考えないヒット

第五回 「my first love」上原多香子(1999年)

2000.3.9

ジャケット

この曲がヒットした頃、『日経エンタテインメント!』誌が「癒し系女性ヴォーカル」に関する特集を組んでいて、この曲や中谷美紀「クロニック・ラブ」などが入っているのはよく分かった(なぜならぼくはその頃ちょっと精神的に疲れることが多くて、よくこの曲を聴いて心を落ち着けていたから)のだが、その記事では宇多田ヒカルや椎名林檎まで「癒し系」ということにしようとしていて、ぼくはおいおいと思ったのである。

もちろん、「癒し系」などというジャンル分けはあまり意味のないものである。音楽というのはどんなものであれ、最終的には聴く人を「癒す」ものであろうから。それはデスメタルだろうが民謡だろうが同じだ。ただ、それはともかくとして、一般的に「癒し系」という言葉を使って括られる音楽とはどんなものなのか、というところには興味がある。

ぼくの考える「癒し系女性ヴォーカル」の条件とは、「透明感のある歌声」「技巧的でない歌唱」「単純なメロディ」などである(すなわち、椎名林檎の対極であり、その意味で反対のものを一緒にして論じる『日経エンタ!』は話にならないと思った)。そしてここで気になるのが、「ルックス」がここにどう関係してくるか、ということだ。

たとえばトーコという歌手がいる。彼女の歌は先程の条件にすべて当てはまるのだが、ルックスがイマイチ癒し系ではないような気がするのである。また、「The Other Side of Love」を歌っていた"Sister M"こと坂本美雨は、顔写真を出すまでは癒し系だったが、写真を出してからは癒し系とは言えなくなったような気がするのである。まあ、これはぼくだけの感想かもしれない。だが、音楽を聴くのには関係のない筈の、「歌い手のルックス」が、聴き手の意識に何らかの影響を及ぼしているのは確かだと思う。

日本には、「女優が片手間に、それなりのプロデューサーの下で作る音楽」というジャンルがある(たぶん今井美樹あたりがその嚆矢だろう)。うまくハマればなかなかいいものである。そしてそれは、あくまでも「女優が」「片手間に」というところが重要なのである。なぜなら、それらの要素が先程の「癒し系」の諸条件と一致するからだ。片手間だからこそ、余計な力が入っていない。下手な技巧に走らない。女優としての顔がある(聴き手がイメージを作りやすい)。だからこそ、SPEED解散後の彼女には、「女優」としてやっていけるだけの演技力を身につけて欲しい。その上で、片手間に歌も歌っていって欲しいと思う。彼女は「癒し系女性ヴォーカル」の系譜を継ぐことのできる存在だ。


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