを引いてしまったようだった。

しばらくして、彼女は居ずまいを正すと、こんなことを言い始めた。「実はさあ、お金を貸して欲しいんだよね」。そらきた、とぼくは思った。彼女はモデル事務所に登録していて、当時放映していた某ドラマにもちょい役で出た(真偽のほどは不明)のだが、事務所に払う登録料が足りないのだという。親には自分の力でやる、と言ってしまっているためもうもらえない。何とか5,000円でいいから貸してほしい、必ず返すから、とこう言うのである。

ばかばかしい話だった。本来、その場でカラオケボックスから出て行ってもよかった。だが、ぼくの脳裏に先ほどの携帯電話での会話の様子がよぎった。あれは、こちらには用心棒がいるぞ、という脅しと取れなくもなかった。しばらく押し問答があった末、恥ずかしい話ではあるが、結局ぼくは彼女に5,000円を渡した。連絡先を教えたくなかったので、返してもらわなくていいから、と言った。ぼくの初面接はこれで終了した。彼女は、「いい人だね。ありがとう」と言って渋谷の街へ消えて行った。


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