「さびしさの精神病理」試論

1999.3.16

○このタイトルを思い付いてから、早くも5ヶ月が経過しようとしている。そもそもこのタイトルを思い付いたのは、サイトを開設したばかりのメールをくれたある読者の方に、「やさしさの精神病理」(大平健著、岩波新書)という本を紹介していただいたのがきっかけだ。この本は、精神分析医である著者が、臨床で得たさまざまな症例をもとに、現代社会の病理を「やさしさ」という切り口で解き明かしてみせたものだ。もちろん、精神分析医の仕事とぼくのテレクラ通いとは、まったく次元が違うものだ。だがその一方で、この本の「患者との対話を詳細に記し、著者が分析を加える」というスタイルは、ぼくが自分のサイトに書く文章のお手本となり得るものだった。そして、ぼくがあたかも精神分析医のようにテレクラでの会話を分析するとすれば、その切り口は「さびしさ」になるだろうな、と考えたのである。

○テレクラにかけてくる女性たちがほぼ例外なく口にする言葉、「さびしい」。そして、アニメ「エヴァンゲリオン」のヒロイン綾波レイがその意味を問うた言葉、「サビシイ」。そしてもちろん、それはぼく自身の感情でもある。彼女と別れて、ぼくは寂しかった。だからテレクラに行ったのだ。あるいは、「さびしい」という感情の正体を突き止めることは、ぼくのテレクラ通いの目的として最もふさわしいのではないか。そうも思えた。

○だが、「現代人の孤独」というテーマは、ほとんど現代哲学の最大のテーマと言ってもよく、今さらのようにぼくが少し考えてみたところで、目新しい結論が出るわけがないことも、ぼくには分かっていた。そしてぼくには、「結論を出そうとすること」に対して、一種の「おびえ」とも言える感情があった。テレクラなんぞへ行くのに、何かを得ようとしていてはダメだ。それこそ、「ゲット」だけを目的とする方が、よほどピュアだ。またインタヴューの限界というものがある。たとえば「なぜさびしいのか」ということが知りたいとする。その場合、聞き手には必ず何らかの予断があるだろう。それは聞き方にも影響してくる。さらに、テレクラでは、相手は適当にこちらの話に合わせてくるのが普通だ。そんな状況で、まともな結論が出る筈もない。

○だからぼくは、何らかの結論を得ようとすることは止めることにした。このタイトルがいつまで経っても「試論」なのは、そのためである。


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